第298回 訳語や校正について
前回の原書選びのヒントに引き続き、国枝成美さんの出版お祝い会での話題の中から、ご参考になりそうなことをお伝えします。
定訳がない場合に「この訳語にしよう」と決める時の判断基準について、参加者からご質問がありました。国枝さんは、『根性論や意志力に頼らない 行動科学が教える 目標達成のルール』の翻訳に際して、なぜその訳語にしたのか、編集者さん宛てに細かい申し送りをつけたといいます。たとえば、こんな具合です。
「ネット上では〇〇と××があって××がいちばん多いですが、原書の参考文献の和訳では〇〇が用いられているので、自分は〇〇がいいと思います。いかがでしょうか?」
編集者さんに判断を仰ぐ形にはなりますが、その訳語を選択した根拠がきちんと示されていれば、翻訳者の提案を尊重してくださる編集者さんが多いでしょう。実際、本書での提案も全部採用していただいたそうです。その書籍をいちばん読み込んでいる翻訳者として、自分なりの意見を持ったうえで、迷う部分は編集者さんにご相談するのがいいでしょう。
翻訳したい原書を見つけた時に、その分野に関連する本を読む割合を増やしているのかというご質問もありました。国枝さんは、そのように努めているそうです。「『根性論や意志力に頼らない 行動科学が教える 目標達成のルール』は、予備知識がなくても読める本で、そこがいいところです。だけど翻訳者である自分は、その内容を正確に伝えるために、より深く知っておきたい、そう心掛けるようにしています」という国枝さん。背景知識があるほうが内容の理解も深まりますので、できるだけ読んでおいたほうがいいでしょう。
本書の校正が1回だったことに対して、通常は3回くらいあるのではないかというご質問もありました。これは刊行スケジュールなどの事情があったためで、たしかに通常は3回くらいあるでしょう。ただ、国枝さんは、1回でも問題なく進められるように、翻訳を提出する段階ですごく気を遣っていました。もし出版社の都合で短納期で対応したのであれば話は別ですが、今回は自分の都合でスケジュールを調整してもらったので、提出した翻訳に多くの間違いや推敲不足があってはならないと考えたからです。そのため、フルでの推敲を3回したうえで提出したといいます。
そんな高いプロ意識を持つ国枝さんですが、この企画に参加するまで、持ち込みはベテランの翻訳家など、ごく一部の人のみができることだと思っていたそうです。たくさん訳書実績ができて実力が認められて初めて編集者さんにご相談に乗っていただけると思っていたのです。そういう思い込みがあると行動を起こそうとも思わないでしょうし、下手をしたら、ベテランになるまで何十年も持ち込みをしないことだって考えられますよね。高い実力のある方でも、思い込みにとらわれて行動を起こせないこともあるのでしょう。私がこの連載を始めたのも、そういう事例があることを知ったからですが、思い込みを手放すことの大切さをあらためて感じました。
翻訳会社についても話題に上りました。翻訳会社によっては、表向きは持ち込みを受け付けていないものの、何かとっかかりがあれば個別に相談に乗ってくれて、出版社に当たってくれるところもあると聞きます。ただ、持ち込みが成功しても、さまざまな事情から、思うような条件で契約できないこともあるかもしれません。詳細は不明ですが、翻訳書ではなく著書の場合には、出版社に紹介する際、仲介する会社は印税の30パーセントを手数料としているところが多いので、同様のことを想定しておくといいのではと思います。最悪の場合は、企画が採用されても、自分は翻訳を任せてもらえないかもしれません。持ち込みの際には、その点も確認しておいたほうがいいでしょう。
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