第275回 編集者インタビュー~樋口真理さん(北烏山編集室) 後編
第274回に引き続き、北烏山編集室の樋口真理さんにお話を伺います。
寺田:すごく素敵なお仕事ぶりを伺って、これからも『オリンピア』のような作品を翻訳家の方々と二人三脚で出していかれるんだろうなあ、と楽しみになりました。御社では企画・編集のみを手がける作品と自社で刊行する作品がありますが、自社で刊行する作品はどのように選んでいるのでしょうか。ご自身の思い入れが強い作品になるかとは思いますが、通好みの文芸作品の場合、ビジネスとして成立させるのが難しい面もありますよね。「これを刊行する」というのはどのように判断されているのでしょうか。
樋口:『オリンピア』には越前敏弥さんも本書の訳者あとがきで書いておられたように特殊な事情があって、『オリンピア』があったから北烏山編集室をつくったようなものなので、例外的ですね。5月21日刊行の加藤洋子さんの『リーディング・リスト』も、三省堂時代に出したかったものです。企画書を2回上にあげたのですが、三省堂から文芸翻訳作品は出たことがないのでダメだと言われ、お蔵入りになっていました。でも、独立して、『オリンピア』も出して、今なら出せるのではないかと考えて動いたんです。いずれの本も、少し古い作品なので、版権料がさほど高くないという事情もあります。とはいえ版権料はかかりますし、翻訳家に対しても他社と同じ印税率でお支払いしたいので、そこを守るとなった時に、文芸作品は部数がそれほど出ないため、なかなか厳しいです。文芸書の出版社の経営者たちも、「最初から確実に3000部売れる企画なんてない」と言います。それをどう成り立たせるかは、模索中です。部数が限られる分、単価を上げられればいいのですが、本の価格って、ある程度決まっていますよね。このくらいのページ数だったらいくらくらい、と。そうするとどこかにしわ寄せが行ってしまうんですね。そんな中でどうしても刊行したい作品となると、翻訳家や自分に強い思いがあるものになります。採算度外視とは言わないですが、ある程度は売れると見込んだものですね。今後は、版権料がかからないものもやろうと思っています。著者没後70年経過しているものや、10年留保で版権料がかからない著者の作品などです。古典が多くなるでしょうが、版権料が浮くから少しは楽になりますよね。大手は売れるものとの組み合わせで何とかやっているので、ベストセラーで儲けて、他の作品は儲からなくてもいいわけです。だけど、小さい出版社は、儲からないものでも成り立つようにやっていかないといけません。お金儲けをしたくて出版社をやっているわけではないので、翻訳家と私たちの出したい気持ちを大事にしていきたいと思っています。とはいえ倒産してしまっては困るので、損しないくらいにできればいいかな、と。
寺田:どこもご事情は共通しているかと思います。そんな中での持ち込みとなると、基本的にお付き合いの長い方に限られるとは思いますが、もしかしたら、読者の中に『オリンピア』のような香りのする作品をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。「こういう作品であれば持ち込みを受け付けてもいい」と思われるものがあれば伺いたいです。
樋口:基本的には『オリンピア』と同じようなものですね。次の『リーディング・リスト』もそうですが、文芸作品で、あまり厚くないもの。私たちは持ち込みには全部きちんと目を通してお返事をしています。お付き合いがある先生に限るということは、まったくないです。ベテランの先生からのご紹介とか、パーティーで出逢った方から次の日にメールでお問い合わせをいただいたりとか、ホームページから来たりとか、色々なルートがありますが、どんなルートの場合でも、必ずお返事はしています。レジュメや試訳を読んで、おもしろそうだと思ったら、やる可能性はあります。「児童書はやらないんですか」と訊かれることもありますが、児童書まで手を広げるのは無理ですし、業界もきっちり固まっているので、そこは手を出すつもりはありません。うちの場合はまだ新しいので、何を手がけるかわからないから訊いてくださって全然かまいませんが、持ち込む時は、ある程度出版傾向を調べることが大事です。古い出版社の場合は、もっと出版傾向がはっきりしているわけですから。今のところ持ち込みで決まったケースはないですが、版権の問題のない古典なら、内容が良くて翻訳が上手で私たちもやりたければ、企画が実現する可能性はあると思います。
寺田:版権交渉はご自身でされているのでしょうか。それともエージェントを通してでしょうか。
樋口:エージェントさんを通しています。タトル・モリエイジェンシーや日本ユニ・エージェンシーやイングリッシュエージェンシーなどがありますが、翻訳学校の関係で日本ユニ・エージェンシーとのお付き合いが長いので、まずはこちらにご相談してみて、他のエージェントが担当ですよ、と紹介していただいたりします。翻訳家から版権の確認を依頼されて問い合わせをすることもあり、中にはすでに他社に取られてしまっている時もあります。だけど、そういうやりとりから「次に一緒にやりましょう」となる場合もあるので、遠慮せずに訊いていただけたらいいんじゃないかと思います。
寺田:持ち込みをしてもお返事をいただけないケースが多いですし、それで結構めげてしまう方が多いんですよね。
樋口:気持ちはわかります。ただ、ていねいに対応しようと思うほど時間がかかってしまうというのはあります。多くの場合はお断りをすることになるので、書く筆も重くなりますし……。大手は特に数が多いから大変でしょうね。でも、知り合いの若手翻訳家には、「あまりめげずに、どんどんやればいいんじゃない?」と言っています。人格否定されたわけじゃないんだし。断られても、断ってくれるということは、早く他社に持っていけるようにしてくれているんだと思えばいいんですよ。まあ、めげますけどね(笑)。うちの場合は、文芸だったらやる可能性はあります。あとはエッセイとか文学者の伝記とか。逆に、やらないのは社会派ノンフィクションや児童書。図版が多いものも難しいですね。
寺田:編集請負のお仕事もされていますが、今求められている原書や企画にはどのようなものがありますか。
樋口:請負で来るタイプの仕事というのがあるので何とも言えないのですが、私のところに来るのは、図鑑や辞典などコープロと呼ばれる共同印刷で、英語の文字の部分だけを変えて、図版を活かす形のものです。文学に比べて翻訳が簡単なわけではないのですが、出版社としては、翻訳のこなれ具合よりもスピードと正確さを重視する場合が多いので、比較的駆け出しの翻訳家にとって狙い目のお仕事だと思います。
寺田:そういうお仕事の場合、翻訳家の手配も樋口さんがされるのですか。
樋口:翻訳家が決まっていて依頼を受けるケースもありますが、こちらで選ぶケースもあります。また、「この本を出したい」という翻訳家がいる場合に、翻訳家とセットで、うちでは出せなくても他社に持ち込むこともあります。
寺田:そういうケースもあるとなると、可能性が広がりますね。
樋口:そうですね。色々なことをやってみていいと思うんです。今はすごく流動的で、出版社も変化している時ですし、今までのように「偉い先生が翻訳をして……」というスタイルではなくなってきています。どこも迷っているので、色々チャレンジして送ってみて、断られても、めげずに動くのがいいのではないでしょうか。フットワークの軽い人が得をすると思います。一生懸命やっている人に「あの人ったら、がんばっちゃって……」みたいに言う人はいないので、一生懸命やるに越したことはないです。ただ、ホームページで「持ち込みは受け付けていません」と書いているところには送らないほうがいいです。持ち込みが多くて対応しきれずに、本当に困っていると思うので。
寺田:一度に何社にも送ろうとする方もいて、「そういうものではないですよ」とお伝えすることもあります。あと、1週間くらいお返事がないともう待てなくて、次に送ろうとしたりとか。「もうちょっと待って」と……。
樋口:2週間くらいでお返事はしてあげたいと思いますね。1か月経つと、やっぱり申し訳ないので。たいていの場合、無理な場合にはすぐお伝えするようにしていますが。今は特に円安もあり、版権の値段が高くなってしまっているので、同じものでも今までの1.5倍くらい版権料がかかってしまいます。だから、どこに持ち込むにしても、版権の切れているもののほうが通りやすいと思います。
寺田:今までのお話の流れからして、ご自分で翻訳した作品を刊行することは考えておられないでしょうが、ちょっとやってみたいお気持ちはあったりします?
樋口:ないですね。というか、無理だなあ、と。翻訳の仕事は本当に大変ですし、自分がやるものではないと思います。先生方は「またやってみたら?」と言ってくださいますし、翻訳料の節約にはなりますが……。でも、それは本当に考えていないです。編集をやっていくこと、請負を少し減らして『オリンピア』のような自社出版を増やしていきたいと思っています。
寺田:実は、『オリンピア』の作者のデニス・ボックの『灰の庭』の原書を持っているんです。刊行時にちょうどカナダに旅行中で、現地の書店でたたずまいに惹かれて買い求めました。ずっと積読のまま本棚にあったんですが、『オリンピア』の作者だと気づいて、驚きました。樋口さんは『灰の庭』がお好きだったんですよね。
樋口:教科書の編集をやっている頃に小川高義さんの翻訳で読んで、すごくいい作品だなあと思ったんです。
寺田:それが『オリンピア』の出版につながるんですね。作品のご紹介をお願いいたします。
樋口:『オリンピア』は、本が好きな人なら、最初はちょっと辛いけど、最後まで読むと、すごく充実感が得られる作品だと思います。原文があまり語らないんですよね。全部を語りきらないため、行間が大事な作品です。原書は電子版がなく中古のみなので入手しづらいかもしれませんが、翻訳学習者なら原文も読んでもらうと、越前敏弥さんがどう日本語にしたか、すごく勉強になると思います。英語を読んで、日本語を読んで、英語の勉強にも、日本語の勉強にも、翻訳の勉強にもなると思います。文学好きの方なら読んで損はしないので、ぜひ読んでください。
寺田:『オリンピア』に続いて5月21日に『リーディング・リスト』が刊行されたばかりですが、こちらはどんな作品なのでしょう?
樋口:日系カナダ人4世の作家レスリー・シモタカハラによる自伝小説(オートフィクション)です。仕事も恋愛も思うようにいかず、心身ともにぼろぼろになって帰省した主人公が、定年退職した父と同じ本を読んでその本について語り合ううちに、少しずつ自信を取り戻し、自分が本当に求めていたものは何なのか気づいていく、というストーリーです。この本のおもしろいのは、全13章のタイトルがすべて、英米加の古典的な文学作品のタイトルになっているというところ。ナボコフやジョイスやウルフの作品に主人公がどのようにかかわっていくのか、背景として語られる日系カナダ人移民の歴史とあいまって、本好き、歴史好きにはたまらない内容になっています。倉本さおりさんの解説も素晴らしいので、ぜひ読んでみてください。
寺田:最後に、読者へのメッセージをお願いいたします。やはり、あきらめないこと、でしょうか……?
樋口:そうですね。あきらめないことですね。トライして無駄になることはないと思います。その作品がダメでも、編集者とつながりができれば、また別の時に「あの人がこういうことを言ってたなあ」となることがとても多いので。文芸翻訳は刊行できる数が少なく、すごく狭き門なのであきらめがちですが、越前先生ですら、7社断られて8社目で出たわけですから、偉い先生だからすぐ決まるわけでもないんですよね。あきらめずに作品の良さをきちんと伝えていっていただけたらと思います。あと、持ち込みの際には試訳はあったほうがいいですね。たまに企画もなく「何かやらせてください」とか、「何でもやります」と言う方もいますが、それだと仕事は一生来ないと思います。具体的に「これをやりたい」と持っていくのがいいと思います。
寺田:読者にもすごく励みになるのではと思います。ありがとうございました。
印象に残るようなお仕事をしようと、一つひとつていねいに取り組んでこられた樋口さん。長年の真摯な積み重ねが今、自社の刊行作品として実っておられるご様子に、感慨深くお話を伺いました。『オリンピア』の読書会に参加させていただいた際、「10年読まれるようにしていきたい」というお話をされていて、そういう時間軸でお仕事をされていることにとても共感しました。今後も翻訳家の方々に寄り添いながら、長年読み継がれるような作品を刊行していかれることでしょう。どんな作品を拝読できるのか、楽しみにしています!
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