TRANSLATION

第173回 出版翻訳家デビューサポート企画レポート⑰

寺田 真理子

あなたを出版翻訳家にする7つの魔法

今回ご紹介するのは、社会派の長編小説を選んだKさんです。原書は世界的なミリオンセラーにもなっていて、現在の社会情勢に照らしても、注目度の高い作品です。

Kさんが最初に送ってくれた企画書は、内容は充実していたものの、5枚と枚数が多かったほか、少し「圧」を感じてしまう部分がありました。社会派の題材だからこそ特に、「これは有意義な内容だから読むべき」という姿勢が出てしまいがちなので注意が必要です。もちろん、熱意を持って世に出すのはとても大切なことです。だけど、いくら正しいことでも、そう主張されると人は反発を覚えてしまうものです。正しさを訴えても動いてくれるわけではないんですよね。むしろ、「こんなに面白いんですよ、こんな目新しさがありますよ」と、読みたい気持ちをかきたてるほうが効果的です。

Kさんにはその点を工夫していただくとともに、読者層を絞り込み、Kさん自身の翻訳歴や本書の題材に関連する経歴を盛り込むようにお伝えしました。また、あわせて1章分の試訳をお送りいただくことにしました。

再提出いただいた企画書は「圧」が取れ、受け取りやすいものに変わっていました。試訳もとても読みやすく、小説としての世界観も備えていて魅力的でした。それもそのはず、Kさんは各種の翻訳コンテストで何度も上位入賞を果たしている実力者なのです。

コンテストはどうしても少ないチャンスに多くの応募者が殺到するため、狭き門になりがちです。それを通過するのもデビューのひとつの方法ではありますが、通過したとしても、その後ずっとお仕事があるわけではないんですよね。Kさんのように安定した実力をお持ちの方の場合、コンテストに労力を割くよりも、実際に編集者さんとお会いしてお仕事をしていくほうが早いように感じました。

実は、Kさんはすでに3冊の翻訳書を出版されています。ただ、これらは翻訳エージェントに勤めていた当時に、その会社の中で回ってきたお仕事なのだそうです。編集者さんと直接やりとりする機会はほぼなく、名刺交換はしたものの、業界でのルール違反になるのでその人脈を使うこともできません。そこで、新たにKさん自身でお仕事をとっていけるようにがんばっているところなのです。

拝見した試訳でひとつ気になったのは、「見て」という登場人物の言葉です。語り手は男性ですが、女性にも読めてしまいますよね。冒頭に登場した男性の語り手が話を続けていくのですが、この言葉が出てきたとき、男性から女性に切り替わったのかと思いました。視点人物が次々に切り替わっていくタイプの小説のように読めてしまったのです。余計な混乱を招かないために、はっきりと男性のセリフだとわかるように変更をおすすめしました。

もうひとつ気になったのは、「銀色のしわ」という表現です。一瞬さらっと読めてしまうのですが、よく考えると、銀色のしわって、どういうことだろうと思いますよね。色の表現は、なかなか難しいものです。私も『虹色のコーラス』を訳したとき、「赤銅色の髪」と当初訳したのですが、編集者さんから指摘を受けたことや、検索した際に出てきたのがアニメのキャラクターだったので、読者のイメージが違うほうに固定されてしまうかもと思ったこともあり、「赤みの強い茶色の髪」に変えました。引っかかる表現があると小説世界に入りづらくなるため、冒頭部分は特に慎重にチェックをしましょう。

この2点以外はすでに質の高い翻訳でしたので、企画書と合わせ、持ち込み先を検討しました。いくつかの候補の中で、ふさわしいと思われたのがA社です。作風が通じる、社会派の長編小説を出版しています。私にも特に伝手はなかったので、Kさんはお問い合わせ窓口からアプローチしてみました。すると……次回に続きます!

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Written by

記事を書いた人

寺田 真理子

日本読書療法学会会長
パーソンセンタードケア研究会講師
日本メンタルヘルス協会公認心理カウンセラー

長崎県出身。幼少時より南米諸国に滞在。東京大学法学部卒業。
多数の外資系企業での通訳を経て、現在は講演、執筆、翻訳活動。
出版翻訳家として認知症ケアの分野を中心に英語の専門書を多数出版するほか、スペイン語では絵本と小説も手がけている。日本読書療法学会を設立し、国際的に活動中。
ブログ:https://ameblo.jp/teradamariko/


『認知症の介護のために知っておきたい大切なこと~パーソンセンタードケア入門』(Bricolage)
『介護職のための実践!パーソンセンタードケア~認知症ケアの参考書』(筒井書房)
『リーダーのためのパーソンセンタードケア~認知症介護のチームづくり』(CLC)
『私の声が聞こえますか』(雲母書房)
『パーソンセンタードケアで考える認知症ケアの倫理』(クリエイツかもがわ)
『認知症を乗り越えて生きる』(クリエイツかもがわ)
『なにか、わたしにできることは?』(西村書店)
『虹色のコーラス』(西村書店)
『ありがとう 愛を!』(中央法規出版)

『うつの世界にさよならする100冊の本』(SBクリエイティブ)
『日日是幸日』(CLC)
『パーソンセンタードケア講座』(CLC)

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