第269回 絵を読み込んで訳す
先日、拙訳『なにか、わたしにできることは?』の読書会をオンラインで開催しました。絵本の読書会を毎月開催しているので、その中で取り上げることにしたのです。
主人公のおじさんは、新聞を読みながら、記事の内容に不安を募らせていきます。
“毎日、朝食をとりながら、
おじさんは新聞を読む。
一字一句、たんねんに。
ちっとも心を動かされない記事もあれば、
思わずにっこりしてしまう記事もある。
全身がふるえあがるような記事も、たくさんある。
おじさんは不安でたまらない。”
そんなおじさんの頭の中で、「なにか、わたしにできることは?」という言葉がぐるぐる回り出すようになります。この言葉がおじさんの口の中に忍び込み、口を開くと飛び出してくるようになるのです。すると、周囲の人たちがおじさんに頼みごとをしてきて、それに応えていくうちにおじさんの不安が薄れていく……というお話です。
読書会の開催にあたって新たな気持ちで読み直し、はじめて気づいたことがありました。大きく分けて3つあります。
1.犬のリードがなくなることの意味
まずは、犬のリードに関することです。おじさんが3人目、最後の相手となる「老人」に話しかける場面では、犬のリードがありません。それまでは外にいる時は必ずリードを持っていたのが、ここでなくなっているのはどうしてだろうと考えました。
2回の人助けをしたところまでは、おじさんにはその心づもりはなかったのに、口から出てきた言葉に導かれて仕方なく、という状況でした。けれども3回目の人助けとなるこの場面では、「なにか、わたしにできることは?」という言葉が口から出てくることをおじさんはわかっていました。他者に働きかけることをすでに受容していた、という精神状態の変化があるのです。気持ちが自由になったことが、リードをなくすことで描かれているのかもしれません。
2.犬の存在についての解釈
犬がいつも主人公のおじさんの傍にいることも、今回目に留まりました。三日月が大きく描かれておじさんが寝ている場面があるのですが、ここでも三日月の端っこに犬がちゃんと描かれているのです。これまでも絵の一部として認識はしていたものの、こうして常に一緒にいるところを描く意図に意識が向くようになりました。
また、最初のほうでおじさんが窓から外を眺めている場面があり、最後のほうでも同様の場面が登場します。リフレインによっておじさんの精神状態の変化が描かれていると捉えていましたが、実は、最初のほうでは一緒にいた犬が、最後のほうでは描かれていません。そこから考えると、犬はおじさんの不安に寄り添っている存在で、不安が消えたことで、終始傍にいる必要がなくなったとも言えるのでしょう。
3.コラージュの文字の意味
本書の絵には、おじさんの洋服や三日月に新聞記事のコラージュがされています。文字が途切れたり反転したりしていて、読めるようにはなっていないので内容は気に留めていませんでしたが、一箇所だけ読めることに気づきました。それがcerrarという文字。英語のcloseに相当します。もしかしたら、この場面の時点ではまだおじさんの気持ちが閉じていることにも関係しているのかもしれません。
これらがわかったから翻訳が変わるというわけではありませんが、やはり、絵本の場合には絵の読み込みをしっかりすることの大切さをあらためて感じました。どうしても文章にばかり目が行ってしまいますが、絵に込められている情報が本当に多いんですよね。
今回お伝えした内容に気づけたのも、読書会を重ねて、絵を読み込むことを学んできたからだと思います。絵本は文章が短いので、パッと訳して「訳せた!」と思ってしまいがちですが、そう簡単なものではありません。「読み込めていないことがまだあるのでは?」と意識して探すようにしてくださいね。
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