TRANSLATION

既刊訳書の訳文を吟味してみる(2)

宮崎 伸治

出版翻訳家による和訳レッスン

前回、既刊訳書から「ここは改善の余地はないかな」と思われる箇所をピックアップし、訳文を改善できないか検討してみました。検討したのは『カーネギー 話し方入門<新装版>』(創元社、2000年)でしたが、今回はその続きです。

では、さっそく始めましょう。次の訳文は、人前で話すことが苦手だというゲントさんがパブリック・スピーチのテクニックを教えているカーネギー氏に質問をし、カーネギー氏が答えている場面です。訳文を読んで、なんとなくしっくり来ないという箇所はないでしょうか。

既刊訳書の訳文

「(略)こんな年になって話し方など学べるものでしょうか、どうお思いですか?」

「どう思うかですって、ゲントさん。思う思わないの問題ではないんですよ。私はもう確信しているんです、あなたが十分おやりになれることを。指示や指導に従って練習をお積みになりさえすれば、まちがいなくおできになります。」

私がこの訳文を読んでいて、「なんとなくしっくり来ないな」と感じた箇所は、カーネギー氏の「思う思わないの問題ではないんですよ」という言葉でした。日本語として「思う思わないの問題ではないんですよ」という言い方はあまりしないように感じましたし、「思う思わないの問題」という表現では「思う」の主語が誰なのかが分りません。ゲントさんかもしれないし、カーネギー氏かもしれないし、はたまた一般的な人を想定して言っているのかもしれません。そこで原文はどうなっているのか調べてみました。すると以下のような原文でした。

“Do I think, Mr. Ghent?”  I replied.  “It is not a question of my thinking.  I know you can, and I know you will only practice and follow the directions and instructions.”

「思う思わないの問題ではないんですよ」と訳されていた箇所に相当する英文はIt is not a question of my thinking. でした。このことから主語はカーネギー氏であることが分ります。この英文を直訳すれば、「それは私が考える問題ではありません」となりますが、あなたならどう訳しますか。ちなみに私は、同じことを自分だったらどう言うかを考え、「私がどう思うかは関係ありませんよ」と訳しました。

さて、原文をよく見てみると、それ以外にも修正したい箇所が見つかりました。以下の箇所です。

「私はもう確信しているんです、あなたが十分おやりになれることを。指示や指導に従って練習をお積みになりさえすれば、まちがいなくおできになります。」

この箇所の原文を見てみると次のようになっていました。

I know you can, and I know you will only practice and follow the directions and instructions.

あなたならこの箇所をどう訳しますか。既刊訳書の訳でも間違いではないのですが、日本人が日本語で話すときのことをイメージして2点ほど訳し直しました。1点目は「あなた」という言葉は日本語会話ではあまり使わないと思ったので削除し、2点目は「指示や指導に従って練習をお積みになりさえすれば」という箇所をもっと簡潔に「教えられたとおりに練習しさえすれば」と変えました。翻訳には唯一絶対の正解はないので、私の訳のほうが「正しい」とは言いませんが、参考にしていただければ幸いです。

宮崎修正案

「(略)こんな年になって話し方など学べるものでしょうか、どうお思いですか?」

「どう思うかですって、ゲントさん。私がどう思うかは関係ありませんよ。できますとも。教えられたとおりに練習しさえすればいいのです。」

次の例を見てみましょう。ゲントさんと同様、人前でしゃべれないと思い込んでいた男性の話です。ある日彼はスピーチを頼まれましたが、まったくしゃべることができませんでした。そんな彼がどんな人物かについて言及している箇所です。

既刊訳書の訳文

「衛生学を研究し医療に携わって、すでに3分の1世紀にもなろうとしていた」

私がこの訳文を読んでいて、「なんとなくしっくり来ないな」と感じた箇所は「3分の1世紀」という言葉でした。というのも私はこのような日本語を見聞きしたことがないからです。これは原文を直訳したものと思われますが、原文に当たってみると、案の定、次のようになっていました。

He had been studying hygiene and practicing medicine for almost a third of a century.

「3分の1世紀にもなろうとしていた」はalmost a third of a century を直訳したものでしたが、直訳した数字が日本語表現として不自然な場合は注意が必要です。そのような場合は直訳する必要があるか否か吟味し、その必要性がない場合は意訳したほうが自然に読めます。たしかにalmost a third of a centuryを「3分の1世紀にもなろうとしていた」と訳しても間違いではありませんが、日本語では「3分の1世紀」という言葉はあまり使いません。昔はこういう場合、自分の語感を頼りにするくらいしか方法はありませんでしたが、今はネットで検索エンジンを利用すればある程度のことが推測できます。

Googleの検索エンジンで「30年」という言葉を入れて検索すると約 41億件ヒットしましたが、「3分の1世紀」という言葉を入れて検索するとヒット件数は約1億件、しかも「3分の1世紀」でヒットした最上位のページを眺めてみても、「3分の1世紀」そのものがヒットしていたわけではありませんでした。このことから日本語では「30年」と「3分の1世紀」という言葉を比べた場合、「30年」のほうが圧倒的に使用頻度が高いことが推測できます。そこで私はこの箇所を次のように訳しました。

宮崎修正案

「衛生学を学び、医療に携わって30年にもなる」

ちなみに英語のa third of a centuryは約13億件ヒット、thirty yearsは約26億件ヒットですから、「30年」と「3分の1世紀」のように桁が違うほどかけ離れているということはありません。原著者としてはごく普通の表現を使ったに過ぎなかったのでしょう。

今回は既刊訳書から2箇所、しっくり来ないと感じた箇所を吟味してみました。

ひろゆき氏等多くのコメンテーターに対して翻訳業界の現状を語る番組に出演した際の動画が無料で視聴できる。

https://abema.tv/video/episode/89-66_s99_p3575(ABEMA TV)。

また「大竹まことのゴールデンラジオ」に出演したときのようすが、次のリンク先のページの「再生」ボタンを押すことで無料で聴くことができる。

http://www.joqr.co.jp/blog/main/2021/03/110.html

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記事を書いた人

宮崎 伸治

大学職員、英会話講師、産業翻訳家を経て、文筆家・出版翻訳家に。産業翻訳家としてはマニュアル、レポート、契約書、パンフレット、新聞記事、ビジネスレター、プレゼン資料等の和訳・英訳に携わる。
出版翻訳家としてはビジネス書、自己啓発書、伝記、心理学書、詩集等の和訳に携わる。
著訳書は60冊にのぼる。著書としての代表作に『出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記』(三五館シンシャ)が、訳書としての代表作に『7つの習慣 最優先事項』(キングベアー出版)がある。
青山学院大学国際政治経済学部卒業、英シェフィールド大学大学院言語学研究科修士課程修了、金沢工業大学大学院工学研究科修士課程修了、慶應義塾大学文学部卒業、英ロンドン大学哲学部卒業および神学部サーティフィケート課程修了、日本大学法学部および商学部卒業。

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