第125回 出版翻訳家インタビュー~牧野洋さん 後編
第124回に続き、出版翻訳家兼ジャーナリストの牧野洋さんからお話を伺います。
寺田:『トラブルメーカーズ』はなかなか出版が決まらなかったとのことですが、どうしてでしょう?
牧野:これまでに仕事をしたことのある出版社に持ち込んでみたものの、「なぜ、いまシリコンバレー?」という感じで、食いつきが悪かったんです。
寺田:かなり厚手の本なので厚さがネックになったのかと思ったのですが、そこではなくてテーマだったんですね。最終的にディスカヴァー・トゥエンティワンの編集者、藤田浩芳さんに出逢えたとのことですが、どのようにして出逢われたのでしょうか。
牧野:藤田さんは、当初、全然違う本の翻訳を頼みたいと言って連絡してきたんです。面識はなかったのですが、私の他の作品を読んで、翻訳のクオリティを評価して声をかけてくれました。
寺田:それはうれしいですね。
牧野:そうですね。見ている人は見てくれているものだなと思いました。だから手を抜かずに一つひとつの仕事をやっておくことは大切ですね。ディスカヴァー・トゥエンティワンには、普通の出版社とは違うという印象を持っていました。先日の「ブックバースデイ」のイベント(注:その月に出版された本の誕生を祝うイベントで、それぞれの本の著者・翻訳者・ライター、担当編集者、営業担当者がオンラインで一堂に会して本の紹介をしていくもの。牧野さんの最新刊『トラブルメーカーズ』と寺田の『心と体がラクになる読書セラピー』が同月発売だったため、このイベントで知り合うことができました)を見てもわかるように、編集部門だけが動くのではなくて、マーケティング部門も含めて、チームを組んで本をプロデュースしていますよね。
寺田:たしかに、一丸となって売っていこうという雰囲気を感じますよね。社長さんから出版祝いにお花を贈っていただいたり(牧野さんは「ブックバースデイ」の時、このお花がちゃんと画面に映るようにされていて、細やかなお心遣いをされる方だなと思ったことから印象に残りました)、みなさんで本の誕生を祝ってくださるお気持ちがありがたいなあ、と。
牧野:ディスカヴァー・トゥエンティワンには、そういうイノベーター的な印象を持っていたんです。ただ、藤田さんが提案してくれたのはリーマンショックについてのドキュメントだったので、それはやる気がなく(笑)、逆に「こういう本はどうですか」と『トラブルメーカーズ』を提案したんです。そうしたら「レジュメを書いてください」と言われ、提出したら数ヶ月後に企画が通りました。
寺田:「なぜ、いまシリコンバレーなのか」というところは問題にならなかったんですか。
牧野:その点は、理解してもらえるように提案書の中で伝えることができました。他の出版社では、そこまで行かなかったので、意図をきちんと伝えきれなかったんだと思います。
寺田:本書くらいの厚さですと、「半分にしてください」などと要求されるケースも多いと思うのですが、そのような妥協をすることなく出版できたのでしょうか。
牧野:「半分くらいに圧縮しないと無理ですよね」とむしろ私のほうから提案したのですが、藤田さんが「最近は厚くても売れることがある」と言って、削らずに出すことができました。
寺田:普通の編集者さんとのやりとりと逆ですね。
牧野:そうですね。『NETFLIX コンテンツ帝国の野望』などはかなり削ったのですが、あんまり削ると著者は嫌がりますし、下手をすると「そんなに削るならもうやめる」ということになりかねません。読みやすい厚さにすることとのバランスを取るのが難しいですね。
寺田:『トラブルメーカーズ』では、女性起業家として初めてハイテク企業のIPOに成功したサンドラ・カーツィッグのエピソードに興味を持ちました。起業してから営業のために自分の顔写真の入った「指名手配」ポスターをつくり、「この女性は武装しています。どうやって無駄を省き、経営効率向上を図れるのかを示す事実と数字で武装しているのです。この女性は危険です」と自分のことを売り込むところとか。翻訳家を目指しているけれど伝手がなくて行き詰まっている方にも、発想のヒントになるんじゃないかと思いました。本書の読みどころや翻訳上の工夫、大変だった箇所などを教えてください。
牧野:人間にフォーカスしている点でしょうか。シリコンバレー黎明期のモデルを築いた、見えざるヒーロー7人の人間物語です。著者のレスリー・バーリンはその人間物語をビビッドに描いているので、人間的な部分を生き生きと表現できるような日本語にすることにいちばん力を注ぎました。堅苦しい経済の本ではなく、やわらかい歴史本のような感じですね。
寺田:起業ものを色々と手がけていらっしゃいますが、起業にご興味があるというよりも、起業をする人間にご興味があるのでしょうか。
牧野:企業人は数多く取材してきましたが、起業家がいちばん楽しいと以前から思っていました。大企業の経営者に取材するよりも、起業家に取材するほうが断然楽しいな、と。シリコンバレーでも昔ずいぶん取材をしましたが、みんな生き生きしているんですよね。優秀な東大生が官僚ではなく起業家を目指すなど、最近になってようやく日本でも起業の楽しさがわかってきたのかなという感じがします。
寺田:牧野さんご自身も起業をお考えだったりするんですか。
牧野:起業ではありませんが、NPO形式の報道機関として、自分のメディアを立ち上げたいという気持ちは以前からあります。起業家のコンテンツを発信していくものなら、自分のスキルを活かせるかもしれないと考えています。
寺田:それは面白そうですね。今後のご出版予定についてもお聞かせください。
牧野:2011年に発売した『官報複合体』の改訂版を現在執筆中で、10月に発売予定です。
寺田:日米のジャーナリズムの違いについて書かれた本書は、私もとても興味深く拝読しました。匿名や仮名での報道が日本では当たり前に行われていることや、権力側ではなく市民側の目線での取材の欠如など、これまで疑問に思わなかった点についても、考えるための視点をいただきました。改定版ということは、ここ10年分の情報を加筆してさらに厚くなるのでしょうか。
牧野:むしろスリム化することを考えています。いまから見ると重複している部分もあるので、それを削ったりして整理しているところです。手を入れ始めると、ほぼ全面的に書き直すことになってしまい、なかなか大変です(笑)。もともとは講談社から出ていますが、文庫化されて河出書房文庫から出ます。
寺田:文庫化にあたって出版社が変わるのも、わりと珍しいケースですよね。
牧野:講談社の担当編集者が転職していなくなってしまったんです。それもあって文庫化できずにいたのですが、「福岡はすごい」でご一緒した編集者が河出書房に移ったので、文庫化できることになりました。
寺田:そうだったんですね。「福岡はすごい」も、読んでいると福岡に移住したくなるような、これまで知らなかった福岡の魅力を教えてくれる本でした。
牧野:あの本も、面識のない編集者が声をかけてくれたんです。一つひとつの仕事をいい加減にしないでしっかりやっていると、いいことがあるなと思いました。
寺田:そうやって自分の仕事を見てくれている方の存在は、励みになりますよね。他にも読者向けにご案内があれば教えてください。
牧野:SlowNewsの記事の翻訳を手がけています。日本では本の翻訳はあっても、クオリティの高い調査報道の翻訳はあまりないんですね。「こんな事件がありました」というストレートニュースは入ってきても、調査報道やルポが入ってこないので、それを翻訳して届けることは意義があると思っています。
寺田:それは読者の方にもぜひ読んでいただきたいですね。最後に、読者へのアドバイスをお願いいたします。長年勉強を続けながらもデビューできない方や、デビューしても次の作品につなげられない方も多くいらっしゃいます。ご自身のご経験から、そんな読者へのアドバイスをいただければうれしいです。
牧野:クオリティが高い翻訳をしていれば、ヒットするような本の声がかかるチャンスがどこかであります。見ている人は見ていると思います。それなりの作品を残していれば、どこかの編集者が見ていてくれます。だから「これはつまらない仕事だから」などと言っていい加減にやらずに、しっかりやっておくと、いいことがあるんじゃないでしょうか。そして、いい編集者に出逢えたら、その人の期待に沿えるような本を出し続けると、いい循環に入れると思います。それに、いったん始められれば、翻訳家は場所にとらわれないでできる仕事だと思います。私もアメリカ、福岡、広島と場所を変えてきていますが、どこにでも住めるというのも、この仕事の魅力ですね。
寺田:ありがとうございました。今後のご活躍も楽しみにしています。
ジャーナリストとしてのお仕事でのご自身のご関心と、翻訳のお仕事を上手に重ね合わせていらっしゃる牧野さん。出版翻訳家という仕事とどのように関わるのか、そのひとつの理想的な形として読者のみなさまにもご参考になるのではないでしょうか。恵美夫人のお話が登場しましたが、牧野さんは「結婚相手は働いている人がいい」と考えていらしたそうです。理由は「会話が面白いし、お互い対等になれるし。どちらかがやりたいことがあった時に、もう一方がバッファーになってくれる」。実際、牧野さんがフリーランスになる時には奥さまが稼ぎ頭になったそうです。そうやって柔軟に役割交替をしながら、お互いにキャリアアップを支援し合い、3人のお子さんを育てていく。そんなご家族の在り方にも、とても魅力を感じました。ご家族についてのお話も、いつか本で読めるかもしれないと期待しています。牧野さん、ありがとうございました!
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