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第97回 出版翻訳家インタビュー~大森望さん 後編

寺田 真理子

あなたを出版翻訳家にする7つの魔法

第96回に続き、SF翻訳家の大森望さんからお話を伺います。

『三体』オリジナルTシャツに注目! 『三体』日本版書籍と同じデザイナーの方がデザインをされたそうです。オブジェクトに刻まれているのは惑星軌道。タイポグラフィもオリジナルです。)

寺田:大森さんの『文学賞メッタ斬り!』シリーズをとても楽しく拝読したのですが、そこでは、SFは読者を選ぶので10万部は売れないとされていました。『三体』は第1部だけでも13万部突破の大ヒットになりましたが、それによってSF翻訳をめぐる状況にも影響が出ているのでしょうか。『新編 SF翻訳講座』によると「SF翻訳は新陳代謝がぴたっと止まっている」そうですが、状況が変化して翻訳志望者も増えたのでしょうか。

大森:『三体』は例外中の例外で、あんなことは何十年に一度でしょうね。『三体』三部作にひっぱられて他のSFがガンガン売れ出すというわけでもなく、だいたいは文庫で1万部売れるかどうか……みたいなラインです。SF翻訳者の新陳代謝について言うと、出版社のほうであんまり積極的にそれを求めていないという事情もあります。

翻訳は、70代、80代まで、長く続けられる仕事なので、上の世代がなかなかいなくならない。SFを中心に、翻訳だけで食べていけるプロの翻訳家が20人から30人いて、だいたいその中で需要と供給が満たされている。

僕の世代のSFファン出身の翻訳家、中村融、内田昌之、中原尚哉、古沢嘉通、嶋田洋一、細美遙子、白石朗あたりは、大森を含めて、だいたい同時期に創元SF文庫からデビューしたんですが、当時20代後半から30代前半でした。当時の東京創元社に新しい翻訳家を育成しようという気運があって、意識的に新人を起用したわけですが、それから30年以上経っても、その世代がずっと現役でバリバリSFを訳している。

だからといって、いま、新人に参入の余地がないわけではなくて、先々のことを考えたら若い人を育てないといけないと思いますし、若くてやる気のある、新しい人はつねに求められています。

とくに、いまいちばん求められているのは中国語ができる人ですね。中国語のSFを日本語に翻訳する力があって、訳文が一定の水準に達していれば、いますぐにでも使ってもらえるのではないでしょうか。やれる人は、面白い短編を探して自分で訳して、どんどん持ち込みをしたほうがいいと思います。

英日文芸翻訳の場合、僕が駆け出しの頃は、400字詰の原稿用紙で1万枚、本で言えば20冊ほど翻訳して一人前というか、まあだいたい翻訳のやり方がわかるようになると言われていました。だけど、中国SFの場合はそのようにゆっくり育成するシステムがなくて、とにかく即戦力が求められている状況です。月に200枚から300枚程度でも翻訳できるなら、すぐにプロ翻訳家になれるかもしれません。

寺田:そうなんですね。『三体』では中国語からの日本語訳があり、それと英訳を参照しながらほぼ全面的に訳し直されたんですよね。ケン・リュウが英訳したことで価値が高まる部分もありますし、英語のSF翻訳家のほうが数も多いので、英語から翻訳されたのかと思っていました。今後『三体』のように中国発のSFが増えても、英訳版からではなく中国語からの翻訳になるのでしょうか。

大森:英訳された中国SFアンソロジーの翻訳権をとって出版する場合など、英語版から訳す場合もあるんですが、重訳ではなく原語から訳すのがいまの時代の趨勢なので……。ただ、重訳だからよくないかというとそうでもない。ケン・リュウ訳のフィルターを通した中国SFは、訳者の解釈をはさむ分、意味が一段階明晰になっている印象です。それを英語から訳したあと、中国語の原文と付き合わせてチェックすれば、ダイレクトに訳すのと変わらないか、もしくはそれ以上のクォリティの日本語訳になると思います。中原尚哉さんが訳した陳楸帆『荒潮』なんかはそのケースですね。

中国語からの翻訳については、長編SFをダイレクトに日本語に訳せる人がまだ少ないんです。そもそも、『三体』以前は、中国SFの長編なんてまったく翻訳されていなかったので当然ですが。

短編を訳せる人はいても、500枚から1000枚の長編を数カ月で訳して、それがそのまま使いものになるというのは、また別の能力なんですよね。英語と中国語の両方ができれば鬼に金棒なので、そういう人にとっては、いまはものすごく大きなビジネスチャンスですね。10枚なり20枚なりの試訳をつくるとか、未訳の短編を勝手に訳して送りつけるとかして、どんどんアピールすればいいと思います。

寺田:この連載の読者の中にも、英語と中国語に堪能な方がいらっしゃる気がします。ビジネスチャンス情報として、役立てていただけるといいですね。ところで、『三体』第2部で「あーね」という言葉が使われていて、初めて知ったのですが、SFではよく使う言葉なんですか。

大森:いや、「あーね」はSFで使われたのも初めてだと思います(笑)。10年くらい前から女子高生のあいだで流行りだした言葉で、うちの高校生の娘もしょっちゅう言ってますね。『黒暗森林』でそれを使ったのは、時代設定的にもキャラクター的にもぴったりだなと思ったからです。「さあね」だと知らないという意味でしか使えませんが、「あーね」だと知っている場合でも知らない場合でも使えて、応用範囲が広いんですよね。

実は、『三体』第1部では、いちばん最後のほうで「リア充」も使っています。こういう言葉を使うことには賛否両論あるんですが、現代の中国は、とくにネット文化、ネット用語を中心に、かなり日本と近いんですよ。同じ文化圏にいるという感じがします。『黒暗森林』で、ある登場人物が田中芳樹『銀河英雄伝説』のヤン・ウェンリーの名台詞を引用したこともすごく話題になりましたが、同じ時代にいるんだということを手っとり早く示す方策として、「リア充」とか「あーね」みたいな言葉を使いたかった。

文革の悲劇を経験して、たどってきた歴史が日本とはまったく違うのに、経済大国になった今の中国は、日本とすごく近いオタク文化を享受している。これはある意味、作中で次第に進展する三体文明と地球文明の関係にも似ていますが、そういう部分を出せたらと思って。ちょっとでもネット上で話題になればいいなあという下心ももちろんあります。翻訳には、そういうサービス精神がなきゃいけない。

寺田:そうだったんですね。ネット向けにもそこでサービス精神を発揮されていたとは(笑)。『三体』や他のお仕事でも、「監訳」ではなく「共訳」とされていますよね。

大森:監訳というと、お弟子さんのをちょっと見てあげるというか、偉い人が名前を貸してあげるイメージがあるんです。そうではないことを示すために、監訳者じゃなくて翻訳者にしてください、と言いました。実際、作業としてはまさに翻訳なので。

寺田:『三体』を拝読しながら、「私だったら5行も訳せないな」と思っていました。話の構造も入り組んでいて複雑ですし、専門知識も必要ですし。『50代からのアイドル入門』で、翻訳をしているときはハロプロのDVDをずっと流していると知って衝撃を受けたのですが、いったいどうやってそんなことができるのでしょう……?

大森:翻訳は、プラモデルを組み立てているみたいな感覚なんです。たとえば、本の書評を書くときにはDVDが邪魔になるんです。それに、本を読むときも日本語詞の音楽や映像をシャットアウトしないとダメなタイプです。だけど翻訳は別なんですね。漫画家さんで、「ネームやってるときは無音だけど、ペン入れのときはラジオを聴きながら」というのとちょっと近いかもしれない。ある程度頭の中でシステム化されているからでしょうね。ドラマやニュースを見ながらはなかなかできないんですけれども、何度も見ているライブDVDなら大丈夫なんです。

寺田:すごく不思議で、興味深いです。さて、この連載の読者には、翻訳家を目指しながらも長年デビューできない方も多くいらっしゃいます。どんな能力を身につけていくべきか、アドバイスをお願いいたします。

大森:ある特定のせまい分野でいいから、それについては編集者以上の知識を持つことでしょうか。「日本で売れそうなものは」とか、「この作品は賞をとっている」とか、「賞はとっていないけれどもすごく売れている」とか、「この系列はまだ翻訳されていないけれど実はすごく可能性がある」とか。説得力をもって売り込みができるだけの知識を持つことです。

ただ、巡り合わせや運不運も大きいですね。11月に、橋本輝幸さんが編纂した『2000年代海外SF傑作選』という翻訳SFのアンソロジーがハヤカワ文庫から出るんですが、その中に『三体』の劉慈欣の短編「地火」が入っています。橋本さんが選んだ作品ですが、実は、これはたまたま1年ほど前に、『三体』を読んで中国SFに興味を持った齊藤正高さん、大学で中国語を教えている方なんですが、この方が趣味で訳して、翻訳原稿のプリントアウトを出版社に送ってきていたんです。編集者がそのことをはっと思い出して、原稿を発掘してきた。で、これに関しても、『黒暗森林』を訳したジョエル・マーティンセンさんの英訳があったので、それを参照しながら齊藤さんの訳文を、僕が共訳者として全面的に改稿するかたちになりました。翻訳原稿の持ち込みは数が少ないし、それが出版に直結した例はさらに少ないんですが、中国語なら可能性があるということですね。もちろん英語でも、クォリティが高かったり、独自のセールスポイントがあったりすれば、採用されるかもしれません。

最近は、同人誌でも、著者と連絡をとって許諾をもらったうえで短編を翻訳したり、著者から翻訳権を買って長編をファン出版したりするケースも出てきています。品質がよければ、そういう非商業ベースの翻訳から商業出版への道が開ける可能性もありますね。

寺田:そんなケースもあるのですね。やはり、自分から積極的に動いていくと、思いがけず道が拓けていくものですね。最後に、ご自身が翻訳された作品の中で、読者におすすめのものをご紹介いただけますか。大森さんは40年近く翻訳をされていて作品数も多いので、どれを読もうかと迷うのですが……。

大森:テッド・チャンの短編集『息吹』をおすすめします。中国系アメリカ人ですが、彼の作品にはアジアっぽいところがなく、中国文化の影響もほぼなくて、英語圏SFのトップランナーですね。年齢も50代になって落ち着いてきていることもあり、人生の機微とテクノロジー、この作品集では特に、テクノロジーがもたらす人間の生活や心の変化が描かれています。SFを読んだことがない人でも読みやすいと思います。ものすごく評価は高いのに、この30年間で2冊しか本を出していない作家なので、たいへん貴重です。もう1冊は、コニー・ウィリスの『航路』というメディカルサスペンスSFです。臨死体験を研究する心理学者を主人公に、病院内のロマンスと、死ぬとはどういうことかというテーマを扱っています。

寺田:ありがとうございます。新刊は『三体』の第3部かと思いますが、こちらはいつごろ発売になりますか。

大森:来年の4月から6月に刊行予定です。現在、半分ほど翻訳が済んだところです。

寺田:第1部を拝読して、SFになじみのない私のような読者にも読みやすい、リーダビリティの高い作品だなと感じました。第1部を読んでそれだけで満足してしまう方も多そうですが、個人的には第2部のほうがぐっと面白さが増していたので、ぜひ第2部も読んでいただきたいですね。第3部も、今からとても楽しみにしています。ありがとうございました!

SFは食わず嫌いだった方にも、今回のインタビューをきっかけに、話題の『三体』シリーズをお手に取っていただけたらうれしいです。大森さんの『新編 SF翻訳講座』も、翻訳の勉強に行き詰まったときにヒントをくれる本 – hontoブックツリーでも紹介させていただいているとおり、読者のみなさまにおすすめです。豊富な知識と情報量で、たくさんの楽しいお話をしてくださった大森さん。『50代からのアイドル入門』のカバー写真のインパクトに負けないものを、と「天使のオブジェに囲まれた大森さんのお写真を撮りたい」というリクエストにも応じてくださり、本当にありがとうございました!

※大森望さんの最新情報はTwitterをご覧ください。

※この連載を書籍化した『翻訳家になるための7つのステップ 知っておきたい「翻訳以外」のこと』が発売中です。どうぞよろしくお願いいたします。

Written by

記事を書いた人

寺田 真理子

日本読書療法学会会長
パーソンセンタードケア研究会講師
日本メンタルヘルス協会公認心理カウンセラー

長崎県出身。幼少時より南米諸国に滞在。東京大学法学部卒業。
多数の外資系企業での通訳を経て、現在は講演、執筆、翻訳活動。
出版翻訳家として認知症ケアの分野を中心に英語の専門書を多数出版するほか、スペイン語では絵本と小説も手がけている。日本読書療法学会を設立し、国際的に活動中。
ブログ:https://ameblo.jp/teradamariko/


『認知症の介護のために知っておきたい大切なこと~パーソンセンタードケア入門』(Bricolage)
『介護職のための実践!パーソンセンタードケア~認知症ケアの参考書』(筒井書房)
『リーダーのためのパーソンセンタードケア~認知症介護のチームづくり』(CLC)
『私の声が聞こえますか』(雲母書房)
『パーソンセンタードケアで考える認知症ケアの倫理』(クリエイツかもがわ)
『認知症を乗り越えて生きる』(クリエイツかもがわ)
『なにか、わたしにできることは?』(西村書店)
『虹色のコーラス』(西村書店)
『ありがとう 愛を!』(中央法規出版)

『うつの世界にさよならする100冊の本』(SBクリエイティブ)
『日日是幸日』(CLC)
『パーソンセンタードケア講座』(CLC)

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