不自然な日本語になる原因を探る
翻訳書を読んでいて、「ここはどういう意味なのだろうか?」とか「意味は分らなくはないが、なんとなく読みにくいなぁ」と感じたことはないでしょうか。私自身、産業翻訳スタッフだったころ、そのようなことを同僚の校正者から言われたことがあります。
そのたび私は「原文がこうなっていたから、こういうプロセスを経て、こういう訳になっているのです」と“説明”をしていましたが、読者にとっては「どういうプロセスを経て、そういう訳になったか」など関係ないのです(私は“説明”をしているつもりでしたが、聞かされるほうからすればきっと“言い訳”としか思えなかったでしょう)。
この点について、バジル・ハティムとイアン・メイソンは次のように述べています。
「訳文は、翻訳者の最終決断を示すものである。そして読者は、その翻訳者の最終決断である訳文だけを読むのである。つまり読者は、翻訳者がその最終決断まで至るプロセスを知る手立てはないのである」(訳は宮崎伸治)
彼らが指摘しているとおり、読者は訳文だけしか読まない(場合が多い)ので、どういうプロセスを経てそのような訳文になったのかをいくら“説明”したところで、訳文が読みにくいものであれば、読者がその訳文を評価することはないと考えるべきでしょう。
そこで、訳文が日本語として不自然になる原因を探り、その解決方法を一緒に考えていきましょう。なお、“日本語として不自然だと思える訳文”は実際に出版されている翻訳書から引用しています。
- 日本語に単数・複数を表す形態素が存在しないことから生じる不自然さ
次の訳文はある翻訳書から引用したものです。
- 日本語として不自然な訳例(1)
どんな情況にも、トラブルを生み存在させ続けているひとつのこと、または1人の人、あるいはひとつの背景というものがあります。
この訳文、特に後半部分は日本語として少し不自然な感じがしないでしょうか。この訳文はおそらく次の英文を翻訳したものでしょう。訳文を読んでいれば、原典が透けて見えます。
In any situation, there is a thing, a person, or a condition that creates troubles and lets it continue.
日本語にはa に相当する形態素がないため、この翻訳者はわざわざ「ひとつのこと」「1人の人」「ひとつの背景」とoneに相当する日本語相当語を付けて訳しています。ちなみにaは絶対に訳してならないかといえば、必ずしもそうではありません。例えば、He has a French friend.と言えば、「彼はフランス人の友達がいる」と訳してもいいですが、「彼はフランス人の友達が1人いる」と訳すのも一つの方法です。フランス人の友達が何人いるかが重要と思えば、それが分りやすいように訳文の中に「1人」という言葉を入れてもいいかもしれません。
しかし、例として挙げたケースでは「ひとつのこと」「1人の人」「ひとつの背景」という言葉が特別な意味をもっているかのような感じが出てしまいます。そこで考えていただきたいのです。わざわざ「ひとつのこと」「1人の人」「ひとつの背景」とoneに相当する日本語相当語を付ける必要性があるでしょうか。意味から考えてみれば、別に付けなくてもいいことが分ります。
では、ここで単数・複数を表す形態素を外して訳文を修正してみましょう。すると次のような文になります。
宮崎案:
どんな情況においても、トラブルを生み出し、それを引き続かせる物や人、背景があります。
このように日本語と英語とでは形態素に違いがありますので、一言一句訳したら日本語として不自然になると思えば、ときに訳さないようにするのも手です。
次の例を見てみましょう。
- 日本語にはない独特な英語表現をそのまま直訳している場合
次の訳文はある心理学書からの引用です。「初めて経験したことに関するすばらしい、清新な感情の記憶が貯えられている。(中略)」のあとに続くのが次の訳文です。
- 日本語として不自然な訳例(2)
無数のははあ体験(驚きの感情を含んだ経験)が記録されている。
ここで問題になるのは「ははあ体験」です。おそらくこのような日本語を見聞きしたことがある人はまずいないでしょう。ちなみにgoogle検索しても「ははあ体験」という日本語を使っているページはヒットしませんでした。さっそく原書を調べてみると、この箇所に相当する英語はa-ha experiencesでした。a-haは「はあ!」「ほほう!」などに相当する英語の間投詞です。日本語にも「ははあ」という間投詞があり、a-haに相当するといえば相当するといっていいでしょう。しかし、「ははあ体験」と訳してしまうと意味が分りにくくならないでしょうか。この訳者は「ははあ体験」のあとに(驚きの感情を含んだ経験)と付け加えています。これも一つの方法とは言えますが、思い切って「ははあ体験」という言葉を外し、意味だけを訳す形で修正してみましょう。
暫定修正案:
数え切れないほどの驚きを伴った初体験が記録されている。
インターネットがない時代の私なら、これで終わりにしていたでしょうが、今やインターネットでいろいろなことが調べられます。そこで「ははあ体験」でネット検索してみると、「ははあ体験」そのものを使ったページはヒットしませんでしたが、「アハ体験」という言葉が出てきました。
Wikipediaによれば「アハ体験」とは「未知の物事に関する知覚関係を瞬間的に認識すること」です。ただし、ネット上の情報を鵜呑みにするのはリスクがあります。ではどうすべきか。「元々はドイツ語のAha-Erlbnis」と書かれてあったのを頼りに、独和辞典でそれを調べてみると、「アハー体験」という心理学用語として載っており、その定義は「物事を突然理解したときの心的体験」でした。「アハー体験」は馴染みのない言葉かもしれませんが、独和辞典にも載っていることから、訳文の中で使っても良いでしょう。日本人には馴染みのない言葉ですので、心理学用語ということを付け加えると尚よいでしょう。さっそく修正してみましょう。
宮崎案:
数え切れないほどの“アハー体験(「物事を突然理解したときの心的体験」を表す心理学用語)”が記録されている。
今回は既存の翻訳書から2つの事例を取り上げ、どのように修正すればより自然な日本語になるかを考えてみました。
ひろゆき氏等多くのコメンテーターに対して翻訳業界の現状を語る番組に出演した際の動画が無料で視聴できる。
https://abema.tv/video/episode/89-66_s99_p3575(ABEMA TV)。
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