第243回 チャンスを拾うということ
連休中に、クリスティーン・ブライデンさんと再会する機会がありました。認知症の当事者として、20年以上にわたって世界各国で啓発活動をされている方です。近年は日本でも当事者の方たちの発信が増え、今年の6月には認知症基本法が成立するまでになりました。以前は「認知症になると何もわからなくなる」と思われていましたが、クリスティーンさんが当事者として執筆や講演をすることで、そんな認識を覆してきました。今もその存在を通して、多くの方たちに勇気を与えています。
彼女の著作を読み、「どうしてもこの人に会いたい!」と思ったことから、出版翻訳の世界に関わることになりました。来日講演の際に主催者に連絡を取り、「受付の手伝いでも何でもいいので、やらせてください」と言って会いに行き、そこから初の翻訳書の出版へとご縁がつながっていったのです。
翻訳コンテストに応募したわけでもなく、翻訳学校に通ったわけでもありませんでした。まったく関係のないところから、出版翻訳にたどり着いたのです。
頭で考えると、自分の気になった人に会いに行ったからといって出版翻訳につながるとは想像できないでしょうから、「会いに行っても無駄」と片づけてしまうかもしれません。だけど、自分の直感を信じて動いてみると、道が拓けていくのです。
先日、友人と話していた際にも、このことが話題になりました。彼は転職希望者の相談に乗ることも多いのですが、ある時、「A社で働きたい」という方がいたそうです。ところがA社は人気企業のため、会社説明会はすでに申込多数で応募を締め切っていました。そこで彼は、「説明会の当日に、とにかく会社に行ってみろ」とアドバイスをしたそうです。事前に問い合わせたら、当然断られてしまうでしょう。だけど会場でうろちょろしていれば、「どうしたんですか」と声をかけてくれる人がきっといるはずだから、と……。それがきっかけで入社できる可能性だってあるわけです。
字幕翻訳家の戸田奈津子さんも、どうしても字幕翻訳の仕事に就きたくて、翻訳や英文タイプのアルバイトをしながら、20年間も映画業界の周辺でチャンスを待ち続けたそうです。そんな中、通訳の仕事を頼まれることもありました。30歳を過ぎても英語を話したことはなかったものの、断ると字幕の仕事に差し障ると思って引き受けていたそうです。そうしてお会いしたひとりがフランシス・コッポラ監督でした。買い物や食事の際にガイド兼通訳を務めていたところ、監督のご指名で「地獄の黙示録」の字幕翻訳を担当することになり、念願のデビューを果たすことができたのです。
買い物に付き合ったからといって字幕翻訳には結びつかないと思うと、自宅で翻訳の勉強をしていたほうがいいと思うかもしれません。だけど実際に人に会って得られる情報やチャンスというのは、やはりあるのです。
出版翻訳の場合も、翻訳の勉強を一生懸命すればするほど、チャンスを拾う行動が取りづらくなるように思います。翻訳に関係ないと判断して切り捨ててしまうのです。また、出版翻訳家を目指す方は、高学歴で真面目にやってきた方が多いので、舗装された正しい道以外を行くことに抵抗があるかもしれません。でも、チャンスは本当にどこにあるかわからないんですよね。だから柔軟に、何かピンときたら動いてみる。自分のやりたい方向に近い人や場所を見つけたら、まずは足を運んでみる。そこでどんなこぼれ球でもいいから、とにかく拾って次につないでいく。そうすることが道を拓いてくれると思います。
なかなか持ち込み企画がうまくいかない時は、いつもとちょっと視点を変えて行動してみましょう。そうすることで動き出すこともあります。「どんな展開があるだろう?」と楽しみながら試してみてくださいね。
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