第34回 出版翻訳家インタビュー~越前敏弥さん 後編
第33回に引き続き、出版翻訳家の越前敏弥さんからお話を伺います。
寺田:学校と実際の仕事は別物だと思いますが、学校での評価がさほど高くなくても仕事で実力を発揮していったケースがあれば伺いたいです。
越前:知っている限りではほとんど思いつかないですね。立ち回りだけうまいタイプは、長持ちしないと思いますよ。学校がすべてとはいいませんが、やはり基礎がしっかりしていないと。
寺田:翻訳学校には通っていないのでわからないのですが、通訳学校はすごく厳しかったんです。間違えると「脳みそないんじゃないの?」「帰りなさい」と罵倒されるという……。仕事のほうがそのプレッシャーがない分、パフォーマンスもよかったのですが、そういうことはないのですか?
越前:翻訳学校ではそういう厳しい指導はしませんね。プロの一歩手前のレベルになると厳しくはなりますが、人格攻撃のようなことはないです。基礎レベルの場合は特に、いいところを見つけてほめるようにしています。楽しく長続きしてもらいたいですからね。講座をきっかけに翻訳書を好きになってほしいし、もっと読むようになってほしいと思っています。
寺田:楽しく続けられればいいのですが、長く学校に通っていても仕事につながらず、評価も得られないと、全般的な自己評価まで下がってしまいそうです。自信を失って出版翻訳家の夢をあきらめてしまう方も多いのではと拝察しますが、そういう兆候のある生徒さんにどう対応されていますか。踏みとどまることができたケースがあれば伺いたいです。
越前:「長く続けていってください」というお話をしてとどまった人はいますが、プロになった人はいないというのが正直なところですね。たいていは、最初の1年でほぼわかると思います。ただ、最初の1、2年は全然ダメだったのに、3年目から急によくなって、プロになったケースはあります。その人は本が好きで、素直でしたね。アドバイスもちゃんと聞いていました。粘り強くやって成功した例ですね。
寺田:素直な方はやはり伸びますよね。その生徒さんは、ダメなときでも落ち込んで暗くなったりはしなかったんですか。
越前:常に前向きでしたね。暗くはなっていませんでしたよ。
寺田:『文芸翻訳教室』によれば「実際に訳書が出てその後も継続的に仕事をしているのはその半分程度」とのことですが、仕事を継続していける方とそうできない方の違いはどこにあるのでしょうか。
越前:運もありますが、編集者が次にその人と仕事をしたいかどうかでしょうね。仕事への取り組み方、誠実さ、それにちょっとした心遣い。編集者に対して何か月かに一度、しつこくない程度に、仕事がないか尋ねてみるとか。たとえばリーディングの仕事でいえば、大きなブックフェアの後の時期にはリーディングの仕事も多いはずなんですよ。そのタイミングで問い合わせれば、回ってくる確率も高くなるはずです。そういうことを自分で考えて行動できる人は、継続していけるでしょうね。あるいは、編集者が手がけた作品を読んでおいて、感想を伝えるというのもひとつの方法ですよね。自分が手がけた作品の感想を言ってもらって、いやがる編集者はいません。それに、人間は自分の知らない人よりも知っている人に仕事を頼むものですから。人間関係をつくるところに努力や工夫をしているか、時間をかけているかだと思います。
寺田:『文芸翻訳教室』に、金原瑞人さんがYA(ヤングアダルト)という分野を開拓された例を挙げながら、「海外作品の紹介者として、編集者や出版社のアドバイザーになれるぐらいの知識や鑑識眼を持つべき」と記されています。翻訳技術の向上とは別の類の勉強が必要と思われますが、具体的にどのようなことをしていけばよいとお考えでしょうか。
越前:自分が手がけたいジャンルの本を翻訳書、原書ともに読んでいくことでしょう。そのジャンルについては誰よりも強い、とまではいえなくとも、多くの人が知らないことを自分が知っているくらいのレベルになっておく必要はありますよね。そのためにどう情報収集していくかというと、手っ取り早いのは賞を追いかけることです。ミステリーでいえば、MWA(アメリカ探偵作家クラブ)やCWA(英国推理作家協会)の賞にノミネートされた作品を読んで傾向をつかんでおく。ノミネートされた5作品はたいてい版権が押さえられてしまうのでそれを持ち込めるとは考えないほうがいいですが、版権を押さえない場合もあるので、いずれ仕事に結びつく可能性もあります。それが仕事に直結しなくても傾向を把握して知識がついたら、3年前にノミネートされた作家の新作をチェックしたりとかできるんです。ミステリーに限らず、他のジャンルでも同じことがいえると思います。賞の他には、ベストセラーもある程度追っておくことですね。
寺田:金原瑞人さんが開拓されたYAのように、出版翻訳家にとってのブルーオーシャンがあるとすればどのような分野でしょうか。
越前:ひとついえるのは、英語圏以外の言語でしょうか。たとえば、エンタメでは10年ほど前に北欧がブームになりました。それからドイツ、5年ほど前にはフランス、そして今は台湾や韓国がブームになっています。次に何が来るかはわかりませんが、英語以外の言語にも強いと、いずれ風が吹いてくることがあるかもしれません。英語圏以外の文学を知っている人は多くないので、英語で仕事をするにしても強みになると思います。何が流行るかはわかりませんから、何か強いところを持っておくといいですね。結局、これが流行りそうだからと好きでもないものをやろうとしても苦痛でしょうから、好きなものを追いかけるしかないですね。目先のことではなく、何年か先を見据えたほうがいいでしょう。
寺田:ありがとうございます。最後に、新刊のご紹介をお願いいたします。
越前:自著の『越前敏弥の日本人なら必ず誤訳する英文・決定版』が8月末に発売されました。これは、2009年に出た『日本人なら必ず誤訳する英文』と、2014年に出た『日本人なら必ず誤訳する英文・リベンジ編』の2冊を合わせ、加筆・修正ののちに再構成したものです。日本人が誤訳・誤読しがちな英文例を200問近くと、文法チェックテストを50問、そして巻末には自分がどうやって英語を学んできたかなどを話したロングインタビューが掲載されています。英語の資格試験で高得点を狙いたい人や、もちろん翻訳学習者にもお薦めします。
寺田:越前さんは英語学習に関するご著書のほか、児童書の翻訳も手がけるなど、本当に幅が広いですよね。『おやすみの歌が消えて』を拝読しているのですが、本書は6歳の男の子の視点で書かれていて、ひらがな表記が多く使われています。そうすると大人にはかえって読みづらくなってしまいがちなのに、本書はとても読みやすくて驚きました。いったいどんな技を使っているのかと……。
越前:それはやはり工夫していますよ。当初は小学2年生までの漢字でやっていたのですが、それだと大人にはまだ読みにくいんです。そこで、編集者と相談して、小学校3年生までに引き上げました。その1年分でずいぶん違いますね。あとは、句読点の打ち方も、ひらがなの多さに合わせて工夫しています。
寺田:そんな工夫をされていたのですね! 『チューダー王朝弁護士シャードレイク』も、とても好きな作品です。ヘンリー8世の時代を舞台にしたミステリーで、素晴らしい翻訳のおかげでこの世界観を堪能させていただきました。越前さんの他の作品に比べて知られていないのではと思い、この機会に多くの方にお手に取っていただきたいです。本日は本当にありがとうございました。
お話を伺って、私自身もとても勉強になりました。越前さん、ありがとうございました!
※越前敏弥さんの最新情報はブログ「翻訳百景」をご参照ください。
※この連載では、読者の方からのご質問やご相談にお答えしていきます。こちら(私の主宰する日本読書療法学会のお問い合わせ欄になります)からご連絡いただければ、個別にお答えしていくほか、個人情報を出さない形で連載の中でご紹介していきます。リクエストもあわせて受け付けています。