第258回 自分の中の読者を目覚めさせるには?
『ぼくは翻訳についてこう考えています 柴田元幸の意見100』に、こんな記述がありました。
“翻訳って、ある程度は、誰でもできるものだと思いますよ。読者の目で見れば、自分の訳が変かどうかはわかるはずじゃないですか。だから、自分の中の読者からの文句に応じる「マメさ」と、原文の感覚がどういう手触りかがわかる「語学力」があれば、誰でもできるんです。
でも、これはだんだんわかってきたことなのですが、語学力がある人はわりといるんですよね。むしろ、自分の訳文を練っていくマメさというのに、性格の向き・不向きがある気がします。”
確かにその通りなのですが、この「自分の中の読者」がなかなか目覚めてくれないという問題もあります。どうしても原文に引きずられてしまうので、読者目線になれないのです。
だから、どうやってこの自分の中の読者を目覚めさせるかが問題で、そのためにできることを考えてみました。
1.時間をおく
しばらく時間をおいてから訳文をチェックすることで、原文から離れて、日本語の文章として捉えられるようになります。翻訳をする自分と距離を置くことで、自分の中の読者が目覚めやすくなるのです。そうすると「ここが不自然だな」とか「ここはちょっと意味が伝わりづらいな」と気づくことができます。
2.人に読んでもらう
人に読んでもらって「この部分は何が言いたいのかわからない」などと指摘してもらうと、自分では気づけなかったことに気づけるようになります。そういうフィードバックを蓄積していくことで、「人が読んだら、こういうところが気になるだろうな」という読者の目を自分の中に育てていくことができます。以前にインタビューにご登場いただいた牧野洋さんも、読みやすい日本語になっているかを確認するために、ご夫人に読んでもらうそうです。
3.両方の立場を経験する機会を持つ
これはどんな活動でもいいのですが、両方の立場を経験する機会をつくるといいと思います。たとえば、フリマアプリで商品を売り買いするとします。買い手の立場だけなら意識しないことも、売り手の立場も経験すると、購入した商品が届いた時でも「こういう風に梱包すればいいのか」と売り手の視点で見ることになります。あるいは、何かイベントに参加するとします。自分が主催者を経験していれば、同じように参加しても、「こういう進行だとスムーズだな」「こういう発言があると会場の雰囲気が和むんだ」などと気づくことができます。両方の立場から視点を切り替える習慣ができると、それが日々のいろいろな場面に応用が利いてくるのです。
この3つをやってみることで、自分の中の読者を目覚めさせやすくなると思います。その際、この「読者」の視点にも注意が必要です。読者自体に偏見があったら、読者としてのチェック機能がきちんと働かなくなってしまうからです。
気をつけなければいけないことのひとつは、ジェンダーバイアスではないでしょうか。自覚しないままバイアスがかかっていることが多いものです。たとえば、ある語学講師の方は、生徒のために会話の例文を作成した際に、「壁紙の色は奥さまのご要望通りにいたします」という業者のセリフを用意していました。ところが、同僚の講師から、「それは女性が家のことをするものだというステレオタイプに基づいているのではないか」と指摘をされました。そこで、「奥さま」ではなく「お客さま」に変更したそうです。
翻訳の場合は原文によりますし、上記のような会話文であれば、話し手の年代や、その人の持つ価値観などによって翻訳の仕方が変わってくるでしょう。ただ、意図的にジェンダーバイアスをかけるのならともかく、自分の中のバイアスを反映してしまわないように、注意が必要です。
ジェンダー関連の表現については、『失敗しないためのジェンダー表現ガイドブック』が勉強になりました。今回引用させていただいた『ぼくは翻訳についてこう考えています 柴田元幸の意見100』とあわせて、よかったらご参考になさってくださいね。
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