色に注意して訳す
今回は「色」の訳し方を検討していきます。
唐突ですが、一つ質問を出しましょう。虹は何色で成り立っているでしょか。
当然、7色と答えるでしょう。しかしここでよく考えていただきたいのです。7色というのは客観的な事実でしょうか。
虹とは赤から紫までの異なる色の光線が連続的に展開したものであり、7色それそれに明確な区切りがあるわけではありません。たまたま日本ではそれを7色として見なしているだけにすぎないのです。興味深いことに、世界には虹を6色と捉える言語もあれば5色と捉える言語もあります。
この例から分かるように、日本語における色の捉え方が外国語における色の捉え方が異なる場合があります。「色」に注意して訳さなければならない理由はここにあります。
実例を見ていきましょう。
(1)色の捉え方がが日本人と英米人とでは違う場合
次の英文はアガサ・クリスティの「The Clocks」からの引用です。文中の orange に注目してください。さて、あなたはどう訳すでしょうか。
I looked up the numbers I was passing. Diana Lodge (presumably 20, with an orange cat on the post washing its face), 19・・・
注目していただきたいのは、an orange catです。これは何を指すのでしょうか。
これは鈴木孝夫氏の『日本語と外国語』の中で紹介されていたものですが、言語学者である彼でさえも最初に読んだとき、an orange catの意味が分からなかったそうです。
じつは英語の「orange」は日本語でいう「オレンジ色」だけでなく「赤茶色」や「チョコレート色」も含まれるのです。一方、日本語でいう「オレンジ色」とは「オレンジの果実のような色」しか指しません。
私がはじめてこのことを知ったのはイギリス留学中のことでした。試しにイギリス人にチョコレート味のコーンフレークを見せて何色か尋ねてみたら「orange」と答えたので、納得したのでした。
つまり、日本人から見れば「茶色」にしか見えない色でも英語話者にとっては「orange」に見えるということもあるのです。したがって「an orange cat」は「オレンジ色のネコ」ではなく「茶色のネコ」と訳さなければなりません。
(2)色の捉え方が同じでも、言葉の上での使い方が英語話者と日本語話者とでは異なる場合
次の例を見てみましょう。これは色に関するある本から引用したものです。「子供に”変な”色をしたモノを見せると、それが何かを認識するまでにより長い時間がかかる」といった内容の文です。
Research shows that if you show a kid a picture of a blue apple, as oposed to a red one, and ask them what the object in the picture is, it will take them longer to recognize it as an apple. They are likely to think that a blue apple is funny.
直訳:青いリンゴの絵を子供に見せて、それは何かとたずねると、リンゴだと認識するまでにかかる時間が赤いリンゴのときよりも長いことが研究により明らかになっています。子供たちは、青いリンゴは「奇妙でおかしい」と思うものです。
さて、ここで注目していただきたいのは、a blue appleです。上の訳では「青いリンゴ」と訳されています。一見、これで問題なさそうに思えます。
しかしもう一度考えてみてください。訳文の最後の文を読んでみてください。「子供たちは、青いリンゴは『奇妙でおかしい』と思うものです」とあります。はたして「青いリンゴ」は「奇妙でおかしい」ものでしょうか。
これは英語の「blue」と日本語の「青い」が一致しないことを考慮しなかったための誤訳です。
日本人は「青いリンゴ」という言葉から「緑色ではない、青色のリンゴ」を思い浮かべることはありません。
「青いリンゴ」とか「青リンゴ」で画像検索してみてください。緑色のリンゴが出てきます。日本語では緑色のリンゴのことを「青いリンゴ」とか「青リンゴ」というのですから当然です。
ところが日本語でいう「青いリンゴ」は、英語では「green apple」に相当し、英語の「blue apple」はまさに「緑色ではない、青色のリンゴ」のことを指すのです。自然界にはそんな色のリンゴは存在しませんが、アメリカではロゴとして青色のリンゴを使うこともあるようです。「緑色ではなく青色をしたリンゴ」と修正してみましょう。
修正訳:緑色ではなく青色をしたリンゴの子供に見せて、それは何かとたずねると、リンゴだと認識するまでにかかる時間が赤いリンゴのときよりも長いことが研究により明らかになっています。子供たちは、緑色ではない、青色をしたリンゴは「奇妙でおかしい」と思うものです。
しかし、これではあまりにも長くなります。
この研究では「子供たちに変な色をしたモノを見せると、それが何かを認識するまでにより長い時間がかかる」ということがいいたいので、「緑色ではなく青色をした」と長ったらしく言って訳文を読みにくくしなくても、ほかの色でもいいのです。
ただ、原文に blue appleが使われているので、あまりかけ離れた色を使うのはまずいでしょう。何かいい手はないでしょうか。
英和辞典を引いてみましょう。するとbuleの訳として「青色」以外にも「藍色」とか「紺色」という訳語がありました。そうです、blueは日本語でいう「藍色」や「紺色」も含まれるのです。
ここでは「紺色」を使って訳を修正しましょう。
宮崎訳:紺色のリンゴの子供に見せて、それは何かとたずねると、リンゴだと認識するまでにかかる時間が赤いリンゴのときよりも長いことが研究により明らかになっています。子供たちは、紺色のリンゴは「奇妙でおかしい」と思うものです。
これで誤解を招かずにbule appleを読みやすく訳したことになります。
今回のポイントをおさらいしておきましょう。
原文に色を表す言葉が使われている場合、英語話者と日本語話者とでは色の捉え方や言葉の上での使い方が異なる場合があることに注意して訳す。
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