第295回 出版翻訳家デビュー記念インタビュー~国枝成美さん 前編
出版翻訳家デビューサポート企画から見事にデビューを果たされたKさんこと国枝成美さん。国枝さんが企画を持ち込んだ『根性論や意志力に頼らない 行動科学が教える 目標達成のルール』(オウェイン・サービス/ローリー・ギャラガー著)が9月20日に発売されました。国枝さんは翻訳会社経由で書籍の翻訳を手がけられたことはありましたが、ご自身の企画が通っての出版翻訳は初めてです。今回の連載では、デビュー記念インタビューをお届けします。原書選びや翻訳で大変だったことなど、読者のご参考になるお話を伺いました。
寺田:この度はご出版おめでとうございます。デビューサポート企画に応募してくださったきっかけから、まずは教えてください。
国枝(以下敬称略):私は以前に翻訳会社経由で数冊の翻訳実績があったのですが、できればいつか自分で企画を持ち込みたいと思っていました。ですが、なかなか思うようにいかず、それは自分の翻訳スキルが足りないからだと思い、スキルを身につけようと、翻訳の通信教育を受けたり翻訳学校の講座に通ったりしました。結構いろいろとやったのですが、実務翻訳であれば、トライアルを受けてそれに受かれば仕事のチャンスが広がりますが、出版翻訳の場合は、編集者さんとの出逢いがない限り、きっかけが得られないんです。どうすれば出版翻訳の道が拓けるのか、ずっと悩んでいました。とにかく編集者さんの目に留まるような行動を起こしていかないとダメだなと思っていたんです。でも、編集者さんへの伝手もないですし、コロナの時期でしたので知り合えるようなイベントもなく、どうしようかと行き詰まっていました。そこで、翻訳学校を通じて、下訳の仕事の経験を積むことから編集者さんにつながることを考えましたが、なかなかご縁がありませんでした。これでは全然広がらないと感じ、どうしようと思って「翻訳出版」「翻訳講座」という言葉でネット検索をしていた中でこの連載に行き当たりました。普段あまりネットを見ないので、それまで全然知らなかったんです。「こういう記事を書いている方がいるんだ!」と思って読み始めて、しばらくたった頃に出版翻訳家デビューサポート企画のご案内があったので、申し込ませていただきました。
寺田:長い道のりを経て、たどり着いてくださったんですね。
国枝:そうですね。出版翻訳の場合、スキルはもちろん大事ですが、出版社や編集者さんにつながるご縁がないと、どうにもならなくて……。「【書籍の出版】翻訳者募集」というような公募もないですし。翻訳会社経由で持ち込みもかなりしていました。持ち込み企画を受け付けているサイトがあって、そこに企画書と試訳を掲示すると、出版社がそのサイトを見に来て、気に入った書籍があればオファーをするというシステムになっています。そこにも何度か載せましたが、全然目に留めてもらえず……。いったいどこに行けば出版につながる方に出逢えるのかわからなかったところに、この連載を見つけることができました。
寺田:そうだったんですね。持ち込み企画を受け付けているサイトに掲示しても、なかなかオファーは来ないものなのでしょうか。
国枝:数か月間企画を掲示するようになっていて、3、4作品掲載したと記憶していますが、オファーがないことが多かったです。ただ、『根性論や意志力に頼らない 行動科学が教える 目標達成のルール』の原書だけは、2社から興味があると言っていただけて、検討していただくところまでいきました。でも、結局どちらも採用には至らず、その後お蔵入りになっていたんです。掲示されている作品を見ると、成功率が高いのはビジネス書や自己啓発書でした。絵本や小説など、文学系の作品はなかなか書籍化に至っていないように見受けられました。翻訳書で需要があるのはビジネス書や自己啓発書のように回転が速いものなのではないかと思い、そういうところを中心に攻めていけば、どこかで拾ってもらえるかなと考えたんです。私が本当にやりたいのはフィクションなのですが、まずはビジネス書や自己啓発書からきっかけをつくるしかないと考えました。
寺田:では、そういうことも考えて、この原書を選ばれたのでしょうか。
国枝:はい、そうです。不純な動機というか、下心ありありで探した書籍です(笑)。出版翻訳家デビューサポート企画にご参加の方々のお話を伺っていると、本当にその作品に思い入れがあって、世に出したいと考えている方が多いですよね。私も、もうひとつのフィクションの企画に関してはそういう思いでいるのですが、本書に関しては、もちろん感銘を受けた本ではあるのですが、そもそもの探し方からして、「日本の出版社に受けそうな自己啓発書を探すしかない!」という目で探して見つけたものです。新宿高島屋の紀伊國屋書店にある洋書コーナーに立ち寄った時に、ちょうどセールをやっていたんです。20パーセントオフのシールを貼られて平積みになっていた書籍のうちの1冊が本書の原書でした。タイトルが印象的だったので、内容も面白いかもしれないと思い、軽い気持ちで買って帰りました。動機が不純で申し訳ないのですが……(笑)。
寺田:逆算して考えることも大事ですからね。ターゲットを見て、求めるものを提供していくのも、ひとつのやり方です。それで面白いものをしっかり探し当てるところがすごいです。
国枝:本を探し始めた少し前に、『Think clearly』という本がすごく売れていて、それ以降、『Think~』というタイトルが流行りになっていたんです。本書の原書のタイトルは『Think Small』なので、目に留めてもらえるのではないかと思い……本当に下心見え見えで選んだ本でした。
寺田:でも、実際に読んでみて面白かったから、企画につながったわけですものね。持ち込み企画を受け付けているサイトに掲示された頃は、日本で今ほど行動経済学が注目されていませんでしたよね。
国枝:そうですね。その当時はまだ、メディアでもあまり取り上げられていませんでした。
寺田:その後、今回の企画として出した時点では、結構波が来ていましたよね。
国枝:そうでしたね。
寺田:企画が通ってからご出版に至るまでは、どのようなスケジュールで進んだのでしょうか。
国枝:当時本命だったフィクションの企画の他に、ビジネス書の企画もあることを寺田さんにご相談して、編集者さんにお話をつないでいただいたのが去年の5月のことでした。8月には編集者さんから版権のオファーを出すというご連絡があり、9月には版権が取れたというご連絡がありました。11月には翻訳料などを含めた条件を正式にご提示いただきましたので、とんとん拍子に進んだ感じがします。ただ、編集者さんはきっと3か月ぐらいの納期を想定されていたと思うのですが、私の仕事やプライベートの事情もあり、今年の6月末まで翻訳期間をいただきました。
寺田:翻訳について、編集者さんとはどのようなやり取りをされていたのでしょうか。
国枝:訳文の雰囲気が見たいということでしたので、1章分の翻訳をお見せしたところ、「基本的にこういう感じでいいです。ただ、少し翻訳調のところがあるので気をつけてください」というアドバイスをいただきました。それ以降は、まったく編集者さんとは連絡を取ることはなく、今年の6月に納品をしました。そこで担当編集者さんが決まり、原稿整理をしていただき、8月中旬に初稿をいただきました。その時点でデザインやレイアウト、帯のキャッチコピーまでほぼ決まっていましたね。刊行時期が9月に決まったことと、私が別の仕事をしていていつでも原稿を確認できる状態にはなかったこともあり、ゲラチェックは1回だけにしてほしい旨を担当編集者さんから伺いました。そこで、8月の10日間でゲラチェックを行い、あとはお任せしました。あっという間に形になったように感じます。
寺田:そのプロセスの中で、どんなことが印象に残っていますか。
国枝:ビジネス書をたくさん刊行されている出版社さんですし、担当編集者さんもビジネス書のベテラン編集者さんとのことでしたので、巻末の参考文献の提示の仕方や注の付け方に独自のルールがあると思っていたんです。それに従うように言われるのかと想定していたのですが、そういうことがなかったのが意外でした。版元さんの刊行書籍をいくつか見てみましたが、実際、本によって表記などは違っていましたので、社として統一しているわけではないのだと理解しました。こちらのやり方で提案させていただいて、ほぼそのままの形で書籍になりました。
訳文は納品前にかなり推敲しましたが、きっとまだ翻訳調の部分が残っているに違いないと思っていました。ビジネス書・自己啓発書として読みやすくするためにかなり手を入れられると覚悟していたのですが、ほとんど修正はありませんでした。同じ接続詞が続いていた場合に一部を言い換えていただいた程度です。
ただ、訳文自体を書き換えられることはあまりなかった代わりに、1行アキのスペースを入れて区切ったり、大事なポイントを太字にしたりといった、読者の読みやすさを考えたレイアウト上の工夫をしていただきました。「こういう工夫をすることで、こんなに読みやすくなるのか!」と、びっくりしましたし、編集者さんのスキルに感動しました。原書は講演録のように、パラグラフもあまりなく、文章がただただ続いているんです。翻訳者が段落を変えてはいけないと思うので、私の原稿も延々と改行のない文章が続いていました。それが、内容の節目に改行や1行アキを適宜入れることで、メリハリがついて、驚くほど読みやすくなるんです。編集者さんのお力だなあと思いました。
寺田:読者に読みやすく届けるという点では、やはり、編集者さんのお力が大きいですよね。本書は専門用語や事例も多いので、調べ物も時間がかかったのではと思いますが、翻訳ではどんなことが大変でしたか。
国枝:行動経済学の専門用語が結構出てきますので、日本語での定訳があるかどうかのリサーチには気を遣いました。定訳がなかったり、定訳とはいかずとも訳語が複数存在したりする場合に、どれを採用すべきか迷いました。何を手がかりにするべきかもわからなかったんですが、出典元があるものについてはその和訳書に当たり、そこで使われている用語を使うようにしました。基準を自分で持っていないと、この言葉はこの本の訳語を使う、この言葉はネット上の訳語を使う、という具合では軸がなくなってしまうので、「出典があるものは出典の和訳に準じる」というように自分の中で基準を決めました。その訳語を探すのが結構大変でしたね。もし定訳があるのに、それをきちんと使っていないと、この分野に詳しい方が読んだ時にすぐに目につくでしょうから、本書の信憑性に関わります。なので、定訳があるかどうかは結構気を遣って調べました。
寺田:行動経済学の知識はもともとお持ちだったのでしょうか。
国枝:一般常識程度の知識しかありませんでした。翻訳のために関連文献を読んだのですが、今振り返ると、もう少し時間をかけて読むべきだったという後悔があります。時間が足りなかったこともあり、関連がありそうなところを拾い読みして該当箇所を探すというやり方をせざるを得なかったんです。でも、本当は酒井瞳さんのように、いろいろな書籍を全部ちゃんと読みたかったなと思います。
寺田:拾い読みと言っても、やはり相当読み込まれたことと思います。国枝さんが考える本書の読みどころについて教えてください。
国枝:読みどころは、エビデンスがいろいろ紹介されていて、科学的な説得力があるところだと思います。エビデンスや実験の内容も専門的すぎないので、読者が親近感を持って読めると思いますし、自分に重ね合わせて考えたり実践したりできるのではないでしょうか。専門書的すぎなくて手に取りやすいと思います。
寺田:湿気たポップコーンの実験の話とかも、身近で面白いですよね。映画館でポップコーンを食べることが習慣になっている人は、湿気ていても食べるという……(笑)。こういう身近な例があると、普段の生活にどう応用するか考えやすいです。
国枝:私もこれまで数々の目標設定に挫折してきた人間なのですが、「こういうやり方なら自分にもできるかも」というヒントがいくつかあったので、読者にもひとつかふたつは、「これなら自分にもできる!」と思っていただけるのではないでしょうか。
寺田:ご自身でも実際に何かやってみましたか?
国枝:日記をつけるのに度々挫折してきたんです。そこで本書に出てくる「if-thenプランニング」という、「もしXだったらYをする」という方法を使って取り組んでみました。「これをしたら日記を書く」というやり方で、お風呂に入ったらすぐ書くようにしたんです。その結果、比較的続いています。今までは寝る前に書くことにしていて、度々挫折してしまっていました。眠いので、書くよりも寝ちゃうんです(笑)。だからいけないんだ、と思って。でも、お風呂なら毎日入りますし、髪が濡れていたりするので、すぐには眠れないから書けるんです。
寺田:そういう身近なところで使えるとうれしいですよね。本書の中で「シンドラーのリスト」を見るか、「バットマン VS スーパーマン」を見るかという話題がありました。その日に選ぶと、どうしても「バットマン VS スーパーマン」のように気軽な娯楽ものを見て、本来見たいと思っている「シンドラーのリスト」のような教養映画を見ることができないという内容でした。これは、本選びにも当てはまると思うんです。腰を据えて読もうと思っている本は、注文するのがつい後回しになって、すぐ読みたい手軽な本を買ってしまうんですよね。そこで、まずは「この本を注文する」と決めてスケジュールに入れて実行するようにしました。
国枝:そんなふうに、みなさんがそれぞれの生活の中で取り入れられるものがきっとあるはずだと思います。
後編では、翻訳上の工夫や読者へのアドバイスについてお伺いしていきます。どうぞお楽しみに!
※国枝さんが翻訳された『根性論や意志力に頼らない 行動科学が教える 目標達成のルール』に関する最新情報は版元さまのXをご覧ください。
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