第268回 学べば学ぶほど見失う
「やればやるほど、わからなくなるんだよね」
これは、眼鏡屋さんがもらした言葉です。眼鏡を新調しに行ったときのこと。久々なのでしっかり検査をしてつくろうと、近くで評判のいいお店を探して予約を入れました。
このお店の検査が徹底しているのです。生活習慣についての問診から始まり、ありとあらゆる見え方の検査、さらには顎関節症やマウスピースの使用の有無、口がどこまで開くかの確認、首筋や肩を押した時の痛み具合などまでも調べていきます。普段履いている靴についても、「革靴じゃなくてスニーカーにして、できればそのインソールをつくるところから提案したい」とのこと。「あれ? 私、眼鏡をつくりに来たんだよね? なんでインソールの話に?」と戸惑いながらも、その眼鏡屋さんの徹底ぶりからすると、「そういうところにまで行きつくんだろうな」と納得する思いもありました。
そんな検査の際に出ていたのが、「やればやるほど、わからなくなるんだよね」という言葉だったのです。眼鏡が合っているとはどういうことか、見えるとはどういうことかを追求していくと、人体のあらゆることに関心が広がり、知識や学びが必要になるのでしょう。何かを学ぶと、知らないことが出てきます。それを学ぶと今度はまた新たに知らないことが現れて、それを学ぶとまた次に……と、終わりがありません。結局わかるのは、「自分は何も知らない」ということだけ。「無知の知」ですね。
翻訳も同じではないでしょうか。翻訳家を目指すくらいだから、最初は「自分は語学ができる」と思っているわけです。だけど学ぶほどに、「自分は何も知らない」「自分は何もできない」と気づくのですよね。もちろん、そこで自信を失ってやめてしまってはいけないので、自分なりの自信回復法を見つけておくことも大切ですが、無知であることを自覚できてからすべてが始まるように思います。
情報があふれる世の中なので、「自分は何でも知っていますよ」という専門家然とした人が求められる傾向がありますが、本当の専門家はむしろ「自分は何も知らない」と思っているものです。そう口にする方のほうが信用できますし、謙虚なたたずまいの中にも、積み重ねてきたものが感じ取れるように思います。実際、「ずっとやってきたけど何もわからない」というその眼鏡屋さんも、相当極めていることがその検査だけでも十分に伝わってきました。後で知ったのですが、こちらのお店、古舘伊知郎さんが感動した眼鏡屋さんとして知られているようです。どうりで……。
1時間にわたる検査を受けたことで、自分の身体の使い方のクセにいろいろと気づき、自己発見のおもしろさがありました。眼鏡屋さんの技術が詰まったものなので、この検査だけで有料のサービスだったとしても、受ける価値があると思いました。プロの仕事に触れる心地よさを実感するとともに、その人が費やしてきた時間や積み重ねて来た努力に自然と敬意が湧いて、対価を支払いたくなるのがプロの仕事なのだなと感じました。
今回の経験を通して、眼鏡をつくるというのは、本来こういうことなのかと気づくことができました。視力に合わせて顔に似合うフレームを選べばいいということではなく、その人が求めている見え方を、本人が気づかないニーズまで汲み取って提案していくことまで、その眼鏡屋さんはやっていたのです。
翻訳家も、原著者でさえ理解できていないことまで読み取って訳せるような、そんなレベルの仕事ができるといいですよね。そこに到達するには、学んで、学んで、何度も見失いながら進むしかないのでしょう。そのプロセスも、楽しんでいきましょう!
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