TRANSLATION

第112回 試訳を用意するときに大切なこと

寺田 真理子

あなたを出版翻訳家にする7つの魔法

第111回の「企画が通った理由」で、サンプル原稿の存在が大きかったことをお伝えしました。翻訳書の場合であれば、手がけたい原書の企画書だけではなく、試訳を用意しておくことです。

試訳を用意するといっても、単に日本語になっていればいいというものではありません。どの程度翻訳ができるのか、任せても大丈夫なのかを試訳で測られるのですから、質の高い訳文を用意することがまず求められます。そのうえで、「面白そうな本だな。これはぜひ日本で出版したい!」と編集者さんに思ってもらいたいわけです。そんなふうに気持ちを動かすものになっていることが大切です。

第103回の宮崎伸治さんのインタビューで、英語が読めない編集者さんもいるというお話がありました。その場合、翻訳の良し悪しがわからないということです。翻訳にまだ自信がないとここでホッとしてしまいそうですが、実はこれ、責任重大です。だって、原書の良し悪しもすべて、あなたの試訳で判断されてしまうのですから!

英語ができる編集者さんなら、試訳の出来栄えがいまいちでも、原書にさっと目を通して、「これはなかなかいい本だな」と価値を見出してもらえるかもしれません(その分、翻訳への評価がきびしくなるでしょうが……)。だけど英語ができない編集者さんの場合、試訳がいまいちだったら、「じゃあ、原書もつまらない本なんだろう」と片づけられてしまうことになります。

そんな事態を防ぐために、編集者さんの気持ちを動かす試訳を用意しましょう。では、どうやって?

それにはやはり、類書を読み込むことです。そうすることでそのジャンルの文体が身につくので、編集者さんが読んだときに違和感のない、自然な訳文をつくることができます。定訳となっている固有名詞はもちろんのこと、強く言い切るようなトーンなのか、やわらかく語りかけるトーンなのか、漢語を多く使うのか、和語のほうが好まれるのか、などを考えていきます。

ここで、あえて違和感を演出することもできます。たとえばそのジャンルの本にかっちりしたビジネスライクなものが多ければ、あえて噛み砕いてやわらかく訳してみたり、軽めの読みものとして仕上げてみたり。これまでと違う読者層に訴えるようにすることで、「こんな読者に読んでもらいたい」という読者層の提案を試訳で表現するのです。

ただし、編集者さんがその提案に否定的なこともあるかもしれませんので、類書と同じパターンの試訳も合わせて用意しておくほうがいいでしょう。そうすることで「作法を知らないわけではなくて、ちゃんとわかってやっているんですよ」と示すとともに、いろいろなパターンで翻訳できることも示せます。翻訳家の中には、翻訳を打診された際、初回の打ち合わせでカジュアル、普通、フォーマル、と3パターン用意して臨む方もいます。こちらが具体的に提示することで、編集者さんの求めるトーンを明確にできるのです。

また、類書を読み込むことで、そのジャンルで話題になっていることや、読者の興味を惹くポイントがわかります。それを踏まえたうえで試訳の中で強調することもできますし、目次に盛り込むこともできるでしょう。原書の目次は単調なことが多いので、そのまま訳しても「読みたい!」というものにはなりません。そこで内容のサマリーにしてポイントを入れ込むことで、ぐっと読みたい気持ちを盛り上げることができます(この点については、拙訳書を例に、次回に詳しくお伝えします)。また、試訳というと冒頭の部分を翻訳することが多いのですが、本の中でいちばん興味を惹く部分を選んで試訳として提出することもあり得るでしょう。熱意を見せるために一冊丸ごと訳すことも「あり」です(編集者さんの求めるトーンと違った場合、丸ごと訳し直すことにはなりますが……)。

「見える化」するためには、フォーマットも考えて用意するといいでしょう。類書を見て1ページが何文字×何行か、ひとつの段落の長さはどれくらいかを確認し、それに合わせるようにします。原書ではひとつの段落が相当長い場合もありますので、長すぎて読みづらいようなら適宜手を入れてもいいでしょう(どこでどういう理由で段落を区切ったかは、きちんと説明できるようにしておいてくださいね)。本文と各章のタイトルの書体や文字サイズも実物に合わせて、本になったところがそのままイメージできるようにします。

ちなみに私はカバーイラストからイメージすることが多く、まずは装幀から考えて用意します。翻訳家がそこまでする必要はまったくないのですが、完成形のイメージがしっかりできると、やはり現実化するのも早いのです。

たかが試訳、されど試訳。用意するプロセスの中で、翻訳力だけでなく、企画力も磨かれていくはずですよ。

※この連載を書籍化した『翻訳家になるための7つのステップ 知っておきたい「翻訳以外」のこと』が発売中です。どうぞよろしくお願いいたします。

Written by

記事を書いた人

寺田 真理子

日本読書療法学会会長
パーソンセンタードケア研究会講師
日本メンタルヘルス協会公認心理カウンセラー

長崎県出身。幼少時より南米諸国に滞在。東京大学法学部卒業。
多数の外資系企業での通訳を経て、現在は講演、執筆、翻訳活動。
出版翻訳家として認知症ケアの分野を中心に英語の専門書を多数出版するほか、スペイン語では絵本と小説も手がけている。日本読書療法学会を設立し、国際的に活動中。
ブログ:https://ameblo.jp/teradamariko/


『認知症の介護のために知っておきたい大切なこと~パーソンセンタードケア入門』(Bricolage)
『介護職のための実践!パーソンセンタードケア~認知症ケアの参考書』(筒井書房)
『リーダーのためのパーソンセンタードケア~認知症介護のチームづくり』(CLC)
『私の声が聞こえますか』(雲母書房)
『パーソンセンタードケアで考える認知症ケアの倫理』(クリエイツかもがわ)
『認知症を乗り越えて生きる』(クリエイツかもがわ)
『なにか、わたしにできることは?』(西村書店)
『虹色のコーラス』(西村書店)
『ありがとう 愛を!』(中央法規出版)

『うつの世界にさよならする100冊の本』(SBクリエイティブ)
『日日是幸日』(CLC)
『パーソンセンタードケア講座』(CLC)

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