第193回 DeepLが変えるもの
先日、出版翻訳のご相談に乗る機会がありました。その方は翻訳家を目指しているわけではなく、ご自身のセラピストとしての活動の中で見つけた専門書を翻訳したいとのことでした。
お話を伺う中で、翻訳自体がそれほど苦ではないように見受けられたのでお尋ねしてみると、DeepLを使って翻訳したものに手を入れているそうなのです。
翻訳家を目指す方の場合、商業翻訳であれば別ですが、出版翻訳でDeepLを使うという発想はあまりないように思います。自分で翻訳をするよりも、機械翻訳に手を入れるほうが負担を感じるのではないでしょうか。
だけど翻訳の勉強をしているわけでもなく、翻訳家を目指しているわけでもない方にとっては、DeepLを使うことで可能性が大きく広がるように思いました。
相談者のようにセラピストの方もそうですし、たとえば大学の教授や講師の方など、ご自身の研究分野の業績として翻訳書を出版したい方も多くいらっしゃいます。これまではそういう方たちにとっては本を1冊訳すとなるとかなりの負担でしたし、英語力がある方でなければ手がけることができませんでした。
実際、私が最初の翻訳書を手がけることになったのも、日本に紹介したい本があるけれども自分では翻訳に手が回らないという大学教授の方が、翻訳してくれる人を探していたからでした。
だけど今後はそういうケースでDeepLを活用することで、自分である程度の翻訳をこなせるようになるでしょう。文芸書の場合と違って学術書などは機械翻訳とも比較的親和性が高いと思われますし、手を入れるにあたっても語学力よりはむしろ専門性や知識を持っていることが求められるでしょう。
研究者の方々にとって可能性が広がるのは素晴らしいことですが、翻訳家志望者にとっては、むしろ可能性が狭まることになるかもしれません。興味のある分野を勉強しながら翻訳に参入していこうとしても、今までであれば任されていたはずの部分が、機械に取って代わられてしまうのですから。
その分、自分の専門性を高めてやりたい分野の知識を身につけて、原書選びの時点で「これは」というものを見つけられるようになること。そのうえで場合によってはDeepL も使いこなしながら翻訳を仕上げていくというのがひとつの考え方でしょう。
ただ、専門性が高まるということは、読者が限られてしまうことでもあります。原書選びの点で目利きになるだけでなく、それを日本の読者にどう届けていくか、市場を見ながら文脈をつくっていく力も求められます。編集者さんに近い視点も学んでいく必要があるでしょう。
もうひとつは、やはり機械ではなかなか代替がきかない文芸の分野を中心にした活動を目指していくことでしょうか。
出版翻訳の場合、長期的に取り組んでいく仕事ですので、その間に新しい技術の影響もじわじわと及んできます。将来的な変化を見据えながら、手がける分野や作品を選ぶことも考えてみてくださいね。
次回は出版翻訳家デビューサポート企画レポートの続きをお届けいたします。
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