第68回 原書の検討プロセス③
どんな原書をどうやって見つけたのか、出版翻訳する価値があるかをどう見極めているのか、第67回に引き続きお伝えします。
③ナンセンス絵本
①と同じく、出版社のラインナップを見ていて目に留まりました。カバーイラストの独特のたたずまいが気に入って、どんなお話だろうと読んでみました。
謎のおじさんを主人公にした、ナンセンス絵本でした。出版する意義があるかと問われれば……ないでしょうね(笑)。ただ、「なんだかおもしろいから出してみようか」となるような、そんな余裕と遊び心のある出版業界であってほしいなと思っています。
意義はともかく、この謎のおじさんはなかなか気に入っていて、色々な訳のつけ方が考えられそうです。乾いたそっけない感じの翻訳で淡々と綴ることで面白みを引き立たせることもできるでしょうし、ちょっと古風な言葉を多めに織り交ぜることで味わいを醸し出すこともできるでしょう。
講談調の翻訳をつけてみたら面白く仕上がるのでは、と考えてつけてみたのですが、なかなかむずかしいです。七五調で語呂よく仕上げられる部分もあれば、うまくおさまらない部分もあって……。
そのうえ、原文は韻を踏んでいるんですよね。同じように日本語で韻を踏んだ訳文をつくるとなると、かなり高度な技が求められます。「言葉の力という意味では、詩人は最強」という趣旨のことをある方が語っておられましたが、絵本の翻訳を詩人が手がけることが多いのも納得します。頭をひねればいいアイデアが出てくるというものでもなく、意識下に寝かしておいてピンとくる言葉との出逢いを待つ感じでしょうか。
また、これは絵本ならではのことですが、絵と訳文を合わせていくことも求められます。たとえば原文には「笑顔」という情報しかなかったとしても、絵のほうは「にっこにこ」だったり「ニタニタ」だったり「にんまり」だったり「二カーッ」だったりするわけです。絵の情報もきちんと読み解いて、そこにぴったり合う言葉を当てはめていくのです。
このあたりの絵本翻訳特有のコツや技術については『絵本翻訳教室へようこそ』に詳しく書かれています。「絵本の翻訳は簡単そう」と誤解している方も多いのですが(私自身も、やってみるまではそう思っていました。短いから簡単かと思いきや、とんでもない!)、その難しさゆえの楽しさと奥深さを伝えてくれる本です。
実際に講座を受講する感覚で、それぞれタイプの違う受講生の訳を比べながら学んでいくことができます。同じ原文でも訳す人によってこんなに翻訳には幅が出るんだとわかりますし、文章に各人の個性がにじみ出ているのが感じられます。自分の持ち味の活かし方など、「絵本」という枠に限らず翻訳全般にとても勉強になります。残念ながら絶版ですが、中古でもご一読をおすすめします。
さて、今回選んだ絵本について、きれいに韻を踏んで、絵柄とのバランスもいい訳文をつくれるようになるのは、いったい何年先になることやら……。ただのナンセンス絵本かと思いきや、意外とハイレベルなことが要求されて、長丁場のお付き合いになりそうです。そんなわけで本書については企画書はつくらず、試訳だけつけています。
続いて、4冊目の原書は……次回の連載で!
※この連載では、読者の方からのご質問やご相談にお答えしていきます。こちら(私の主宰する日本読書療法学会のお問い合わせ欄になります)からご連絡いただければ、個別にお答えしていくほか、個人情報を出さない形で連載の中でご紹介していきます。リクエストもあわせて受け付けています。