英文中の押韻をどう処理するか
今回は、英文中の押韻をどう処理するかについて考えてみたいと思います。
英語で書かれた本を読んでいると、ときに韻を踏んでいる文に遭遇します。英語だけ読んでいる場合は何も問題ないのですが、その文を訳すとなると困ってしまいます。なぜならそのまま訳しただけでは韻が踏んであることが訳に反映できないからです。
意味さえ分かれば良いという考えかたもあるでしょうが、せっかく韻が踏んであるのですから、それをなんとか訳文にも反映したいものです。でも、そんなことができるでしょうか。
では、いつくかの例で検討してみましょう。まずはことわざからです。次のことわざはどう訳すといいでしょうか。
No pain, no gain.
この場合、pain と gain に韻が踏んであるのですが、韻が踏んであることを訳文に反映するにはどうすればいいでしょうか。
よく見られる訳:痛みなくして得るものなし。
これはこれで悪いわけではないのですが、韻が踏んであることが訳文に反映されていません。韻が踏んであることを表現しようと思えば、たとえば、相当する英語の読み方をかっこ書きして表現したり、ルビを付けたりすることで表現したりすることができます。ここではかっこ書きで表現してみましょう。
宮崎訳:痛み(ペイン)なくして得るもの(ゲイン)なし。
次はエジソンの名言です。これをどう訳せばいいでしょうか。
“Genius is one percent inspiration and ninety-nine percent perspiration.”
よく見受けられる訳:天才とは、1%のひらめきと99%の努力である。
このような訳をよく見ます。先ほどの要領で原文に韻が踏んであることを表現してみましょう。
修正訳:天才とは、1%のひらめき(インスピレーション)と99%の努力(パースピレーション)である。
ただ、こうしてしまうと、「努力」のすぐあとに(インスピレーション)が付いているので、違和感を抱く人もいるでしょう。私なら次のようにします。
宮崎訳:天才とは、1%のひらめき(インスピレーション)と99%の発汗(パースピレーション)である。
次は少し難易度の高い例を見てみましょう。次の例はある人生論からの引用です。良い人々は深い傷を受けてもそのままではないということを言っています。
Good people turn their scars into stars.
この場合は、scars と stars が韻になっていると考えられます。とりあえず、韻を考えずにそのまま訳してみましょう。
直訳:良い人々は傷を星に変える。
しかし、傷が星に変わることは現実にはありえません。もっとよい訳し方はできないでしょうか。
まずは stars の意味を辞書で調べてみましょう。すると「運」とか「運勢」という意味があることがわかります。こちらのほうが良さそうです。ここでは「運」を使って訳を修正してみましょう。これを反映して訳すと「良い人々は傷を運に変える」となります。
修正訳①:良い人々は傷を運に変える
しかしこの訳文だけを読んだ訳者は、原文では「傷」と「運」に韻が踏んであることは分かりません。韻が踏んであることを示してみましょう。
修正訳:良い人々は傷(スカー)を運(スター)に変える。
もう修正する箇所はないでしょうか。「良い人々」とはあまりに漠然としています。goodの意味を大辞典で調べてみると、「道徳的にすぐれた」とか「高潔な」といった定義がありました。こちらのほうが原著者のいいたいことに合っている感じがします。日本語としても読みやすく工夫してみましょう。
宮崎訳:高潔な人々は傷(スカー)を負うことがあっても、その経験を活かして運(スター)を切り開く。
こうすれば日本語としても読みやすくなり、原文では韻が踏んであったことを表現できます。ただし「高潔な人々」という言葉を難しく感じる場合は、「良い人々」の代わりに「徳の高い人々」でも「道徳的にすぐれた人々」でもかまいません。
このように意味も押韻も訳文に表すことができるのなら、それに越したことはありません。しかし、それが極めて困難なことがあります。たとえば、次のような英文の場合を考えてみましょう。
Humpty Dumpty sat on a wall:
Humpty Dumpty had a geat fall:
All the king’s horses and all the king’s men
Couldn’t put Humpty together again.
韻が踏んであることを度外視して、意味だけを訳すことはできます。とりあえず、韻が踏んであることは度外視して意味だけを忠実に訳してみましょう。
直訳:
ハンプティ・ダンプティは壁の上に座った。
ハンプティ・ダンプティは落っこちた。
王様の馬と家来の全部がかかっても
ハンプティを元に戻せなかった
しかし、訳文中に韻が踏んであることを示すことは困難を極めます。なぜなら、wallに相当するのが「壁」であり、had a great fallに相当するのが「落っこちた」、menに相当するのが「家来」、againに相当するのが「元に」だからです。このようなケースで原文に韻が踏んであることを表現するのは少しやり過ぎな感じもします。こういう場合は、韻が踏んであることは度外視し、意味だけを訳したほうが良さそうです。
今回は、英文中の押韻をどう処理するかを考えてみました。韻が踏んであることを度外視して意味だけを訳すのが悪いわけではありませんが、韻が踏んであることを表現することを考えるとより味わいのある訳文になることでしょう。
次のリンク先に飛べば、ひろゆき氏をはじめ多くのコメンテーターに対して翻訳業界の現状を語りあう報道番組にわたしがゲスト出演した際の動画が無料で視聴できます。
https://abema.tv/video/episode/89-66_s99_p3575
拙書『出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記』(三五館シンシャ)が発売中です。出版翻訳家(およびその志望者)に向けた私のメッセージが詰まった本です。参考まで手に取っていただければ幸いです。
また、『自分を変える! 大人の学び方大全』(世界文化ブックス)が発売中です。英語の学習の仕方についても述べておりますので、興味のある方はお手にとっていただければ幸いです。