第107回 出版翻訳家の読書会
出版翻訳家の中には、自分が手がけた作品の読書会をする方もいます。こういうイベントに対する考え方は人それぞれで、翻訳だけをしていたいからと一切やらない方もいれば、積極的にやる方もいます。
私は拙訳書『虹色のコーラス』の読書会を開催したほか、『認知症の介護のために知っておきたい大切なこと』に続いて『リーダーのためのパーソンセンタードケア』を数ページずつ読み進める読書会を毎月開催しています。読書療法の活動をしていることも読書会に積極的な理由ですが、ひとりの出版翻訳家としても、やったほうがいいと思うのです。
その理由は3つあります(余談ですが、3つのはずが7つ、8つ……となっていくのはネイティブスピーカーにありがちな通訳泣かせなパターンです)。まず1番目は、翻訳書を認知してもらう機会になるからです。先日、執筆協力した本が朝日新聞の夕刊1面に大きく取り上げられました。おかげで大きな反響がありましたが、こういう機会に恵まれることはそうありません。どんなにいい本をつくっても、読者が知らなければ、その方にとっては存在しないのと同じです。読書会があることで「そんな本があるんだ」と発見してもらえますし、「翻訳家の話が聞けるなら参加してみよう」と参加をきっかけに読んでもらえるのです。
翻訳家は、自分の手がけた作品について誰よりも詳しいはずです。深く原書を読み込んだからこそ理解していることもありますし、翻訳にあたってどんな工夫をしたかなど、裏話もたくさんあります。読書会の場でそういう情報を届けることで読者に興味を持ってもらえますし、ただ読んだだけの本とは違う、思い出に残る本として愛着を持ってもらえるでしょう。
2番目は、読者のフィードバックを得られるからです。読み方には個人の世界観や経験が反映されるので、同じ本でも感想は大きく異なるのです。『虹色のコーラス』の読書会も高校生や社会人を対象に複数回開催したのですが、「音楽」「教育」「ダイバーシティ」「貧困問題」「恋愛」など、読者の着眼点がそれぞれ違いました。楽器を習ってきた方はやはり演奏シーンが心に残るようですし、貧困問題に取り組んでいる方は作品中の移民の生活に注目していました。そして、かつての恋愛を思い出して語りだす方も……。
誰よりも詳しいはずの翻訳家でも気づかなかったことに目をとめている方もいて、翻訳家自身にも発見があります。自分の手がけた作品にぐんと奥行きが感じられるようになるのです。今後の翻訳にあたっても「ここはどう読まれるのかな」と考えるようになりますし、読者の顔が思い浮かぶことも励みになってくれます。
3番目は、翻訳家が幸せな気分になれるからです。出版翻訳を料理にたとえるなら、がんばって翻訳をして作品を世に出すのは、おいしい料理をつくって提供するようなもの。だけど料理と違って、それを食べて喜んでもらうところは、普段目にすることがないのです。それが読書会の場で参加者の話を聴いていると、「こんなに喜んで食べてくれてたんだ」と実感できるのです。
『リーダーのためのパーソンセンタードケア』の読書会の中で、参加者の方が、本書によって自分の実践がどう変わったかを話してくれる機会がありました。自分が翻訳したことが確かに誰かに届いて、その方によい影響を与えることができたのだと感じ、深いところから喜びが湧き上がりました。翻訳作業は地味で孤独なものなので、こんな「ごほうび」もあっていいと思うのです。
※先日公開された動画インタビューの中で、読書会にも言及しています。よかったらあわせてご覧ください。
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