TRANSLATION

第213回 記録に残して、時間を味方に

寺田 真理子

あなたを出版翻訳家にする7つの魔法

持ち込みのプロセスには時間がかかることも多いので、途中で投げ出してしまいたくなるかもしれません。それを防ぐために、プロセスを記録に残すことで時間を自分の味方にできることをお伝えしたいと思います。

私は毎日日記をつけているのですが、そこには日常生活から仕事まで、様々なことが記録されています。体調の変化や気になったニュース、新しく知った言葉、印象に残った出来事、思いついた企画や持ち込みの様子なども……。

このような記録をとるようになったのは、うつ病からの回復のプロセスで、記録が持つ力を実感したからです。回復は長い道のりでしたし、不安定な精神状態にあったために、ことのほか長く感じられました。この時期の精神状態は、持ち込みがうまくいかなくて追い詰められてしまう時期の精神状態にも、通じるところがあるかもしれません。

起き上がれずにベッドで寝ているしかなかった時期を経て、ようやく外に出られるまで回復できた時期のこと。出先で過呼吸を起こしてしまいました。すると、「やっとここまで回復したと思ったのに、全然良くなっていない!」と思って絶望的な気分になりました。振出しに戻ってしまったと感じたのです。

だけど、そこで過去の記録を見ると、3ヶ月ほど前には毎日のように過呼吸を起こしていたことに気づきました。ここしばらくは起こしていなかったのだと客観的事実として把握でき、良くなっていることがデータから納得できたのです。

不安定な精神状態にある時は、極端思考といって極端な捉え方しかできなくなってしまいます。そのため、「ちょっと過呼吸を起こしただけ」という出来事から、「もうダメだ! 一生治らない!」という結論を出して落ち込んでいたのです。そんな時に日々の生活記録があることで、自分を客観視できますし、物事の捉え方も修正できるのです。

この経験から、認知症関連の翻訳をしたいと思った時にも、そこに向かうプロセスを記録に残すことにしました。最初はそもそもそんな仕事があるのか不安でいっぱいでしたが、些細なことを記録して励みにしました。認知症関連の団体にコンタクトをとってみたとか、認知症についての本を読んだとか、新聞記事を読んだ、という具合に。そうして記録に残しておくことで、「まだ何もこの分野の仕事にたどり着けていない!」と焦りを覚えた時に、その記録を見て、ちゃんと目指す方向に進んでいることを自覚できたのです。

つい先日も、数年前の日記を見返す機会がありました。すると、持ち込み企画を断られた時の記録が目に留まりました。翻訳書ではなく著書のほうですが、読書についての本をつくりたいと、企画書だけでなく、原稿もかなりの枚数を用意していたのです。編集者さんに読んでいただく機会があり、内容は面白いと評価していただけたものの、結果的にはお断りでした。

ところが、その何年か後に別の編集者さんから企画を打診され、それが『心と体がラクになる読書セラピー』という本になったのです。当時書いていた原稿とは違うものになりましたが、ベースにすることができましたし、その後にやっていた様々な仕事も、原稿に活かすことができました。

断られた当時は、そういう形で出版が実現できるとは思っていませんでした。まして、持ち込みでもなく、面識のない編集者さんから書いてほしいとオファーをいただけるとは想像もできませんでした。久しぶりに記録を振り返ったことで、実現したいと願ったことは、やはり時間はかかっても実現するものなのだと感じました。

「10年のスパンで考えれば、手に入れられないものはない」という話を耳にしたことがあります。短いスパンでのタイミングが問われる事柄には当てはまらないとはいえ、それくらいのスパンで考えて物事を進めていけば、たいていのことは願ったようになっていくのではないでしょうか。

とはいえ、10年のスパンで物事を考えるような視点を身につけるのは難しいものですし、何かを実現したいという思いが強ければ強いほど、年単位どころか月単位ですら待てなくなってしまい、とにかくすぐに成果が得られることを願ってしまいます。そんな時に、目標に向かうプロセスを記録に残し続け、それを定期的に振り返るようにしてみてください。そうすれば、ゆっくりではあっても、いろいろなことが叶っているのを実感できるのではないでしょうか。

タイパ重視の風潮が強まる世の中ですし、AIの進化によって社会の変化も加速しています。それでも、本を読む、書く、という営みが人間の根幹にある以上、良書の翻訳はこれからも求められていくことでしょう。長いスパンで自分の成長を見守れるように、記録に残して、ぜひ時間を味方につけていただきたいと思います。

※この連載を書籍化した『翻訳家になるための7つのステップ 知っておきたい「翻訳以外」のこと』が発売中です。電子書籍でもお求めいただけますので、あわせてご活用くださいね。

※出版翻訳に関する個別のご相談はコンサルティングで対応しています。

『心と体がラクになる読書セラピー』が発売中です。日本読書療法学会の新しいサイトとあわせてご覧ください。

Written by

記事を書いた人

寺田 真理子

日本読書療法学会会長
パーソンセンタードケア研究会講師
日本メンタルヘルス協会公認心理カウンセラー

長崎県出身。幼少時より南米諸国に滞在。東京大学法学部卒業。
多数の外資系企業での通訳を経て、現在は講演、執筆、翻訳活動。
出版翻訳家として認知症ケアの分野を中心に英語の専門書を多数出版するほか、スペイン語では絵本と小説も手がけている。日本読書療法学会を設立し、国際的に活動中。
ブログ:https://ameblo.jp/teradamariko/


『認知症の介護のために知っておきたい大切なこと~パーソンセンタードケア入門』(Bricolage)
『介護職のための実践!パーソンセンタードケア~認知症ケアの参考書』(筒井書房)
『リーダーのためのパーソンセンタードケア~認知症介護のチームづくり』(CLC)
『私の声が聞こえますか』(雲母書房)
『パーソンセンタードケアで考える認知症ケアの倫理』(クリエイツかもがわ)
『認知症を乗り越えて生きる』(クリエイツかもがわ)
『なにか、わたしにできることは?』(西村書店)
『虹色のコーラス』(西村書店)
『ありがとう 愛を!』(中央法規出版)

『うつの世界にさよならする100冊の本』(SBクリエイティブ)
『日日是幸日』(CLC)
『パーソンセンタードケア講座』(CLC)

END