第265回 あえて何もしないということ
先日、『わたしと あそんで』という絵本の読書会を開催しました。主人公の女の子は、動物たちと一緒に遊びたくて、追いかけてつかまえようとします。すると動物たちは逃げてしまい、遊んでくれません。ところが、追いかけるのをやめて女の子がじっとしていると、みんなが寄ってきて一緒に遊んでくれるのです。
絵本の捉え方は人それぞれで正解があるわけではありませんが、ひとりの参加者の方が、「『何もしないこと』が必要なのではないか。自分から影響を与えたり変えたりすることも時には必要だが、相手の行動など、変えられないものに対しては何もしないことだ」という解釈を教えてくれました。
この解釈は仕事にも当てはまるもので、現在進めているプロジェクトでも、それを実感する出来事がありました。「何もしないこと」で、うまく動き出したのです。
昨年の秋頃のこと。はじめて著者として手がける絵本の打ち合わせがありました。打ち合わせは順調に進み、短時間であっさりと終わりました。1週間後くらいには次の作業が終わってご連絡があるはずだったのですが……動きがありません。「少し進行が押しているのかな?」と思ってもうしばらく待ってみたものの、それでも音沙汰はなし。
リマインドするべきかどうか、悩みました。普段から仕事をしている間柄であれば、「あの件、どうなってます?」と気軽に訊けますが、はじめての相手だと、そうもいきません。私以外の方たちがもともと進めていたプロジェクトに途中から参加させていただいたので、私からリマインドするのがはばかられました。
本をつくる場合、アイデアが湧くこともあれば、何も思いつかないこともあるので、止まってしまうこともあります。進む時は進むし、進まない時は進まないものです。だから、きっと今は進まない時期なのだろうと思って、待つことにしました。
そうすると、今年に入ってから、何事もなかったかのように動き出したのです。まさに、「何もしないこと」が正解だったわけです。
実際、待っている間は不安にもなりました。「もしかしてこれは、このまま流れてしまうのでは? というより、すでに流れてしまっているのかも? ご連絡がないのは、実はもうやめたっていうことで、私がその意味に気づいていないだけかも?」などという考えが頭をよぎります。
これを放置しておくと、「私の文章がよくなかったから進まないのかしら? それって私の才能がないっていうこと? そんなにダメだった?」とか、「打ち合わせの時に何か失礼なことをしてしまったのかも? 私が気づいていないだけで、決定的にひどいことをしてしまったとか? それに気づかないなんて、私ってもはや人間失格……」という具合に、マイナスのループでぐるぐる思考が回ってしまうものです。なので、「今は忙しいから進まないんだろう。それだけのこと」と思って、それ以外の余計なことを考えないようにストップをかけていました。
持ち込みの場合、自分から能動的に動かないといけない場面が多いものです。そうやって動くことは大切ですし、そうでないと進まないことが大半でしょう。だけど、このパターンに慣れてしまうと、物事が動かない時に、自分がとにかく動くことで事態を打破しようとしてしまうのです。その結果、かえって望まない結果につながることもあるかもしれません。
動くべき時かどうかを見極めるのは難しいものですが、時には、あえて何もしないという選択肢があることを意識するだけでも、対応が変わってくるかもしれませんね。
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