第123回 報われるまでの時差
「真理子さんの翻訳は、音楽が聞こえてくる」
音楽家の方から、拙訳書『虹色のコーラス』について、そんなご感想をいただいたことがあります。本書にはピアニストや子どもたちのコーラス隊が登場するため、作品中にたくさんの音楽がちりばめられています。翻訳をしていた当時は、数年後にそれを音楽家の方に読んでいただけるとは思っていませんでした。そして、翻訳から音楽を聞き取ってもらえるとは想像もしていなかったのです。
ご感想をいただいて、自分の仕事が報われたように思いました。出版翻訳の仕事には、翻訳が本の形になって仕上がった時や、本が書店に並んだ時、読者の方からご感想をいただいた時など、「この仕事をやってよかった」と思う瞬間があります。その中でも、自分が誰かに届けたかったことが相手に深いところで受け止めてもらえた時に、本当に報われたという思いがします。
同様のことが、拙訳書『認知症の介護のために知っておきたい大切なこと』の新版でもありました。介護を続けてかなり気持ちが沈んでしまっていた方が、いろいろな本を読み漁っても腑に落ちずにいたところ、本書に出逢いました。読んだことで心のあり方が変わり、また新たな気持ちで介護ができるようになったとのご感想をいただけたのです。
翻訳当時、「いまつらい思いをされている方が、この本を読むことで気持ちを明るみに受けてくれるように」と祈るように訳していました。その時に放った思いが、何年も経ってから誰かの深いところに届いてくれたのです。しかも、本書は一度絶版になってから復刊されたものですので、十数年の時間をかけて届いてくれたのですね。
本というのは不思議なもので、本ならではの広がり方や伝わり方をしていくのです。もちろん、各メディアには固有の伝わり方があって、それぞれのよさがありますが、「つくり手の思いをしっかりその中に閉じ込めて、届くべき相手に届けてくれる」のが本なのでしょう。翻訳している時には思いもよらないところに届いて、深い喜びを与えてくれるのです。
必死で翻訳をしているとなかなかそこに思いを馳せることができず、大変だとしか感じられなくなってしまうかもしれません。だけど、いまのこの大変さは自分が思っているよりも素晴らしい形で報われると知っていれば、気持ちも上向きになるはずです。
がんばったことが本当の意味で報われるまでには、時差があるものです。だから気長にのんびり待ちながら、「どんなおもしろい展開があるだろう」と楽しく思い描いてみましょう。そうすれば、翻訳への向き合い方もきっと変わってきますよ。
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