第41回 運命の本との出逢い①
今回の連載では、お寄せいただいたこちらのリクエストにお応えします。
「運命の本との出逢いや、これまで出版した中で一番印象に残った本など、本との出逢いや思い出話などを知りたいです」
最初の翻訳書はやはり印象が強いので『認知症の介護のために知っておきたい大切なこと~パーソンセンタードケア入門』が挙げられます。でも自分で原書を探して長年かけて出版に至った点では『なにか、わたしにできることは?』も印象深いです。また、落雷火災になる直前に翻訳データを送っていたので無事に出版できた点では『私の声が聞こえますか』も相当印象深いですし……。
あれこれ考えながら気づいたのが、「運命の本との出逢いは、意外と人からいただいたお話の中にあるのかもしれない」ということ。自分で積極的に見つける場合もありますが、そうではなく、思わぬところから来たものが自分にぴったりはまった場合です。
そのひとつが、『虹色のコーラス』です。原書はスペインの小説で、『なにか、わたしにできることは?』を手がけたご縁で、出版社のほうからお話をいただきました。
もともと私は小説の翻訳をやろうと思ったこともなく、スペイン語での翻訳は絵本しか想定していませんでした。お断りするつもりでいたものの、せっかくのお申し出なので読むだけでもと原書をお預かりして読んでみたら……
「私、この主人公好き!」
と思ったのです。主人公の生き方にすごく共感するものがありました。そこで翻訳をお引き受けしたのですが、とりかかってすぐに後悔しました。「読んでわかるのと、翻訳できるのは全く別物」と、それまで翻訳をしてきて重々わかっているはずが、そんな基本的なことをすっかり忘れて引き受けてしまったのです(苦笑)。
当然ながら翻訳はものすごく大変で、数行ごとに「うーん、うーん」と頭を抱えてうなっては、「あ! そうか! そういうことか!」と歓喜するのを果てしなく繰り返す作業になりました。ずっと「俺はできる! 俺はできる!」と自分を励ましながらやっていました(なぜか「俺」……)。
大変ではあったものの、幸せな経験だったと思っています。その思いは本書の「訳者あとがき」に書いていますので、少し長めですが、一部引用しますね。
訳者あとがき
美しいものが好きです。生きることに「生活」と「人生」があるならば、美しいものを感じる時間こそが私にとっての人生です。静謐なたたずまいの彫刻を眺めたり、一つひとつの言葉を吟味して丁寧に紡がれた文章を味わったり、人間性がきらめくような音色に触れたりすると、生きている喜びが湧き上がるのを感じます。中でも、他者の生き方の美しさに接した時の感動は大きなものです。その人の所作や言葉、つくりあげたものの背後にある長年の丹精を思うと、敬虔な気持ちになるのです。
本書の主人公であるコリニョンさんも、生き方の美しい人です。そして美しいものが大好きで、あふれる愛情を与えてやまない人です。
脳科学者によれば、人間の脳には、他者に共感したり他者のために何かをしたりする「利他行動」の快感を判定する領域があり、これは美しいと感じる領域と同じなのだとか。美しい音楽を愛するコリニョンさんが、子どもたちのために尽くすことで喜びを感じていたのも、自然の摂理なのかもしれません。
翻訳を通してコリニョンさんの生き方に触れ、心の中に住まわせることができたのは、とても幸せなことでした。実際に「コリニョンさんがいる」と感じたのは、一篇の詩を読んでいた時のことです。
茨木のり子さんの詩集『歳月』に収録されている「泉」の中に、こんな一節があります。
わたしのなかで
咲いていた
ラベンダーのようなものは
みんなあなたにさしあげました
だからもう薫るものはなにひとつない
これを読んだとき、なぜか涙があふれてきました。私自身に思い当たる記憶がないのに、どうして泣けてくるのか戸惑い、気づいたのです。これはまさしく、コリニョンさんの人生だと。リカルドに、そして子どもたちに、自分の持てる愛情を捧げつくしたコリニョンさんそのものだと。私の中にいるコリニョンさんの記憶とこの詩が共鳴して、涙が流れてきたのでしょう。コリニョンさんの存在を感じた瞬間でした。
読者の皆さまのお心の中にもコリニョンさんを住まわせることができたら。そしてその存在が生きていくうえでの励みになってくれたら、訳者として何よりの喜びです。
(引用終わり)
こんな出逢いが思わぬところからもたらされることもあるのです。自分のところにやってきたものを受け止めてみることで開かれる扉もあるのではないでしょうか。
※この連載では、読者の方からのご質問やご相談にお答えしていきます。こちら(私の主宰する日本読書療法学会のお問い合わせ欄になります)からご連絡いただければ、個別にお答えしていくほか、個人情報を出さない形で連載の中でご紹介していきます。リクエストもあわせて受け付けています。