こなれた訳文にする工夫②
前々回に引き続き、こなれた訳文にする上で翻訳者がぶつかるジレンマをどう克服すればいいかについて、既刊訳書から実例を挙げて考えてみます。
例を見てみましょう。なお、Childは大文字で始まっていることからもわかるとおり一般名詞ではなく、ここでは比喩的に「心の中の子供」という意味で使われています。ただ、「心の中の子供」では訳語としては長くなるので「チャイルド」と訳すことにして、それ以外のところをどう訳すか考えてみましょう。
例題3
In the Child are recorded the countless, grand a-ha experiences, the firsts in the life of the small person, the first drinking from the garden hose, the first time the lights go on in response to his flicking the switch.
ここで問題になるのはa-ha experiencesをどう訳せばいいかです。ちなみに a-ha とは、日本語の「はあ」「ほう」「わかった」などに相当する驚きや満足、勝利、発見などを表す間投詞です。
間投詞とは、自立語で活用がなく、主語にも修飾語にもならず、他の文節とは比較的独立して用いられます。間投詞は大別して一次間投詞と二次間投詞の二種類ありますが、一次間投詞は喜怒哀楽の感情を反射的に表した言葉や擬声語、二次間投詞は他の品詞に由来する語が間投詞とし用いられたもののことです。
一次間投詞の例として、Hooray!, Wow!, Hey!, Ah!, Boo!, Hey!などがあり、二次間投詞の例として、Great!, Oh dear!, What!, Indeed!, Damn!, Congratulations!, Come on! などがあります。
これら間投詞が単体で使われていれば問題はないのですが、上の例文ではa-haという間投詞にexperiencesという名詞がくっついているのです。さあ、どう訳せばこなれた訳になるでしょうか。
- ある翻訳者の訳
チャイルドには無数の重要なははあ体験(驚きの感情を含んだ経験)が記録されている。子供の生涯で最初に経験したことごとである。水まきホースから初めて水を飲んだこと、初めてスイッチをひねって電灯をつけたことなど。
この翻訳者はa-ha experiencesを「ははあ体験(驚きの感情を含んだ経験)」と訳しています。たしかにa-haを直訳すれば「ははあ」、experiencesを直訳すれば「経験」ですから、a-ha experiencesは「ははあ体験」になりますが、このままでは意味がわかりづらいですね。ですからこの翻訳者は「ははあ体験」がどのようなものかを括弧付きで説明しているのでしょう。
しかし「ははあ体験」という言葉が必要でしょうか。専門用語であれば難しい言葉であってもそのまま訳したものを残し、説明を括弧書きするのもいいでしょう。しかしここのa-ha experiencesは専門用語ではないので、わかりにくい日本語のまま残す必要はありません。いっそのこと意訳してみてはいかがでしょうか。私なりに意訳すると以下のようになりました。
- 宮崎訳
チャイルドには数えきれないほどの驚きを伴った初体験が記憶されている。初めて庭のホースから水を飲んだこと、初めてスイッチをひねって電気をつけたときのことなど。
次の例を見てみましょう。
例題4
The little person is constantly confronted with unpleasant alternatives (either you eat your spinach or you go without ice cream), offering little incentive for examining probabilities.
この例文で気をつけたいのは、unpleasant alternatives (either you eat your spinach or you go without ice cream)です。さあ、どう訳せばいいでしょうか。まずはある翻訳者の訳を見てみましょう。
- ある翻訳者の訳
食べたくないホウレン草を食べなければアイスクリームにありつけない、といったように、どちらがよいかをためす手段がないのに不愉快な二者択一をしなければならないような場面に子供はよく出会う。
この翻訳者は、unpleasant alternatives (either you eat your spinach or you go without ice cream)の箇所を「食べたくないホウレン草を食べなければアイスクリームにありつけない、といった(中略)不愉快な二者択一」と訳しています。ただ、これでは二者択一ということが理解しにくいですね。
二者択一といえば、「AかBかのいずれか一方」という意味ですから、Aが何でBが何かがすぐにわかるように訳したほうが読みやすいでしょう。ところが原文を直訳すれば、「ホウレン草を食べるか、アイスクリームなしですますか」という二者択一になっています。もちろん原文どおり訳してもいいのですが、私は原文にはない言葉を補って訳してみました。
- 宮崎訳
幼児は、予測する気にもなれないような面白くない二者択一(嫌いなホウレン草を食べるか、食べない代わりに好きなアイスクリームを諦めるかなど)に常に直面している。
原文にはない言葉を補うのにはそれなりのリスクがあります。補わないほうがいいという考え方ももちろんあるでしょう。しかし、ここではすっと読める訳文にするためにあえて原文にはない言葉を補って訳してみました。一例としてお考えいただければ幸いです。
今回は、間投詞と名詞が一体化している場合と読みやすくするために言葉を補う場合を考えてみました。
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