第42回 運命の本との出逢い②
「運命の本との出逢いは、意外と人からいただいたお話の中にあるのかもしれない」というもうひとつの事例をご紹介します。
『認知症を乗り越えて生きる』の翻訳のお話をいただいたときのことです。『パーソンセンタードケアで考える認知症ケアの倫理』を翻訳していたご縁で、出版社からお話をいただきました。原書は分厚いし、納期もかなりきびしかったので、お断りするだろうなと思いました。それでも認知症ケアは私の専門分野ですし、勉強のためにも内容を把握しておきたいと、原書に目を通しました。読み進めるうちに……
「これは、私が翻訳しなければ!」
という使命感に駆られたのです。
本書は49歳で若年性認知症と診断されたケイト・スワファーさんの手記です。もともと私が認知症ケアの翻訳を手がけることになったのは、同様に若年性認知症の当事者として執筆や講演活動を続けるクリスティーン・ブライデンさんと出逢ったことでした。クリスティーンさんの登場は国際的に大きな衝撃を与えました。認知症がある人が本を書いたり講演をしたりできるはずがない、そんな偏見がまだまだ根強い中、見事にそれを打ち砕いたからです。それを上回る衝撃をケイトさんの本から受けました。
というのもこのケイト・スワファーさんは認知症の診断後に自ら認知症ケアの修士号を大学院で取得し、さらには博士課程で学んでいるのです。認知症に関するあらゆる文献を読み漁り、自らの体験と合わせて認知症についてまさしくすべてを体系化し、言語化しています。SNSも駆使して積極的に発信しています。
当事者による発信の歴史を見てきただけに「すごい人が現れたな」という強烈な印象を持ちましたし、彼女の存在を日本の読者の方々にもぜひ知っていただきたい、どうしてもお伝えしなければとの思いでいっぱいになりました。
使命感に駆られたもうひとつの理由は、本書の中でたくさんの本が引用されていたことです。ケイトさんが「認知症を乗り越えて生きる」ために多くの本の力を借りてきたことが伝わりました。それはまさに、私がうつ病から回復するために多くの本の助けを借りたのと同じでした。読書療法の活動にもつながることから、「俺がやらなくてどうする!」と思いました(またしてもなぜか「俺」……)。
ケイトさんの守備範囲の広さやその高度な知性についていくのが大変でしたが、翻訳を通して彼女と深く関わることができたのは得難い経験でした。
日本語版の出版後、ケイトさんにお会いする機会がありました。ご本人によれば「認知症になってからものすごく処理能力が衰えた」そうなのですが……ご講演後、パネルディスカッションもこなし、移動中の車の中で私からの質問攻めにすべて的確に答え、参考文献も豊富に紹介し、その合間に論文の査読もてきぱきこなし……私の10倍はあろうかと思われる処理能力の高さに圧倒されました。
そんなケイトさんの熱い思いがつまった本書、研究者の方々には「訳してくれてありがとうございます」と感謝していただけるのですが、400ページ近い大部のため、なかなか一般の方に読んでいただけないのが悩みです(これでも、涙を呑んで100ページ近く削ったんですよ~!)。ご興味を持たれた方には、ぜひ本書を通してケイトさんに出逢っていただけたらと願っています。タイトル通り、「乗り越えて生きる」力をもらえることでしょう。
※ひとつ、おしらせです。私の主宰する日本読書療法学会で監修させていただいた『読む薬』という本が発売になりました。本好きの方なら読書はいいと実感しているものですが、読書の効果をまとめた読みやすい本はこれまでなかったのではないでしょうか。本書では世界各国の研究から、読書の効果を科学的に裏付けています。『ハリー・ポッター』シリーズを読むと偏見をもたれがちな人への共感が高まるなど、興味深い研究が多数登場します。この連載の読者のみなさまにもご高覧いただけたらうれしいです。どうぞよろしくお願いいたします。
※この連載では、読者の方からのご質問やご相談にお答えしていきます。こちら(私の主宰する日本読書療法学会のお問い合わせ欄になります)からご連絡いただければ、個別にお答えしていくほか、個人情報を出さない形で連載の中でご紹介していきます。リクエストもあわせて受け付けています。