第133回 ネガティブな評価をされたときは?
今回は、いただいたこちらのご質問にお答えします。
「自分の手がけた作品にネガティブな評価をされてしまい、気に病んでしまいます。どういうふうに受け止めればいいのでしょうか」
ネガティブな評価が出てくることは、基本的には「いいこと」だと私は捉えています。それだけ作品が広く読まれている証拠だからです。
もし作品を読んでいるのがあなたのまわりの方たちだけなら、いいことしか伝えてくれないでしょう。「ここはちょっと読みづらいな」と思ったとしても、あえてそれを伝えてはくれないものです。むしろ、気になった点があったとしても、よかった点を探してほめてくれるでしょう。ましてそれがデビュー作で、あなたが翻訳家になるためにどれだけ努力してきたかを知っていれば、温かい言葉をかけてくれると思います。
だけど広く読まれるようになれば、事情は違ってきます。どんなに素晴らしい作品だったとしても、読者の視点や感性は様々ですから、全員がいい評価をするとは限りません。100点だと思う読者もいれば、0点だと思う読者もいるのです。背後にあるあなたの努力も、読者には関係ありません。「あんなに訳しにくい原文をこんなに読みやすく訳したのに」と思っても、読者にとっては訳された日本語がすべてです。
ネガティブな評価が的を射たものであれば、貴重な意見として、ありがたく参考にさせてもらいましょう。だけどときには、的外れなこともあるでしょう。たとえば、上級者向けの専門書を初心者が読んで、「難しくてわからなかった」と批判されたり。逆に、初心者向けの入門書を上級者が読んで、「もっと詳しい内容を知りたかった」と批判されたり。そのように翻訳自体とは関係のない批判も出てきます。また、たとえば小説の中で猫が虐待されるシーンがあったとして、猫好きな読者が「猫が虐待されるなんて、ひどい。最悪の作品だ」と作品自体を低評価してしまうこともあるでしょう。そんな理不尽なあれこれも含めて、それが作品を世に出すということなのです。
だから、「翻訳書を出すというのは、そういうものだ」と思っておくことです。作品を批判されても、あなた自身を批判されたわけではないので、きちんと切り離して捉えましょう。第106回の「出版翻訳家とメンタル~ABC理論」も参考にしてくださいね。
私は以前、他の方の手がけた翻訳書なのに、私のだと思い込んでいた方から、「どうしてこんな翻訳になっているんですか」と言われたことがあります。質問ではなく、明らかに苦情。それも初対面に、いきなり。カチンと来つつも、「それは私の翻訳ではないのですが……」とお伝えしました。それでも特にお詫びもなかったので、しばらくは「失礼しちゃう!」とプンプンしていました。でも、「いや、待てよ。この分野の翻訳はきっと全部私が手がけているに違いないと思われてたのかも? そうか、それだけ活躍してると思われてたってことか」とふと思いついて、すっかり気をよくしたのでした(笑)
『ピーターとペーターの狭間で』によると、翻訳家・エッセイストの青山南さんは、翻訳作品への書評で、こんなことを書かれました。「翻訳上の問題について最後に二つ。まず、正確さについては、今後、さらに慎重さを要するように思われる。また、いっさい注を省くというのは一つの見識ではあるが、(中略)説明があってもよかったのではあるまいか」。はじめに読んだときは目の前が一瞬暗くなったそうですが、「さらに慎重さを要する」とは「わりあい慎重にやっている」ということで、「一つの見識ではあるが」とは「それなりの見識の持主である」と翻訳しました。さらに、同じ評者が自分の翻訳を「悪達者」と言っていたのを、今度は「悪」を勝手に頭の中で消去して「達者」と読み直していたそうです。
ネガティブな評価すら、プラスの評価に「翻訳」してしまう。そんな翻訳機能も、翻訳家には大切なのかもしれませんね。
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