第114回 読みたくなる目次のつくり方②
読みたくなる目次のつくり方について、引き続き考えていきましょう。
読者の視点に立つことの大切さを前回お伝えしましたが、それがよく表れている例を『作家と楽しむ古典』に見つけました。本書では、古典の現代語訳に取り組んだ作家さんたちが裏話を披露していて、翻訳という観点からも参考になることが多いのです。その中で、中島京子さんが『堤中納言物語』の目次をどう訳したかについてお話しされています。原題のひとつがこちら。
逢坂越えぬ権中納言
この原題、「逢坂越えぬ」とあれば、ある程度古典の素養があればピンときます。百人一首の「世に逢坂の関はゆるさじ」を連想する方もいるでしょう。逢坂とは、男女の一線、恋の関所という意味なのです。だけどはじめて古典に触れる読者には、何のことかわからないかもしれません。そこで中島さんはこう訳しました。
一線越えぬ権中納言
なるほど。これなら、どんな内容かタイトルだけで伝わってきますよね。他にも、昔と今とで言葉の意味が変わってしまったことを踏まえた訳もあります。
ほどほどの懸想
「ほどほど」を「ちょうどよい加減」と解釈して、あまり燃え上がらない恋のお話と思われてしまうかもしれません。だけど実際には、「ほどほど」は「分相応、身分が相応している」という意味です。主人は主人同士、家来は家来同士で恋をしているという内容を伝えるために、こう訳されています。
恋も身分次第
これなら、言葉の解釈の違いで内容を誤解されることはありませんね。さらに、『堤中納言物語』の中でももっともよく知られるこの作品。
虫めづる姫君
これはこのままかと思いきや、訳してあります。
虫好きのお姫様
他をすべて現代語訳したので、ひとつだけ古文が入っているのを避けたかったようですが、かなり噛み砕いてありますよね。全体に、古典の知識がない読者にもとっつきやすい、読者のことを考えた訳になっていることがわかります。
『作家と楽しむ古典』の中には、『方丈記』を訳した高橋源一郎さんの裏話もあるのですが、これがなかなか衝撃的です。原文は章に分けられていないし、タイトルもついていないのですが、「ぼくがわかりやすいようにタイトルをつけたんです」とのこと。それも、「ぼくがわかりやすければ、読者もわかりやすいかもしれないと思って(笑)」という、素敵な理由で(笑)。一読したときは「そんな理由で……」と思いましたが、考えてみれば大事なことなんですよね。翻訳家が理解した程度にしか読者に伝えられないわけですから、自分にとって理解しやすいようにして、それを伝えるというのは本質をついています。
そんなスタンスで高橋源一郎さんがどう訳されたかというと……
“「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」から始まる第一章は、「リヴァー・ランズ・スルー・イット」です。これは映画のタイトルから取りました。じゃあ、いっそのこと全部、映画のタイトルにちなんじゃおうかなと思いました。……え、適当すぎる? こんなのは適当でいいんです(笑)!”
という具合に、辻風をテーマにした章は「ツイスター」、遷都をテーマにした章は「メトロポリス」、飢饉をテーマにした章は「ハングリー?」、地震をテーマにした章は「アルマゲドン」、最終章に至っては「オール・ザット・ナムアミダブツ」(!)という、なんとも奔放な現代語訳が続きます。
「え? いいの、それ?」と思いますよね。私も思いました(笑)。もちろん、これは、高橋源一郎さんが書き手としての地位を確立されているからできることではあります。実力が認知されているからこそ、遊べる幅が大きいのです。これからデビューしようという方が同じことをしても、「ふざけてるのか?」と怒られてしまう可能性はあります。でも、深く内容を読み込んだうえで確信をもってやれば、評価される可能性もあります。また、原書の内容や想定読者、編集方針によっても、何をどこまでやっていいかは変わってきます。少なくとも、高橋源一郎さんの訳は「え? 何これ。ちょっと読んでみよう」と思わせてくれますよね。
翻訳をするときは、どうしても原文に引きずられてしまいがちです。だけど「ここまで大胆に冒険してもいいんだ」と実例を通して理解できると、思い切った訳し方ができるのではないでしょうか。目次を訳す際は、ぜひお試しくださいね。
※この連載を書籍化した『翻訳家になるための7つのステップ 知っておきたい「翻訳以外」のこと』が発売中です。どうぞよろしくお願いいたします。