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第48回 出版翻訳家インタビュー~夏目大さん 前編

寺田 真理子

あなたを出版翻訳家にする7つの魔法

今回の連載では、出版翻訳家の夏目大さんからお話を伺います。夏目さんは『Think CIVILITY(シンク・シビリティ)―「礼儀正しさ」こそ最強の生存戦略である』『タコの心身問題―頭足類から考える意識の起源』『あなたの人生の科学』『ヨーロッパ炎上―新・100年予測:動乱の地政学』など多くの話題作を手がけておられるほか、翻訳学校でも長年にわたって教えていらっしゃいます。

寺田:本日はよろしくお願いします。Think CIVILITY』は現在10万部と大ヒット中ですね。『タコの心身問題』も各紙の書評で取り上げられ、話題を呼びました。多くの話題作を手がけておられる一方、『音楽の科学』や『CHOCOLATE(チョコレート):チョコレートの歴史、カカオ豆の種類、味わい方とそのレシピ』など、お好きだという音楽やチョコレートに関する本も手がけておられ、ご自身のご興味とお仕事を上手に重ねていらっしゃるように感じます。手がける作品はどのように選んでいらっしゃるのでしょうか。

夏目(以下敬称略):私は完全に受身なので、選んだわけではなく、来たものを受けているんです。『CHOCOLATE』に関しては、本当は私は仲介だけして生徒さんたちに任せるはずだったんですが、チョコレートが好きなので「ちょっとやらせて」と言って「はじめに」と「用語集」だけ翻訳したんです(笑)

寺田:そうだったんですか(笑)。じゃあ、まわりの方が面白そうなものを持ってきてくださるんですね。

夏目:そうなんですよ、ありがたいことに。

寺田:基本的にお仕事は断らないんですね。

夏目:自分からは断らないですね。ただ、スケジュールが合うかだけが問題です。できればやりたいので、「これくらい時間をいただければできます」という希望を言って、それで先方が問題なければやりますし、無理ならあきらめます。幸い、無理だと言われることがあまりないので助かっています。『タコの心身問題』の版元であるみすず書房は以前から大好きな出版社だったので、機会があれば仕事をしたいということは言っていました。だけど「こういう本がいい」という類のことは一切言っていないです。みすず書房の方は私の訳した『超訳 種の起源―生物はどのように進化してきたのか』を読んで私を知ってくださったので、進化に関するものがきたのでしょうね。そうやって過去の仕事からとか、話をする中でどんなことに興味があるかを伝えておくと、ふとした時に思い出して頼んでくれる感じです。だからたまたまですね。やりたくない仕事がたまたま来ないんです。

寺田:いい流れに乗って運ばれてきた感じでしょうか。

夏目:進化論の本によく、Drunkard’s Walk(酔っぱらいの千鳥足)というたとえ話が出てきます。進化には決まった方向性はないんです。物事は基本的に安定しているけれど、常に少しずつ揺らいでいます。酔っ払いの千鳥足のように、遠くから見るとだいたいまっすぐなんだけど、近づいて見ると蛇行している。歩いている道の両端は溝で、たいてい落ちることはないけど、たまにバシャッと落ちることがある。そういう時に大きな変化が起きる。その変化が有利なものであれば残るんですね。不利なものであれば消えていく。その積み重ねで、何十億年も積み重ねると、最初と全然違うものができていく。最初は遠目で見ていると何も変わらないけど、長い年月で見ると大きく変わっている。私の仕事もそういう感じなんです。頼まれる仕事はだいたいどれもそんなに違わないんだけど、たまにちょっと違うのが来る。そういう時に、その仕事は必ずやるんです。そうすると、長い年月のうちに、最初と全然違うところに行っているという……。だから普通と違うかもしれませんね。普通は同じことを繰り返したほうが得意になるし効率も上がるからいいと言われますけど、私はそれだとつまらないんです。頼むほうはこれまでの仕事との連続性を考えて頼んでくるんでしょうけど、こちらがちょっと違ったものを続けて選んでいくと結果的にこうなるんですね。最初の頃は同じ仕事が多かったですけど。

寺田:元SEということもあって、最初に手がけていらしたのはプログラミングの本でしたよね。

夏目:そうです。それもおもしろいけど、ずっとそればっかりでも嫌だと思って、どうすれば同じことの繰り返しから抜け出せるかを考えたんです。ものすごくうまく訳すと、また同じようなのをお願いしますと言われちゃうじゃないですか。だけど下手に訳したら次の依頼がこない(笑)。だからちゃんとやるんですけど、すると相手は「この人はこういうのが得意なんだ」と思う。かといって「私は同じのばかりは嫌なんです。違うのもやりたいんです」と言っても不利になるばっかりなんで、意味がないんです。だけど相手も気まぐれで「ちょっと違うけどこれ頼んでみよう」という時があるんです。それをこなすと「こういうのもできるんだ」となる。そうやってだんだんずれていく。そうしているうちにコンピューターがチョコレートになったりタコになったりするんです(笑)

寺田:そんな進化が(笑)

夏目:そうなんです。最初から「音楽の本をやりたいんです」と言っても、相手にとっては「コンピューターの本をやっている人」なんですよ。言うだけは言っていましたけれど、相手は「ふーん、そうなんですね」と言うだけです。でも聞いてはいるから、何かあった時に「そういえばあの人は音楽が好きって言ってたな」と、ほんの少しだけ音楽に関係する仕事が来るんです。他にそんな人はあまりいないから。コンピューターの翻訳をやっている人は、ガチガチにコンピューターが好きな人ばかりなんで。「音楽が好きだ」とか「脳に興味がある」なんていう人そんなにいないんです。だからちょっと変わった仕事が発生したときに回ってきやすいみたいですね。それをやると「こんなのもできるんだ」となって、だんだんと好きな分野の仕事が来るようになります。だから時間はかかりますよ。

寺田:最初からそういう時間軸を見込んで戦略的に仕掛けたんですか。

夏目:こんなに時間がかかるとは思わなかったですよ。戦略なんていうかっこいいものじゃなくて、他にどうしていいかわからなかったから。売り込みとかは苦手だし。だからじっと待ってるんです(笑)。じっと待ってるしかできないから、自分にできることは何だろうと考えた時に、ちょっとずれた仕事を逃さないようにしよう、と。結果的に思い通りになったけど、それは運がよかっただけで、もう一回同じことをやったらうまくいくかというとそうじゃないと思うんです。それは進化と同じですね。進化論的にものを考えることが好きで、それは役に立ちましたよね。

寺田:いつ頃からそうやって進化論的に考えるようになったんですか。

夏目:リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』を読んでからですね。noteで「思い出すことなど」に書いている時代です。ダーウィンにもはまって、進化論をしばらく勉強したんです。「物事ってこんなふうに動くんだ」と思って。だけど自信があったわけではないし、「もう一生だめかもしれない」と何回も思いましたよ。小説の翻訳も手がけましたが、これも最初からやりたかったんですよ。サリンジャーの翻訳書を読んで翻訳を勉強していますから。だけど、どうやってアプローチしていいかわからなかったんです。コンピューターから小説までがいちばん遠いじゃないですか。長年やっているうちに小説を訳している同業者の友人ができて、「夏目さんに小説をやらせたい」と編集者を紹介してくれたんですよ。

寺田:そうだったんですね。

夏目:私の訳し方は、小説にたぶん向いていると思うんです。産業翻訳をやっている頃から小説を訳すような訳し方をしていたから、周囲からは浮いていました。発注元には好評のようでしたが、間に入る翻訳会社の人から見たら違和感があったと思います。たとえ説明書であっても、読んで面白いことが大事だと思って訳してきましたから。確か、物理学者のシュレーディンガーの『生命とは何か―物理的にみた生細胞』に書いてあったんですけど、この宇宙にある素粒子の動きはミクロで見るとランダムです。でもマクロで見ると一定の秩序がある。それと似た感じです。日々の暮らしはランダムな出来事の連続で、特にどこかに向かっているようには見えない。でも10年、20年のスパンであとから振り返って見ると、大きくどこかの方向に進んでいたりする。最初にやっていた仕事に近い仕事は早いうちに来たし、小説のように最初の仕事から遠い仕事は後から来た。何か、進化論を自分の人生で実験したようなものですね。でも、そういう仕組がだいたいわかる頃にはすっかりおじさんになってしまったのが残念です(笑)。いまの知見を活かして25歳くらいからやっていたらと思うんですけど。

寺田:その知見は翻訳学校の生徒さんたちに活かしていただくということで。

夏目:そうですね。

寺田:実際、そういう知見を持てない生徒さんが多いのではないでしょうか。年齢的にまだ若い場合もあって、長期のビジョンが持てないというか、視野が狭くなってしまうというか。体得した知見を伝えるのは難しいものですが、どのように伝えていらっしゃるんですか。

夏目:結局、今何ができるかだと思っています。「いつかああしたい、こうしたい」というのは忘れないけれど、そのために今できる最善のことは何かと考えたら、少しでも確率が上がることをする。それしか思いつかなかった。でもこれは自分の話として「思い出すことなど」で書いて、生徒さんにも話はするけれど、アドバイスとかではないですね。「自分にはこういうことが起きました」という話です。「こういうふうにしましょう」とか「こうするとうまくいくよ」とは言わないです。サンプルとして提示するだけで、どう受け取るかは生徒さんの判断に任せます。私の授業は教えるのではなくて、サンプルを見せているだけなんです。出し惜しみだけはしないし、見せるものは全部見せています。だけどある方法がうまくいったかどうかを検証するには、同じ人がその方法をとらなかった場合と比較するしかないけれど、そのデータは取得しようがないわけですから。みんなそれぞれ自分の考えでやったほうがいいですよね。

寺田:何かをやり遂げようとする時に理路整然と考えて進むタイプと、何となくふわっとしていて、だけど何かピンと来たときに「あ、これかな」とつかまえていく「漂うクラゲタイプ」といると思うんです。世の中では前者が正しいとされがちだけど、実際には後者のほうがちゃんと目的にたどり着ける。夏目さんは後者のイメージがあります。「思い出すことなど」のシリーズでも、翻訳の勉強をするために「ヒアリングマラソン」に申し込んだというエピソードがありました。「ただ、なんとなく、これがいいんじゃないかと思った」とのことですが、ご自身の直観を重視してこられたようにお見受けします。CNNやBBC、NHKのニュース番組を見たことが翻訳の上で役立ったというエピソードもありましたが、翻訳にもリスニングを活用してこられたんですね。

夏目:耳で聞いて覚えた英語ってすごく役に立つんです。語感で身についているから、目で見ても「こういうニュアンスだ」ってわかるんです。「こういうセリフは怒って言ってたな」とか「嫌味ったらしく言ってたな」っていう記憶があるから、字面で見てもニュアンスがわかるんです。ただ、最初からそれを狙っていたわけではなくて、後づけですね。「回り道も人生を豊かにした」ってよく言うけど、あれも後づけですよね。実際に進んでみないとどの道が合ってるわからない。回り道は結果でしかない。言ってみれば負け惜しみですよね。でも、負け惜しみも言ってもいいと思うんですよ。ずっと「失敗した」って思い続けるのはつらいじゃないですか。私自身は生徒に向かないタイプだと自覚していたので基本的に自分のやり方で勉強してきましたが、コツコツ努力して伸びるタイプには翻訳学校は向いているでしょうね。だって、伸びていくプロセスを先生に見せられるわけですよ。最初はあまりできなかったのが、ぐんぐん伸びていくのを見れば、先生も「できるようになったね、それならこの仕事をやってみる?」と言いたくなるじゃないですか。努力を見てもらいやすいし、時間が無駄にならないと思うんです。

 

※この連載では、読者の方からのご質問やご相談にお答えしていきます。こちら(私の主宰する日本読書療法学会のお問い合わせ欄になります)からご連絡いただければ、個別にお答えしていくほか、個人情報を出さない形で連載の中でご紹介していきます。リクエストもあわせて受け付けています。

Written by

記事を書いた人

寺田 真理子

日本読書療法学会会長
パーソンセンタードケア研究会講師
日本メンタルヘルス協会公認心理カウンセラー

長崎県出身。幼少時より南米諸国に滞在。東京大学法学部卒業。
多数の外資系企業での通訳を経て、現在は講演、執筆、翻訳活動。
出版翻訳家として認知症ケアの分野を中心に英語の専門書を多数出版するほか、スペイン語では絵本と小説も手がけている。日本読書療法学会を設立し、国際的に活動中。
ブログ:https://ameblo.jp/teradamariko/


『認知症の介護のために知っておきたい大切なこと~パーソンセンタードケア入門』(Bricolage)
『介護職のための実践!パーソンセンタードケア~認知症ケアの参考書』(筒井書房)
『リーダーのためのパーソンセンタードケア~認知症介護のチームづくり』(CLC)
『私の声が聞こえますか』(雲母書房)
『パーソンセンタードケアで考える認知症ケアの倫理』(クリエイツかもがわ)
『認知症を乗り越えて生きる』(クリエイツかもがわ)
『なにか、わたしにできることは?』(西村書店)
『虹色のコーラス』(西村書店)
『ありがとう 愛を!』(中央法規出版)

『うつの世界にさよならする100冊の本』(SBクリエイティブ)
『日日是幸日』(CLC)
『パーソンセンタードケア講座』(CLC)

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