第131回 重版と生存
先日、拙訳書『認知症の介護のために知っておきたい大切なこと』が重版になりました。本書は出版社の倒産で一度絶版になり、その後復刊を経ての重版なだけに、うれしさもひとしおです。
「重版出来」という言葉を愛してやまない方が出版業界には多いものです。もちろん私もそのひとりで、「好きな言葉は?」と訊かれたら「重版出来」と答えます。「他には?」と訊かれたら「続々重版」と答えます。いや、「大重版」とか「発売即重版」とかも捨てがたい、素晴らしい……としばし妄想の世界に浸ったところで、「そもそも、重版出来はどうしてこんなにうれしいんだろう?」とふと思いました。
印税が入るというのもありますが、そういう現実的なこととはまた違う種類の、湧き上がるようなうれしさがあるのです。
重版になるのは作品が読まれている証拠ですから、読者の支持を得ている喜びや、仕事が評価され、誰かの役に立っている実感が得られることがあります。自分の存在意義を確認できることも大きいのでしょう。だけど、何かもっと根源的なものがあるように感じるのです。
そこで思い出したのが、知人の画家の話です。彼女は、あるとき、死んだら自分の存在は消えてなくなってしまうのだと強く感じました。とてつもない恐怖感を覚え、それがきっかけで絵を描くようになったのです。自分の存在が消えても、作品はこの世に残るから、と……。
私は自分の存在が消えることにそこまでの恐怖感を抱いてはいませんが、作品をこの世に残したいという気持ちはあります。生前は作品が書店で大きく扱われていた方でも、亡くなられて数年経つと、書店から消えていってしまうものです。さびしいことですが、つくり手が健在で作品を出し続けることが、過去の作品の寿命を延ばすことにつながるのだと実感します。「この子たちのために長生きして頑張らなければ」と思うのです。
作品との一体感は、自覚していたよりも強いのかもしれません。それはおそらく、手がけている作品が、自分の思想や生き方などと重なる部分が大きいからでしょう。それを同様の思想を持つ方たちに引き継ぎたいのだと思います。「小説を書くのは、自分と同じ種族を見つけて増やすため」という作家の言葉を目にしたとき、自分の感覚をうまく言語化してもらえたように感じました。遺伝子ではなくミームをこの世に残すことで、自分の存在は消えても残るものがあると安心できるのでしょうね。
あまりに作品との一体感が強すぎるのも、それはそれで問題が生じてしまいますので、注意が必要です。だけど作品への思い入れは、仕事を続けていくうえで力になってくれると思います。
出版翻訳家を目指す方の中には、自分の生きた証を残したいという方もいらっしゃるのかもしれません。そこまで切実な思いで臨んでいるつもりはなくても、「どうして翻訳書を出したいんだろう」と考えていった先には、根源的な生存の不安につながる感情があるのかもしれません。たまにはそんなことを考えてみるのも、自分が翻訳の仕事に関わるスタンスをはっきりさせてくれるのではないでしょうか。
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