第105回 出版翻訳家とモデル
出版翻訳家の仕事とモデルの仕事に、意外と共通点があるのかもしれない……そんな発見をしました。
きっかけは、日経新聞の「モデルの一生」という山内マリコさんの連載です。芸術作品とモデルの関係性を読み解く内容で興味深く拝読していたのですが、第4回の連載で「ミューズという概念は、性被害と背中合わせ」として、写真家による被害を告発したモデルの話が登場していました。そこからモデルという美的労働の現実を考える記事を読んだところ、まるで出版翻訳家の話のように読めるのです。
たとえば、記事の中のモデルさんのこの意見。
“好きなことを仕事にできるのは、とても素敵なことですが、自分の身は自分で守らないといけないのも事実です。フリーランスのモデルさん、好奇心だけでちょっとやってみたいと思う人も、たくさんいると思います。何かあった時には、契約書の有無が一番大切になってきます。そこで初めて法的に動くことが可能になります。だから、どれだけ仲のいい関係であっても、お互いが納得できる契約書を作ることを妥協しないでください。”
出版翻訳家の場合も契約書がないのが当たり前になっていますが、第103回のインタビュー記事にご登場いただいた宮崎伸治さんのように、契約書がないためにトラブルになるケースもあります。
さらに、契約書をめぐるこんな事情も。
“若いモデルとキャリアを積んだ写真家には、権力の非対称性があります。若いモデルにとっては、同意書を要求することが難しい状況も多いでしょう。”
写真家を編集者に置き換えると、駆け出しの翻訳家が出版契約書を要求しづらい状況にも通じます。ただ、その場合でも最低限メールで返事をもらっておきたい項目については第103回のインタビュー記事で言及していますので、ぜひご確認ください。
モデルと写真家の権力の非対称性は、こんな状況を生み出します。
“プロ意識が高ければ高いほど、自分の感情を犠牲にしてでも要求に応えようとするでしょう。「応えなければ次回の仕事に呼んでもらえないかもしれない」とも考えるでしょう。”
無理なスケジュールや低い印税率で翻訳家が仕事を受けてしまう状況のようにも読めますね。
“さらに、きらびやかな広告やショーのイメージで実像が覆い隠されるので、モデルの仕事が大変きつい労働だと一般に理解してもらいにくいともいいます。”
翻訳した本が書店で大きく展開されたり、目立つ広告が出たり、SNSで話題になったりすると「夢の印税生活」を思い描く方が多いのですが、ずっと座り続けて翻訳をするのも、やはり大変きつい労働です。
もちろん、どんな職業にも憧れの対象としてイメージされる部分がありますし、それが虚構なわけでもありません。夢を見られるからこそ努力を続けられるのですから、夢があることを伝えるのも大切だと思います。だけど、そればかりがクローズアップされてしまうと、現実が見えづらくなることもあるでしょう。
“ファッションモデルは長時間労働かつ不安定な収入であるうえに、モノのように扱われ、オーディションに繰り返し落とされるなど、他者に否定される機会が非常に多いためです。”
モデルは大切に扱ってもらえるのかと思いきや、過酷な労働環境なのですね。翻訳家も、持ち込み企画の場合は多くの出版社さんからお断りをいただくことになります。自分自身が否定されるわけではありませんが、やはり他者に否定される機会は非常に多いです。
意外に共通点のある、出版翻訳家とモデルの仕事。いずれもメンタルが強くないとやっていけないな、と感じました。
そこで、次回は出版翻訳家とメンタルについてお伝えします。
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