第45回 「まじめ」の罠①
あなたは、まじめですか?
出版翻訳家を目指しているくらいですから、きっとまじめなのでしょう。かくいう私も、まじめです。自分でも「なにもこんなことまで四角四面にやらなくても……」とあきれつつ、自分で自分にツッコミを入れつつ、でもそうしないと気がすまないのでまじめにやってしまうのです。
もちろん、まじめなことは、悪いことではありません。出版翻訳の仕事は調べものも多いですし、まじめであることは適性のひとつです。だけど、そのまじめさがかえって裏目に出てしまう場面もあるのでは……そう考えていたところ、名翻訳家として知られる東江一紀さんの『ねみみにみみず』にこんな文章を見つけました。
「文芸翻訳を志す人には、まじめなタイプが多い(という話を聞いたことがある人を知っているような気がする)。それはたいへん結構なことだ。基本的にまじめじゃないと、こんな辛気くさい商売、やっていけません。でも、まじめさが高じて“悲壮”の域に達してしまうと、こりゃ危ない。悲壮感には、視野を狭める働きがあるのだ。目の前のものしか見えなくなる」
視野狭窄に陥ってしまうのは、「まじめ」の罠のひとつでしょう。そうなると、自分の置かれている状況を俯瞰することも、自分を客観視することもできなくなってしまうのです。
先日も、ある著者さんと話していてこの話題が出ました。彼は著者デビューする前に、編集者さんと知り合う機会があったそうです。まわりも全員著者志望者でしたから、「自分をいかに売り込むか」しか頭になかったそうです。そんな中で彼は、「この編集者さんはどんな人と仕事がしたいだろうか」と考えたのです。他の人たちとは真逆の発想ですよね。
相手がどんな人と仕事をしたいかを考え、そういう人に自分がなってしまう。そうすれば、当然ながら選ばれる可能性は格段に高まるわけです。実際、彼はその結果著者デビューを果たすことができました。
だけどまじめなだけだったら、こういうアプローチをとることはできないでしょう。むしろ自分の企画を一方的にプレゼンし続けて、相手は嫌気がさしているのに気づかない……なんていうことになりかねません。まじめであるがゆえに、人間力が磨かれないままになってしまうのです。
まじめに勉強に取り組むことは大切ですが、そこにかける時間が長いほど、他のことに時間をさけなくなるのも事実です。そのときにこの「まじめ」の罠に陥らないようにしてください。
『ねみみにみみず』には、こうも書いてあります。
「視野を広く持って、伸びやかに、フットワーク軽く、修行に励んでほしいなあ」
「進行方向だけではなくて、まわりの風景にも目を配り、最終的には、そういう自分の姿を客観的に眺められる余裕が、ぜひとも欲しいですね」
「そうやって、主観と客観、重さと軽さの間を行き来できれば、翻訳作業は立体的になる。少なくとも、楽しいよね。楽しいことは長続きする」
悲壮になることなく、楽しく歩んでほしいと思います。
そして、「まじめ」にはもうひとつ大きな罠があって、それは……次回の連載で!
※東江一紀さんの文章は、あえて駄洒落の部分は省いて引用しています。『ねみみにみみず』は名翻訳家のイメージを木端微塵にする(?)駄洒落のオンパレードなので、原文は本書でご確認くださいね。読み進めるほどに「近寄りがたい偉大な先生」が、気のいいおじちゃんに感じられてきます。第33回、第34回に登場してくださった越前敏弥さんが編集されていますよ。
※この連載では、読者の方からのご質問やご相談にお答えしていきます。こちら(私の主宰する日本読書療法学会のお問い合わせ欄になります)からご連絡いただければ、個別にお答えしていくほか、個人情報を出さない形で連載の中でご紹介していきます。リクエストもあわせて受け付けています。