第69回 原書の検討プロセス④
どんな原書をどうやって見つけたのか、出版翻訳する価値があるかをどう見極めているのか、第68回に引き続きお伝えします。
④詩集のような絵本
イラストレーターの名前で検索して見つけました。以前から注目している日本の出版社の新刊で、その方が描いたイラストが印象的だったのです。かわいらしく、どこか懐かしさを感じさせる絵柄でありながら、ちょっと変わっていて新しい。そこで調べてみると、翻訳されているのはこの一冊だけで、他にもたくさんの作品が刊行されていました。
その中から特に興味を惹かれた作品を取り寄せて読んでみたら、詩集のような絵本でした。物語性があるわけではなく、美しい詩に素敵なイラストが添えられた、贅沢なコラボレーションというところでしょうか。
金子みすゞさんがご存命だったら、訳詩をつけてほしいと思ってしまいます。あのどこかはかなげな温かさと、清潔感と透明感。その詩の雰囲気がとても合うように感じるのです。
詩人では茨木のり子さんが好きなのですが、この絵柄にはきっと合わないだろうと思います。強さや凛々しさ、硬質なものがにじみ出るのが茨木のり子さんの詩の魅力ですが、それが絵柄と反発してしまうでしょう。
そう考えると、③のナンセンス絵本でも感じたことですが、自分独自の文体を持っていることはやはり強みですよね。翻訳家は黒子ではありますが、その文体がうまくはまる作品があれば、「ぜひこの人の翻訳で」と依頼が来るわけですし。第37回の笹根由恵さんのインタビューでも翻訳家のカラーが話題に出ましたが、そのお話にも通じるのではないでしょうか。
80歳くらいで本書の翻訳を手がけるのも楽しいだろうなあと思うのです。自分の文体をしっかりと身につけ、美しい日本語を自在に操りながら、ササッと10分くらいで詩をつけてしまう。「すごい、10分でできちゃうんですね!」と言われて、「いいえ、80年と10分よ」と答えてみたい……そんな妄想を抱いています。とはいえそうなるには、逆算すると今からかなりの修業を積まないといけないのですが……。
自分の文体を確立するのは並大抵のことではありません。ファッションデザイナーのココ・シャネルの名言「翼をもたずに生まれてきたのなら、翼を生やすために、どんな障害も乗り越えなさい」にならうなら、「文体を持たずに生まれてきたのなら、文体を確立するために、どんな障害も乗り越えなさい」というところでしょうか。では具体的にどうするかといえば、ひたすら読んで書いて、という地道なことしかないんですよね。量稽古を積むことで、量が質に転化するのは事実ですから。
ヒントを挙げるとすれば、肌感覚の合う方の文章を探して、それを集中的に読むこと。その際に、なぜその方の文章に惹かれるのかをよく考えながら、細かく見ていくことでしょう。ひとつの単語を漢字にするかひらがなにするか、それだけでも印象は大きく変わります。自分の好きな作家の文章をよく見たら、「僕」ではなく「ぼく」を使っていて、それが作品の抒情性を高めるだけでなく字面も柔らかく整えていた……という具合に発見が多くあるものです。
本書に関しては、まだ先のお楽しみという位置づけで、企画書も試訳もなしで、そのまま本棚に置いてあります。
続いて、5冊目の原書は……次回の連載で!
※この連載では、読者の方からのご質問やご相談にお答えしていきます。こちら(私の主宰する日本読書療法学会のお問い合わせ欄になります)からご連絡いただければ、個別にお答えしていくほか、個人情報を出さない形で連載の中でご紹介していきます。リクエストもあわせて受け付けています。