第73回 心理的な壁
持ち込みにあたっては、心理的な壁がありました。それはこの連載を開始するにあたっても存在したものですが、
「大御所の翻訳家ならともかく、私くらいの実績でこういう本を出すなんて、おこがましいのでは?」
と思ってしまったのです。
「第47回 自信が持てない?」でお伝えしたように、「私なんて」の心理が働いてしまうことは、私にもよくあります。何か行動を起こそうとした時に、自分の中にいる批判的な自分が、「ちょっと待った!」とプロレス技をかけて止めにくるのです。この手ごわい敵を倒さないことには、前に進めません。
そこで、まずは論理的に反証してみました。大御所の翻訳家が、本当に書き手としてふさわしいのかを考えてみたのです。大御所だからこそ読者からの信頼が得られる半面、大御所であるために読者からの距離が遠くなってしまうデメリットがあります。何を説いても、「あなたは特別だから」と思われてしまうのですね。読者が「自分もがんばろう」となるより、「この人はできたけど、自分には無理」とくじけてしまう可能性があります。そうすると、読者にやる気を出してもらって、実際に翻訳家の道を歩んでもらおうという、本の目的を果たせなくなってしまいます。
それに、大御所となるとデビューは何十年も前で、今とは時代背景がかなり変わってしまっているため、参考になりにくいのです。そういう意味ではむしろ、デビューしたてのほやほやのほうが参考になるでしょう。とはいえ今度はデビュー後の展開について経験不足ですし、一つひとつのことを文脈に置いて意味づけて伝えることも難しいでしょう。そう考えると、読者に届きやすいように伝えるには、私くらいの実績が書き手としてちょうどいいのではと考えました。
また、自分自身を振り返っても、本を出していなかったころは、一冊出していれば「本を出している人」で、「すごい」と思っていました。まして何冊も出していたら、「すごくたくさん出している人」と認識していたものです。
普段よくお話をさせていただくのが、この連載にもご登場いただいた植西聰さんのように桁外れの実績の方なので、私の判断基準は標準よりもかなりきびしいのではと気づきました。読者目線で考えれば、実績として問題はないと判断基準を修正できたのです。
そして、この発見が私にとっては何より大きかったのですが……
もともと私には、厚かましくておこがましいところが、結構あるのです!(笑)
だから、「こんな本を出すなんて、おこがましい」と言われたとしても、それは「批判」ではなくて「正当な批評」だなと思ったのです。だったら傷つくこともなく、「そうなんです! 私のことをよくわかってくれてありがとう!」と思って受け止めればいいんですよね。そこに気づいて、とても気持ちが楽になりました。
そうやって、持ち込みに当たっての心理的な壁も乗り越えることができました。もし、今悩んでいる方がいたら、こんな反証のプロセスもご参考になればうれしいです。
次回の連載では、持ち込んでから出版に至るまでをお伝えします。
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