第261回 えっ、これって普通じゃなかったの!?
自分では普通だと思っていたのに、普通じゃなかった……。最近になって、ようやくそう気づいたことがあります。
たとえば、何かすごく興味を惹かれることがあって、そのことを調べようと思ったとします。その場合、まずはそのテーマについての本を何冊か読んでみます。すると、参考文献などの関連資料が出てくるので、さらに読んでいきます。情報は英語のみの場合も多いので、英語の文献も読んで、さらに各種のサイトで資料をダウンロードして……という具合。結果的に数十冊分は読み漁ることになります。こうして調べるのが、普通だと思っていたのです。
だけど、どうやらそうではないらしい……と、ようやく気づく出来事がありました。というのも、私が主宰する日本読書療法学会では、過去の勉強会の資料をすべて閲覧できるようにしているのですが、会員の方ですら目を通していない、というより存在を認識していないことがわかったのです。つい自分の「普通」を前提に考えてしまうので、「資料があるから、置いておけば探して読むよね?」と思ってしまうのですが、そうではないのですね……。
その話を知人にしたところ、こう言われてしまいました。「そりゃそうだよ。普通はね、調べものなんて、ちゃちゃっとネット検索して、それで適当なのを見つけて終わりだよ」。……どうやら、私の思う「普通」は普通ではなかったようなのです。
そういえば、認知症関連の翻訳を始めるようになる前のこと。ある関係団体から、「こういうテーマで勉強会をしたいから、調べてプレゼンをしてほしい」と頼まれました。何か翻訳につながることがあればと思って動いていた頃だったので、勉強を兼ねてお引き受けしました。教えていただいたサイトを参考に準備を進め、何本かの論文を読み込んで、その内容をまとめてプレゼンをしたのです。
すると、大学でその分野を専門に教えている方から、帰りがけに声をかけられました。「研究者でも、あれくらい論文を読んでいる人はいないんじゃないかなあ」。驚いたのは私です。研究者だったら、私の数十倍は読んでいるはずだと思っていましたから。それが、私の準備した内容が研究者レベルだというのです。
他にも、こんなことがありました。この連載でインタビューをさせていただいた時のこと。10冊ほどその方の作品を読んでインタビューに臨んだところ、そんな用意をしてくる人はほぼいないというのです。たいていは1冊の本についてのインタビューで、しかも、その1冊すらろくに読んでいないことが話をしていてわかるのだそうです。それを聞いた時には驚きました。すべての作品を読破はできなくても、できるだけ多く読んで準備をするのが当然だと思っていたからです。やはり、私の思う「普通」は普通ではなかったのでした。
そういえばあれも、これも……と、思い返せば納得のいくことばかり。ものすごく長い推理小説の謎が一気に解けたかのようです。そもそも、なんでもっと早くに気づかなかったんだという話ですが、それはやはり、私が鈍いから……というのも大いにありますが、気づかないような環境にいたからだと思います。周囲にも同じようにしている方が多かったので、それを普通だと思っていたのですね。
そういう環境にいられたのは、ある意味幸せなことなのかもしれません。だけど、自分の「普通」が普通ではないことに気づかないために、自分に必要以上に負荷をかけてしまうデメリットもあります。私も実際、「最低限、これだけの準備をしなくては!」と自分にとっての「普通」の感覚で考えてしまうため、何かにつけてハードルを不要に上げてしまうことが多いのです。
翻訳の勉強をしている方には、思い当たることがあるかもしれません。自分では「普通」だと思っているので、「こんなことでは全然ダメだ!」と自分を責めて悩みを深めてしまいがちですが、もしかしたら、その「普通」は普通ではないのかもしれません。いつも身を置いている環境以外の人からすれば、びっくりするくらい、すごいことができているのかもしれません。自分にとっての「普通」が、本当に普通なのか見直してみると、そこから自信につながるかもしれませんね。
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