第296回 出版翻訳家デビュー記念インタビュー~国枝成美さん 後編
出版翻訳家デビューサポート企画から見事にデビューを果たされたKさんこと国枝成美さんのインタビューをお届けしています。国枝さんが翻訳された『根性論や意志力に頼らない 行動科学が教える 目標達成のルール』について、翻訳上の工夫や、読者へのアドバイスを伺いました。
寺田:翻訳をされるうえで、どんな工夫をされたのか教えてください。
国枝:エビデンスや理論の説明は極力、論理的かつ中立的に、アカデミックな文体で訳すように心がけました。本書に限らず、翻訳するうえでいつも心がけていることがあって、それは「ネイティブとして原書を読み、日本人として書く」ということです。つまり、誤読せずに理解して、それを日本人の作者が最初から日本語で書いた文章のように見せるということです。そのまま訳すとどうしても翻訳調になりますので、日本語としてストレスなく読めるように、文を切ったり、くっつけたり、語順を入れ替えたり……とかなり工夫しました。
寺田:「私の翻訳のここを見て!」という点があれば、ぜひご紹介ください。
国枝:いや、それはないです(笑)。出来上がってきたのはうれしいんですが、何か見つけてしまいそうで、怖くて読めないんです(笑)。
寺田:お気持ちはわかります(笑)。本書のようなビジネス書を手がけたいと思っておられる方も多いでしょうから、そういう方へのアドバイスをお願いします。
国枝:ビジネス書に限らず、持ち込みで玉砕が続いても、とにかくめげないことです。ご縁やタイミングが必ずあると思います。本書も、持ち込み企画を受け付けているサイトで2社が検討してくれたのにダメでしたし、他にも別の翻訳会社経由で当たってダメだったので、お蔵入りになっていました。それが、別のフィクションの企画を進めていたことがきっかけで本書を出してみたところ、それがタイミングよく形になって、出版することができました。タイミングやご縁というものがあるんだな、ということをすごく感じています。この1、2年で行動経済学が注目されるようになり、流れができていたというのもあります。なので、1、2回うまくいかなくても、じっくり手元で企画を熟成させる期間があってもいいと思います。その間に流れが変わったり、新しいご縁ができたりすることもあるので、焦らずに自分の選んだ本を信じて大事にしていけばいいのではないでしょうか。
寺田:本書のようにビジネス書でも待っていて大丈夫だったことを考えると、絵本や文学作品などはもっと待てる時間も長いでしょうし、ゆったり構えて取り組んでもいいのかもしれませんね。国枝さんは、出版翻訳をするために出版関係に近いお仕事に就かれたり、本選びでも新聞の書評欄などで出版業界の流れを読んだり、大局的な見地からじっくり取り込んでいらっしゃるのが印象的でした。こういうアプローチもあるのかと思いましたし、正しい姿勢で臨んでいると、やはりきちんと成果が出るのだなと感銘を受けました。この出版翻訳家デビューサポート企画にご参加いただいて、どんなことがご参考になりましたか。
国枝:客観的に第三者の立場から企画書や訳文にアドバイスをいただけたのは、とても心強いサポートでした。翻訳者はすごく孤独ですし、訳文や企画書は独りよがりになりがちですので、それを客観的に見てもらえたのはありがたかったです。編集者さんはどういう目で見るかという視点でアドバイスをいただけたのも、私では持ちえない視点なので、勉強になりました。また、企画参加者の奮闘ぶりを連載を通して拝見しているので、みなさんの熱意や工夫にすごく刺激され、勇気をいただきました。
寺田:自分ひとりで頑張っていても、ネックになる部分があるのですね。
国枝:編集者さんとのつながりがないのが大きな関門だと思います。それは自分の努力だけではどうにもできないので、ご紹介いただけたのは本当にありがたいです。技術を上げることは自分の努力である程度できますが、人とのご縁をつくるのは、なかなか難しいです。実績がないと編集者さんにつながらないですし……。翻訳会社経由のお仕事だと、編集者さんに直接コンタクトする機会もほとんどありません。直接編集者さんとつながるということは、ものすごく大事だと思います。今回はお仕事を通して編集者さんと知り合うことができたので、今後持ち込みをしたいと思った時にアタックする先があるということは、すごくモチベーションにつながります。
寺田:企画を求めている編集者さんもいらっしゃるはずなので、どうすればうまくマッチングしていけるのか、考えているところです。ところで、どうしてペンネームにされているのでしょう? 翻訳家には本名でお仕事をされている方が多いので、ペンネームの方は珍しいなと思いました。
国枝:私は本名が少し珍しい名前なので、その名前だとすぐに気がつかれてしまうと思ったんです。もし誤訳がいっぱいあってネットで炎上したりしたら、子どもたちや家族に迷惑がかかるんじゃないかとか、いろいろなことを考えて(笑)。注目されるのがすごく苦手で、なるべく隠れていたいタイプなんです。あまり自分が出ないほうが居心地がいいんです。
寺田:そうだったんですね。同じようなタイプの方のご参考になるかもしれませんね。ペンネームについては、「ペンネームは必要?」という記事も書いていますので、読者のご参考になればと思います。今後の抱負を教えてください。
国枝:別の仕事もしているので、翻訳に向き合える時間や心の余裕がどうしても限られてしまいます。なので、実績が少なくてもいいので、自分が本当に楽しめる、意義があると思える作品をゆっくり手がけていきたいです。そのためには良い原書との出逢いを大切にしたいと思います。流行りものや話題作はベテランの方に仕事が行きますので、私はお呼びではないと思うんです。だから、じっくり良い作品を見極めて、企画が通る保証がなくても翻訳を進めていって、企画を温めて、時が来たら、いつでも全訳付きで企画書を出せるようにストックを持っていたいです。今回は6か月という長い翻訳期間をいただきましたが、それでもやっぱりきつかったんです。仕事をしながら家のこともして、ずっと追われている感じで落ち着かなかったので、今後はゆっくりペースで良い作品を探していきたいです。最終的にはフィクションをやりたいのですが、本書の経験を通して、ノンフィクションのほうが向いているのかもしれないという気もしています。ノンフィクションも含め、「これは」と思える作品をゆっくり手がけたいです。
寺田:ノンフィクションは、たしかに向いていらっしゃると思います。でも、長編小説の企画も、本書とはまた違う意味ですごく面白そうな内容ですし、国枝さんの翻訳で読めることを期待しています。最後に読者へのメッセージをお願いします。
国枝:本を1冊訳すのは、膨大な時間がかかる、すごく孤独な作業だと思うんです。調べ物や文章の推敲には、「ここまでやったら終わり」というのがないですし……。それだけの時間と労力を注ぐのだから、やはり自分の好きな本、納得のいく作品を手がけたいです。いつも企画を通せるわけではないですし、仕事を選べるようになるかどうかもわかりませんが、「自分はこれが好き!」というものをあきらめないで、こだわっていきたいです。読者のみなさんに対しても、そう思います。こだわっていけば、おのずとそういう方面にアンテナが伸びて、人や情報を引きつけられるようになると思います。私は逆算の発想で本書を選びましたが、そういう発想ではなく、正攻法がいいかなと思いました。
寺田:逆算の発想でも、国枝さんの読みが当たったわけですから、その選書眼はひとつの武器になると思いますよ。読者の方々にも、学びの多いお話だったことと思います。この度はご出版本当におめでとうございます! 本日はありがとうございました。
国枝さんの取り組みを拝見していて、堅固な建物を築いていくようなイメージを持っていました。プレハブと違って、建てるのには時間がかかるけれども、出来上がったものは頑丈で頼りになります。広い視野でしっかり考えたうえで道を選び、着実に積み重ねていく。そういうことの大切さと強さを学ばせていただきました。
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