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実践!法律文書翻訳講座 第二十回 訳しにくい表現 その1

江口佳実

実践!法律文書翻訳講座

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第二十回 訳しにくい表現 その1
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法律文書に限りませんが、辞書に出ている訳語のどれを選んでも日本文の中でしっくりしない、どこかぎこちない、意味のよく分からないものになってしまう、そんな表現の訳し方に悩んだことはないでしょうか。
法律文書では、たとえぎこちなくても法律的な概念として決まった訳し方をしなければいけないものもあります。
たとえば、英米法には reasonable man という概念がありますが、これを自然な日本語にしようとして「道理をわきまえた人」などと訳してはいけないのです。「通常人」「合理人」「一般人」と訳します。
一方で、英語での表現が表すものと、それに対応する日本語の法律上の概念が必ずしも一致しないために、果たしてその訳語でよいのかどうかという問題が出てくる、そういう場合もあります。
あるいはもっと単純に、法律文書に限らず、その言葉の表す概念を上手くピッタリ表現する日本語がないために、その都度、文脈の中で適切な表現を選ぶべきであるという場合もあります。

今回は、そういった場合の訳し方を、具体的に例を挙げて説明します。

まずその前に、前回の宿題を。

【例文】

1. The foregoing notwithstanding, nothing in this Agreement will be deemed to preclude any party from using the legal process of any court with jurisdiction to seek remedy or redress (including without limitation injunctive or other equitable relief) for any infringement of copyright, trademark rights, or other intellectual property rights.

2. In no event shall ABC be liable to any other person or entity for any loss of profits, loss of use, direct, indirect, incidental, consequential, punitive, or special damages, whether under contract, tort, warranty, or otherwise, arising in any way out of this Policy, whether or not ABC had been advised of the possibility of such damages.

【訳例】

1. 前述のことにもかかわらず、本契約におけるいかなる定めも、著作権、商標権、またはその他の知的財産権の侵害についての救済または補償(差止めまたはその他の衡平法上の救済などを含め、これらに限定されず)を求めるため、いずれかの当事者が管轄権を有する裁判所の法的手続きを利用することを妨げるとみなされない。

2. いかなる場合も、ABCは、本方針から何らかの形で生じる、利益の損失、利用の喪失、直接的、間接的、付随的、結果的、懲罰的、または特別損害賠償のいずれについても、それが契約、不法行為、保証、またはその他のいずれに基づくものであろうと、またABCがかかる損害賠償の可能性について予め警告を受けていたか否かにかかわらず、いかなる人または事業体に対しても一切の責任を負わない。

1のポイントは、冒頭の The foregoing notwithstanding ですね。notwithstanding を置換した形です。
nothing will be deemed to…というのも、よく使用される定型的な表現です。
2では、whether under contract, tort, warranty, or otherwise と、whether or not ABC had been…の2つの部分がポイントです。前の方は「~であろうと」と訳し、後者は「~にかかわらず」としましたが、別にそう訳さなければならないというきまりがあるわけではありません。前後の文脈や構文上、自然で意味が分かりやすい表現を選んでください。

◆ lien と encumbrance

【例文】

Seller is the lawful owner of all the Corporation’s Stock, free and clear of all security interests, liens, encumbrances, pledges or other charges.               

【訳例】

売主は、いかなる動産担保権、リーエン、負担、質権、またはその他の担保権もない状態で、本件会社の本件株式全ての合法的な保有者である。

この lienencumbrance を含んだ表現はよく見られるものです。
free and clear of というフレーズとセットになることが多いと思います。
頻繁に見られるにもかかわらず、この部分は訳しにくいことも多いのです。
それには、2つの理由があります。

1つは、どれも似たような意味だから。
その他に並んだ security interestsやcharges なども、辞書には「担保権」という訳語が出ているのではないでしょうか。その他に、mortgages などが並ぶこともありますが、いずれも security (担保) の「仲間」です。
lien は、encumbrance の一種なので、これを両方含んだものは redundant かつ illogical だと批判する law dictionary もあるくらいです。
ちなみに、mortgage も lien と同じく、encumbrance の一種です。
こんなに似たような意味のものが並んでいると、訳し分けるのが難しいのは自明のことです。

2つ目の理由は、その言葉に相当する訳語がないからです。
たとえば、英米法には大きく分けてコモンローとエクイティの2つの分野があるのですが(カンタン法律文書講座 第11回をご参照ください)、common law lien の場合、担保権の保有者は担保権を設定された財産を占有(=自分が持っておく)しますが、equitable lien の場合、その財産の占有はありません。前者の場合は、日本の法律の「留置権」に当たりますが、後者の場合は「先取特権(さきどりとっけん/せんしゅとっけん)」に近いのです。
「近い」というのは、まったく同じではないという意味です。イギリスとアメリカでも lien の考え方・取り扱い方が異なったりしますし、attorney’s lien、banker’s lien、landlord’s lien、
mechanic’s lien など、とにかく色んな lien があるわけで、日本語で「これ!」というピッタリの訳語はありません。

encumbrance も lien と同様です。
encumbrance は、Black’s Law Dictionary によると、次のように定義されています。
“a claim or liability that is attached to property or some other right and that may lessen its value; any property right that is not an ownership interest”
英和の辞書には「土地/不動産に対する負担」と書かれていますが、
上記の通り、encumbrance の対象となるのは不動産だけではなく、動産や何らかの権利も含まれるようです。
また、lien や mortgage が encumbrance の一種であると述べたように、encumbrance の中身は様々で、必要十分的な訳語がないのです。

では、どうすればいいのでしょうか。
ということで、上の訳例のように lien は「リーエン」とカタカナ表記で、encumbrance は
「負担」と訳されることが多いです。
でも、場合によっては lien を「先取特権」とか「留置権」、「担保権」と訳したり、encumbrance も「抵当権」と訳したりします。文脈上、どの意味なのか明白な場合はそうしたほうがよいでしょう。ただし、上記の例文のように、とにかく抵当とか担保に類するものをずらっと並べました、的な条文の場合はこれに当たりません。

では、宿題です。

宿題

XYZ hereby sells to the Company, and the Company hereby purchases from XYZ, all of XYZ’s right, title and interest in and to the Project and the Project’s Technology, free and clear of any lien, charge, claim, license, preemptive right or any other encumbrance or third party right, except for the XYZ License, as provided for under SECTION 7 below and the restrictions on the Company’s use thereof as provided for under SECTION 3.3 below.

次回も引き続き、訳しにくい表現をみていきます。

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記事を書いた人

江口佳実

神戸大学文学部卒業後、株式会社高島屋勤務。2年の米国勤務を経験。1994年渡英、現地出版社とライター契約、取材・記事執筆・翻訳に携わる。1997 年帰国、フリーランス翻訳者としての活動を始める。現在は翻訳者として活動する傍ら、出版翻訳オーディション選定業務、翻訳チェックも手がける。

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