こなれた訳文にする工夫(4)
前回に引き続き、こなれた訳文にする上で翻訳者がぶつかるジレンマをどう克服すればいいかについて、既刊訳書から実例を挙げて考えてみます。
例題7は心理学書からの抜粋です。私たち人間は大別して「自分のことをOKと思っている人」と「自分のことをOKと思っていない人」の2種類に分けられるのですが、次の英文は「自分のことをOKと思っていない人」のことが説明されています。それを念頭に次の英文を読みやすく訳してみましょう。
例題7 A person dominated by the NOT OK ‘reads into’ comments that which is not there: ‘Where did you get the steak?’ ‘What’s wrong the them?’ : ‘Pass the potatoes, dear’ ‘And you call me fat’.
ここで工夫が必要な箇所は2つあります。1つはcomments that which is not thereです。どう訳せばスッと頭に入ってくる訳になるでしょうか。もう1つは、2人の会話‘Pass the potatoes, dear’ ‘And you call me fat’.の部分です。2人目の台詞をどう訳せばわかりやすくなるでしょうか。
ある翻訳者の例を見てみましょう。
- ある翻訳者の訳 「OKでない」立場に支配されている人は、意見を聞いた時そこにいわれていないようなことの意味も解釈してしまう。「このステーキはどこで買ったんだい?」「それのどこが悪いんですか」とか「ジャガイモをこっちにまわして」「私をでぶだっていいたいんでしょ?」というやりとりはこのよい例である。
この翻訳者は ‘reads into’ comments that which is not there の箇所を「意見を聞いた時そこにいわれていないようなことの意味も解釈してしまう」と訳しています。たしかにcomments that which is not thereは「そこにいわれていないようなこと」ですが、日本語としては少し不自然ですね。
ではどう訳せば自然な日本語になるでしょうか。直訳すると不自然になるようならイメージを思い浮かべてみましょう。ここでは自分の人生で「自分のことをOKと思っていない人」に関わったときのことを思い出してみましょう。ニュートラルなメッセージを伝えただけなのに意図していないメッセージを読み取られてしまったという経験はないでしょうか。私にはあります。そこでそのときのことを思い浮かべながらそのまま表現してみました。
またこの翻訳者は2人の会話‘Pass the potatoes, dear’ ‘And you call me fat’.の部分を「ジャガイモをこっちにまわして」「私をでぶだっていいたいんでしょ?」と訳しています。たしかにそのまま訳せばこうなりますが、これではなぜ2人目の人が「私をでぶだっていいたいんでしょ?」といったのかがわかりにくいかもしれませんね。そこで私は少し言葉を足して「私がデブだから食べるなって言いたいんでしょ?」と訳してみました。
- 宮崎訳 「OKではない」という感情に支配されている人は、意図されていない内容までも読み取る。例えば「どこでこのステーキを買ったの?」と訊かれて「何がいけないの?」と答えたり、「じゃがいも、こっちに回してくれる?」と言われて「私がデブだから食べるなって言いたいんでしょ?」と答えたりするのがそのよい例である。
例題8は同じ心理学書からの抜粋した夫婦の対話です。人間の心理には「ペアレント(親の部分)」、「アダルト(大人の部分)」、「チャイルド(子供の部分)」の3つがあることを頭に入れておいてください。
その上で次の情景を思い描いてください。夫が帰宅したところテーブルの上がほこりだらけになっていました。しかし夫は妻をストレートに叱りつけるのではなく、ほこりだらけのテーブルの上に「I love you」と書きました。彼の「ペアレント」は「どうしてテーブルを掃除してないんだ?」と妻を批判しているものの、彼の「チャイルド」は「批判はするけど、怒らないでね」とおねだりをしているのです。その一方で彼の「アダルト」は妻を怒らせないように配慮しつつも、「家の掃除をきちんとやってほしい」と伝えようとしています。それに続くのが次の英文です。
例題8 The outcome would be happy if she shined up the house, met her husband at the door with a cool drink, and told him what a sweet, sentimental, imaginative husband he is: Other husbands just moan and groan – but look what a jewel I’ve got!
ここで気を付けたいのは最後のOther husbands just moan and groan – look what a jewel I’ve gotをどう訳すかです。
- ある翻訳者の訳 もし彼女が家をピカピカにし、つめたいおしぼりを持って夫を出迎え、なんてやさしくて想像力に富んだあなたなんでしょうとささやいたりすることになれば、結果は上々ということになるだろう。ほかの夫たちはこれを見てうなり、彼はなんとすばらしい宝石を持ったのだろうと感嘆することになる。
この翻訳者はOther husbands just moan and groan – look what a jewel I’ve got.の箇所を「ほかの夫たちはこれを見てうなり、彼はなんとすばらしい宝石を持ったのだろうと感嘆することになる」と訳していますが、意味が通じるでしょうか。なぜいきなり宝石が出てきているのかがわかりにくいですね。じつはjewelには「大切な人」という意味があり、配偶者や子供のことをこういうことがあります。ただ日本語では「大切な人」とはあまり言わないので、読みやすくするために「いい人」に変えてみました。またここのセリフは奥さんのものですので、それを念頭に訳してみました。
- 宮崎訳 もし彼女が家の中をすみずみまで綺麗にし、冷たい飲み物を持って夫を出迎え、「あなたは何て優しくて想像力豊かなの。世間の夫はただ文句を言うだけでしょうに。私は何ていい人と結婚できたのでしょう」と言いでもしたら、交流は完璧である。
今回は、(1)直訳すれば不自然な日本語になる場合、(2)わかりやすくするために原書にない言葉を補う場合、(3)英語独特の比喩を日本語として読みやすく訳す場合を実例をあげて考えてみました。
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