第256回 ビジネス書や実用書の場合は?
出版業界とひと言でいっても、ジャンルによってアプローチの仕方はかなり変わってきます。文芸書や人文書であれば、売れるかどうかよりも、文学的な価値や学問的な価値が重視されます。もちろん、売れなくていいというわけではなく、売れるかどうかを問われる傾向は昔よりも顕著になっています。それでも、きちんと本自体を見てくれるのです。
これに対してビジネス書や実用書の場合は、売れるかどうかで判断されてしまいます。本自体よりも、本にまつわる数字のほうに目を向けられてしまうのです。
実は、こういう風潮は変わりつつあるのではないかと思っていました。マーケティングの本などを読んでいても、フォロワー数よりもエンゲージメントの高いフォロワーがいることを重視するようになっています。また、ひとり出版社のように、こだわってつくった質の高い作品を届けたいという出版社も増えています。肌感覚としても、量から質の時代に変わってきているように感じていました。
ところが、ある編集者さんとお話していて、ビジネス書や実用書の場合は数字重視の価値観がまだまだ根強い、というよりも強化されてしまっていることを知りました。
その編集者さんがいるのは、ベストセラーも多く出していて認知度も高い出版社なのですが、企画会議で上層部が重視するのは、SNSでのフォロワー数や、類似の本が売れていることだというのです。
1月13日付の日経新聞で、“「日本ドラマ、質重視を」国際会議で議論”という記事がありました。
“「日本のテレビドラマが世界で戦うためには量から質への転換が必要だ」。「アンナチュラル」などのドラマで知られる脚本家の野木亜紀子氏はこう訴えた。(中略)日本の問題点として野木氏が挙げたのは、「早いサイクルでイージー(安易)につくるしかない」という制作現場の現状だ。日本のドラマ制作本数は増加しているが、スタッフと制作費は増えていない。「少ないスタッフと予算を多くの作品で奪い合っている。本数ばかり多く、作品の質が上がらない」という。”
この記事を読みながら、出版業界の構造と同じだなと思いました。出版不況といわれるようになり、1冊当たりの売上が落ちたのをカバーするために刊行する作品数を増やしたものの、そうすると1冊あたりにさける労力は減り、質が落ちてしまう……。
そういう構造的な問題が背後にあるために、企画会議の場でも数字重視になってしまうのですね。本来であれば、「よそがつくっているような本はうちはつくらない!」という矜持があるのが出版社なのではと思うのですが、「よそでつくったこの本が売れているから、うちでもつくろう」というのが現状なのです。
アパレル業界では、衣料品の廃棄が問題視されるようになり、安い服を大量につくったり、セールに売上を依存したりするビジネスモデルから脱却しつつあります。消費者のほうが、自分で選んだ本当に欲しいものだけを長く大切に使う、というサステナブルな在り方に変わってきていて、それを受けて業界も構造改革が進んできているのです。
同様の動きが色々な業界で進む中、出版業界は数字重視という短絡的な旧来の在り方でいいのかと思い、その編集者さんともお話してみたのですが……上層部の考え方を変えるのはなかなか難しいとのことでした。
ビジネス書や実用書の企画を持ち込む場合は、お話のできそうな編集者さんであれば、業界の在り方まで踏み込んでお話しながら、アプローチをしていくこともできるかもしれません。
そうでなければ、企画書をつくる際に、原書の販売部数や原著者のフォロワー数、類書の販売部数といった数字重視の姿勢で臨むしかないのでしょう。
ただ、そういう種類のわかりやすさを追求してしまうと、それで心が削られてしまうこともあります。本に対する捉え方が「商品」にもともと近いのであればそれほど抵抗はないのでしょうが、本を「作品」として深く愛情を持っていると、自分の認識と自分のアプローチの間にギャップができてしまうために、つらくなるかもしれません。
持ち込みをしながら精神的につらくなってしまった方は、そういうところにも原因があるのではないでしょうか。その場合は、自分の本に対する認識を自覚することで、今後のアプローチの方向性が見えてくると思いますよ。
※拙著『心と体がラクになる読書セラピー』のタイ語版が発売されました! タイにお知り合いがいらっしゃる方は、ご案内いただけたらうれしいです。どうぞよろしくお願いいたします。
※この連載を書籍化した『翻訳家になるための7つのステップ 知っておきたい「翻訳以外」のこと』が発売中です。電子書籍でもお求めいただけますので、あわせてご活用くださいね。
※出版翻訳に関する個別のご相談はコンサルティングで対応しています。