スッと頭に入る訳文を目指す
前回ご紹介した和訳のポイントをおさらいしてみましょう。
「出版翻訳においては、その主たる目的が原著者の思想や感情を伝えることである場合、一語一語にこだわって訳すのではなく、原著者が伝えたいことを汲み取って、そのメッセージを読みやすい日本語として表現することを心がける」
これを平たく言えば、「スッと頭に入る訳文を目指す」ということになります。
なぜこれが出版翻訳において重要かといえば、出版翻訳は産業翻訳とは異なり、訳書を売ることが最大の目的であることが挙げられます。というのも出版社は訳書が売れて初めて経営が成り立つのであって、読みにくくて読者にそっぽを向かれるような訳書では経営が成り立たないからです。このような側面がある以上、出版翻訳家は一にも二にも読者がスッと頭に入ってくる訳文にしあげることを心がけなければなりません。
さて、ではここで同じ原典を訳した複数の翻訳家の訳文をを比較してみましょう。次はジョセフ・マーフィの『Within You is The Power』の訳書からの抜粋です。ここでは日本語としてスッと頭に入るか否かを考えていただきたいので、原文はあえて載せておりません。
A氏の訳「人類のほとんどは依然として四本の足で歩いています」
スッと頭に入ったでしょうか。「人類のほとんどは依然として四本の足で歩いています」と言われても、そもそも人類には四本も足がありませんから論理的におかしな文であることが分かります。
読者にとって原著者が意図しようとしたことを知る手がかりはこの訳文しかありませんから、論理的におかしな文の場合、「これは比喩として言っているのかな?」と推測しなければならなくなります。しかし読者に推測を強いるような訳文はスッと頭に入る訳文とはいえません。
スッと読める文に変えることはできないでしょうか。
論理的におかしな訳文を見つけたら原文を確認してみましょう。すると原著者は「人間は赤ん坊の頃はよつんばいで這って進むが、やがて二本足で歩くようになる。しかし実際は成人になっても『よつんばい』で這っている人がほとんどである」と言いたかったことが読みとれます。そこで「四本足」を「よつんばい」に変えてみましょう。
宮崎訳「我々は成人になってもまだ「よつんばい」で這って進んでいる人がほとんどなのです」
成人になってからの「よつんばい」はもちろん比喩として使っているので、比喩であることが分かるようにカッコ付きにしました。
次にエマニュエル・スエーデンボルグ著の『Heaven and its Wonders and Hell』の訳を比較してみましょう。
スッと頭に入るかどうか考えてみてください。
A氏の訳
「天人の間にて、同気相求め、同類相集まる趣は、自からにして燃えるが如きものあり。そは類似たるものと倶に居るは、自己と同居するが如く、己が家郷に住むが如くなれども、相似ざるものと倶なるは、外人と同居し、又他郷に住むが如くなればなり」
A氏は「同気相求め」「家郷に住む」「倶に居る」「他郷」など、頻繁には使われない日本語を使っています。これはスッと頭に入ってこない人も多いでしょう。
B氏の訳
「天人間で同気相求め、同類相集まる状態は自然の摂理で、相似たものと共に住むのは己れと同居し、己が家郷に住むようなものであるが、相似ないものと一緒に居るのは外人と同居し或いは異郷に住むようなものである」
B氏も「同気相求め」「家郷に住む」という言葉を使っていますし、「己れ」という言葉もあります。やはりスッと頭に入ってこないという人が多いでしょう。
C氏の訳
「似た者はその似た者にいわば自発的に引きよせられている、なぜなら彼らは彼らに似た者とは、彼ら自身の者と共にいるように、また家庭にいるようにも感じるが、他の者とは見知らぬ者と共にいるように、また外にいるようにも感じるからである」
D氏の訳
「似た者どうしは集まります。似た者どうしは、身内といっしょに家にいるようなものです。他人の場合、外国で外国人といっしょにいるようです」
C氏もD氏もA氏、B氏と比べれば、スッと頭に入って来るという人が多いでしょうが、ひっかかるところはないでしょうか。
C氏の「家庭にいるように」や「家にいるような」は、feel at homeを訳したものです。at home という単語にこだわりすぎるとこのように「家庭」とか「家」という訳文になるのですが、feel at home は「くつろいでいる」という意味があります。またD氏の「外国人」はforeigner を訳したものですが、foreignerは「見慣れない人」という意味もあります。
原著者の意図することを汲み取って、それを日本語で表現してみましょう。
宮崎訳「似た者どうしはお互い引き寄せられます。なぜなら似た者と一緒にいるときは身内と一緒にいるようにくつろげますが、似ていない者といるときは見ず知らずの者といるようで落ち着かないからです」
今回は2つの例を挙げて検討してきましたが、このように日本語として読んだときにスッと頭に入って来ない場合は、スッと頭に入る訳文に推敲する必要があります。その場合、原文に戻って原著者が意図することは何か考え直してみましょう。
今回のポイントをおさらいしましょう。
○訳文を読み返してみてスッと頭に入ってこない場合は、原文に戻ってスッと頭に入る訳文に推敲する必要がある。
次回は実際の英文を取り上げて、それをどう訳せばスッと頭に入る訳文になるかを検討します。
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