TRANSLATION

既刊訳書の訳文を吟味してみる(3)

宮崎 伸治

出版翻訳家による和訳レッスン

今回も引き続き、既刊訳書から「ここは改善の余地はないかな」と思われる箇所をピックアップし、訳文を改善できないか検討してみます。検討するのは『カーネギー 話し方入門<新装版>』(創元社、2000年)です。

では、さっそく始めましょう。次の訳文は、パブリック・スピーチを教えているカーネギー氏が自らの体験を書いている箇所です。訳文を読んで、なんとなくしっくり来ないという箇所はないでしょうか。

既刊訳書

「楽しみとしてまた仕事として、筆者は1912年以来毎シーズン、年間約6000に及ぶスピーチを聞き、批評してきました」

原文がどうなっているのか確かめてみると以下のようになっていました。

It has been the author’s professional duty as well as his pleasure to listen to and criticize approximately six thousand speeches a year each season since 1912.

忠実に訳されてはいるのですが、もっと読みやすくできないでしょうか。

書き出しの「楽しみとしてまた仕事として」の箇所ですが、カーネギー氏はパブリック・スピーチのテクニックを教えるのが仕事ですので、「楽しみとしてまた仕事として」教えていたというより、「仕事であるだけでなく、楽しみでもあった」としたほうが日本語としてはしっくり来るような気がしました。

次に「筆者」という言葉ですが、日本語においても「筆者」を一人称として使うこともできなくはありませんが、堅い感じがします。わざわざ「筆者」としなくても日本語では「私」で十分ですし、読みやすいでしょう。

また「1912年以来毎シーズン、年間約6000」というのも意味は分りますが、「年間約6000」だけで足りますので、わざわざ「毎シーズン」という言葉を付けることもないでしょう。

以上の3点を修正し、私なりに訳し直したのが以下の訳文です。

宮崎修正案

「私は1912年以来、年間約6000ものスピーチを聴き、批評してきたが、それは私の仕事であるだけでなく、楽しみでもあった」

さて、その続きです。なんとなくしっくり来ないという箇所がないか考えながら訳文をチェックしてみてください。

既刊訳書の訳文

「そんな経験を通して特に強く心に刻み込まれたことがあるとすれば、それは次の点です。話し始めるまでの準備、および、明瞭確実に話せるもの、強く心を動かされたもの、言わずにはおられない何かを持っていること。その2つがまず何よりも必要だという点です」

まず「話し始めるまでの準備、および、明瞭確実に話せるもの、強く心を動かされたもの、言わずにはおられない何かを持っていること。その2つがまず何よりも必要だという点です」の箇所ですが、「その2つ」とは何と何を指しているのかがスッと頭に入ってきません。そこで原文に当たってみると以下のような英文でした。

If that experience has engraved on his mind any one thing more deeply than another, surely it is this: the urgent necessity of preparing a talk before one starts to make it and of having something clear and definite to say, something that has impressed one, something that won’t stay unsaid.

「その2つ」に相当する英語はありませんでした。また、「明瞭確実に話せるもの、強く心を動かされたもの、言わずにはおられない何かを持っていること」の箇所は原文に忠実に訳されていますが、「もの」として列挙されている3つを1つにまとめると日本語として読みやすくなるでしょう。「もの」とはここでは「ネタ」とか「話」のことですので、「話」と変えてみました。以下が私の修正案です。

宮崎修正案

「その経験で最も深く心に刻み込まれたことは、スピーチをする前には準備が必要であること、そして分りやすく話せる“言わずにはいられないほど強く印象に残った話”をもっていなければならないということである」

今回も既刊訳書から2箇所、しっくり来ないと感じた箇所を吟味してみました。参考にしていただければ幸いです。

さて、お知らせです。

「宮崎伸治氏トークショー」

『作家』『出版翻訳家』『講演家』『多言語話者(マルチリンガル)』『多資格保持者』の“鬼才”宮崎伸治氏が「書き写す」効能についてお話しします。

1 抜群のロングセラー「聖書英語なぞるだけ」ができたきっかけ
費用が回収できる見込みもないのに、なぜ自費出版に踏み切ったのか

2 「なぞるだけ」シリーズの特徴
なぜ外国語を学ぶのか、なぜ書き写すのか、なぜ聖書なのか、その効用について

3 実体験を通して心に響いた聖書の具体的箇所
神を喜ばせる生き方、お金より大切なもの、言葉使いに気をつける、etc

主催:教文館
日時:2024年3月30日(土)14時~15時30分予定
会場:教文館3Fキリスト教書コーナー ギャラリーステラ
参加費:無料(事前申込制)
詳細・申込:下記Webサイト参照

”鬼才”宮崎伸治氏トークショー ―『聖書英語なぞるだけ(増補版)』『フランス語聖書なぞるだけ』出版記念― | Peatix

ひろゆき氏等多くのコメンテーターに対して翻訳業界の現状を語る番組に出演した際の動画が無料で視聴できる。
https://abema.tv/video/episode/89-66_s99_p3575(ABEMA TV)。

また「大竹まことのゴールデンラジオ」に出演したときのようすが、次のリンク先のページの「再生」ボタンを押すことで無料で聴くことができる。
http://www.joqr.co.jp/blog/main/2021/03/110.html

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記事を書いた人

宮崎 伸治

大学職員、英会話講師、産業翻訳家を経て、文筆家・出版翻訳家に。産業翻訳家としてはマニュアル、レポート、契約書、パンフレット、新聞記事、ビジネスレター、プレゼン資料等の和訳・英訳に携わる。
出版翻訳家としてはビジネス書、自己啓発書、伝記、心理学書、詩集等の和訳に携わる。
著訳書は60冊にのぼる。著書としての代表作に『出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記』(三五館シンシャ)が、訳書としての代表作に『7つの習慣 最優先事項』(キングベアー出版)がある。
青山学院大学国際政治経済学部卒業、英シェフィールド大学大学院言語学研究科修士課程修了、金沢工業大学大学院工学研究科修士課程修了、慶應義塾大学文学部卒業、英ロンドン大学哲学部卒業および神学部サーティフィケート課程修了、日本大学法学部および商学部卒業。

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