こなれた訳文にする工夫(7)
今回は、大胆な意訳をしなければならなかった事例を取り上げてみたいと思います。原文に忠実に訳しても何が言いたいのかさっぱり分からないことがありますが、そういう場合は、原著者が何を言いたいのかを汲み取って、それを自分の言葉で表現するほうが分かりやすい日本語になります。
今回例として挙げるのは、Good people turn their scars into stars.というロバート・シュラーの言葉です。
じつは、昨年、AbemaTVに出演させていただいたのですが、その際、翻訳の実例としてこの言葉をどう訳すかについてお話しさせていただきました(次のリンク先に飛んで行っていただければそのときの様子が無料で視聴できます)。
https://abema.tv/video/episode/89-66_s99_p3575
Good people turn their scars into stars.を直訳すれば、「良い人々は傷を星に変える」となりますが、「傷を星に変える」といっても現実に「傷」が「星」に変わることはありませんから、これを読んでスッと意味が分かる人はいないでしょう。
では、こういう場合どうすればいいでしょうか。まずstarの意味を辞書で調べてみます。するとstarの定義として「運命」とか「運勢」といった定義が載っていることが分かります。「星」と訳してしまうと夜空にきらめく星を連想しがちですので、それならばまだ「運命」とか「運勢」といた抽象的な概念として訳したほうが良さそうです。さっそく「星」を「運命」に代えてみましょう。すると訳文は「良い人々は傷を運命に変える」となります。
暫定訳1:良い人々は傷を運命に変える。
この訳では「英文和訳」としては合格点に達してはいても「翻訳」としては合格点をもらうことはできないでしょう。「翻訳」は原文を目にすることのない日本人読者に原文に書いてある意味を明確に伝えるという作業のことです。この訳文でも頭を捻って原著者が言わんとすることを解釈しようと思えば解釈できるかもしれませんが、一読してスッと意味が分かるかといえば、疑問符を付けざるを得ません。なぜなら私自身が「良い人々は傷を運命に変える」の文の意味がスッと頭に入ってこないからです。自分自身がスッと理解できないものをそのまま訳文として提出するのは、喩えていえば、自分でもおいしいと思えない料理をお客さんに提供する料理人のようなものです。それでは合格点はもらえないでしょう。
では、どこをどう直せばいいでしょうか。まず「良い人々」はこれでいいか考えてみましょう。「良い人」といっても、解釈のしかたは人それぞれです。人によっては優しい人が「良い人」かもしれませんし、お金をたくさん稼ぐ人が「良い人」かもしれません。あるいは「面白おかしい人」が「良い人」かもしれませんね。「良い人」ではあまりにも漠然としています。もっと踏み込んだ訳はできないでしょうか。
一つの方法として原著者がどのような人かを考えてみましょう。原著者のロバート・シュラーは牧師さんです。傷を負った人をたくさん癒やしてきています。そんな人が自分のメッセージとしてGood people turn their scars into stars.という言葉を残したのです。そうしたことを念頭にgoodの意味を大辞典で引いてみましょう。
するとgoodの定義として最初に出てきたのは「高潔な」とか「徳の高い」という定義でした。ここで、原著者はどんな人が「傷を運命に変える」人だと言おうとしたのか考えてみましょう。解釈の仕方は人それぞれですからいろいろな解釈が可能ですが、傷を運命に変えることができるのはどんな人かを考えてみたところ、「高潔な人」とか「徳の高い人」ではないかと思えてきました。そこで「高潔な人々は傷を運に変える」と変えました。
暫定訳2:高潔な人々は傷を運に変える。
次に「傷を運に変える」をスッと読みやすくできないか考えてみましょう。まず「傷」に関してですが、「傷」は「他人に負わせてしまった傷」か「自分が負った傷」のいずれかですね。この文脈では「他人に負わせてしまった傷」ではなく「自分が負った傷」だと解釈できます。また「運に変える」の箇所ですが、「運」がどのようになるのか考えてみましょう。すると「運を閉じる」のか「運を切り開く」のかのいずれかだと分かります。この文脈では「運を切り開く」と解釈できるのでそのように変えました。
暫定訳3:高潔な人々は傷を負うことがあっても自ら運を切り開く。
これでもいいのですが、もっとスッと読めるようにするために、私は「自ら運を切り開く」の箇所を「その経験を活かして」と言葉を補って「高潔な人々は傷を負うことがあっても、その経験を活かして運を切り開く」としてみました。
宮崎訳:高潔な人々は傷を負うことがあっても、その経験を活かして運を切り開く。
もう一つ付け加えるとすれば、原文のscarsとstarsに韻が踏んでありますので、ルビを使ってscarsのところに「スカー」を、starsのところに「スター」とルビを振ると韻が踏んであることが訳文にも反映できます。
AbemaTVでは、ひろゆき氏に「普段こんな日本語使わないじゃないですか。読みにくくないですか」といったコメントを頂きましたが、おそらく「高潔な人々」という箇所のことを指しているのだと思われます。たしかに“話し言葉”としては「高潔な」という言葉を話すことはまず無いでしょうが、“書き言葉”は“話し言葉”と異なり、普段使わない言葉であっても、読んで分かる言葉であれば使っても大丈夫ではないかと思います。goodを「良い」と訳しただけではあまりにも漠然としていると思われたので、私は「高潔な」と訳したのですが、「高潔な」が難し過ぎるようなら、「徳の高い」でもいいかも知れません。
翻訳には唯一絶対の正解はありません。ただ一つ言えることは、一読してスッと頭に入ってこない訳文だと「翻訳」としては合格点に達しないということです。場合によっては原文からかけ離れてしまうというリスクを負いながらも大胆に訳さざるを得ないこともあるのです。今回はその一例をご紹介してみました。
ひろゆき氏等多くのコメンテーターに対して翻訳業界の現状を語る番組に出演した際の動画が無料で視聴できる。
https://abema.tv/video/episode/89-66_s99_p3575(ABEMA TV)。
また「大竹まことのゴールデンラジオ」に出演したときのようすが、次のリンク先のページの「再生」ボタンを押すことで無料で聴くことができる。