TRANSLATION

第33回 出版翻訳家インタビュー~越前敏弥さん 前編

寺田 真理子

あなたを出版翻訳家にする7つの魔法

今回の連載では、出版翻訳家の越前敏弥さんからお話を伺います。越前さんは『オリジン』『ダ・ヴィンチ・コード』Yの悲劇『大統領失踪』解錠師』などミステリーを中心に多数の翻訳書を出版されています。翻訳の技法をまとめた『文芸翻訳教室』、文芸翻訳にまつわるエッセイ『翻訳百景』のほか、『日本人なら必ず誤訳する英文・決定版』など英語学習者向けの著作もあります。長く第一線で活躍され、翻訳学校でも教えている方ならではのお話を伺いました。

寺田:本日はよろしくお願いします。第30回の西村安曇さんのインタビューで、出版翻訳家を目指す方へのアドバイスとして「出版翻訳するだけでなく、その本を売るためにできることをご自身でも考えてくださるとうれしい」とのお話がありました。ビジネス書ではなく文芸の出版社さんで営業面のお話が出たのが意外で、出版翻訳家に求められるものも変わってきているのかと感じました。そこで、文芸翻訳の分野で長年ご活躍の越前さんにお話を伺いたいと思った次第です。文芸翻訳の場合は特に、翻訳の技術を磨くことに専念する「職人」のイメージが強いですが、これからの出版翻訳家に求められるものについてどのようにお考えでしょうか。

越前(以下敬称略):20年前なら職人でよかったのでしょうが、今はそれだけではだめでしょうね。読者が何を求めているのか、こちらはどういうものを読んでもらいたいのか、両方とも考えていく必要があります。その意味では、翻訳というのはもともとそういうものなんですよね。ただ訳していればいいというわけではなく、訳者あとがきや出版された際のトークイベントなどで作品の魅力をしっかり伝えていけることが大切だと思います。自分でその機会をつくるのは難しいかもしれませんが、機会を与えられたときにはそれを最大限に活用していかなくてはいけませんね。

寺田:越前さんは、翻訳学校でも長年教えていらっしゃいますよね。生徒さんにはそういう面も含めて指導をされているのでしょうか。

越前:教えるまではいきませんが、読書会も含め、イベントはすべて紹介していますし、なるべく来てくださいとお伝えしています。そういう場に顔を出していれば、自分から発信していく要領もつかめますから。

寺田:読書会の開催など、読者層を広げるための試みも積極的にされていますよね。長年にわたり多数の翻訳書を刊行してこられたからこそ業界全体を活性化する視座も持てるのだと思いますが、これから出版翻訳家になる方たちはそこまで見据えておかないといけないのでしょうか。

越前:「この本を訳したい」「このジャンルやテーマを手がけたい」という目標を持つべきだと思うんです。それを読んでもらいたいという思いがあって、その延長上に翻訳の仕事があるはずなんです。順序はそうあるべきで、単に自分が出版翻訳家としてデビューしたいというのは違うでしょう。デビューしても、自分が手がけたい本がないのでは意味がないですよね。

寺田:実際には、単にデビューしたいという方も多いのでは?

越前:それでは困ります(笑)。単にデビューしたいというのは「英語力を活かしたいから出版翻訳をしたい」という人に多いケースですが、そういう人に限って英語力もないんですよ(笑)。まずは、自分の好きなジャンルの本を見つけるところから始めるべきでしょうね。技術は勝手についてくるものではないですが、目標があってこそ磨かれるものですから。

寺田:生徒さんに「仕事を紹介してもいい」「下訳を任せてもいい」という判断基準はどこにあるのでしょうか。

越前:第1に、締切を守れることです。私の講座では課題を出しますが、締切を1秒でも過ぎたら受け付けません。講座にも、よく1、2分遅刻をしてくる人がいますが、いくら実力があっても時間を守れないようでは任せられないですね。第2は、一緒に仕事をして楽しい人であること。仕事のパートナーとしてどうかということですね。たとえば、講座の後に質問攻めにしてくる人がいます。質問をする姿勢自体は評価できるのですが、そこでも節度は必要ですよね。翻訳というのは正解がひとつではないことも多いのです。それなのに延々と自己主張を続けるのは、ちょっと……。第3に、誰もが間違えるような問題で1人だけ正解するとか、そういうところはやはり見ていますね。

寺田:語学力が先に挙がるのかと思ったら、そうではないのですね。

越前:いくら英語ができても、どうでもいい細かいことにばかりこだわって、編集者からすれば二度と仕事をしたくない人もいるわけです。それに、締切を守れなくて迷惑をかけたら、紹介したこちらのほうが信頼を失いますからね。

寺田:ではその3点をクリアできてはじめて、下訳を任せてもらえるのですね。

越前:そうですね。あと、下訳の場合は量を任せても大丈夫ということが要件です。翻訳する量が10倍になったときに、ボロボロになってしまう人と、逆にすごくよくなる人がいるんですよ。ボロボロになる人は、たとえば1ページあたり1箇所誤訳があるのが、10ページになったときに10箇所ではなく30箇所くらいになってしまうんですね。土台になる基礎的な語学力がない人や、小説を読めない人はそうなりがちです。だけどよくなる人は、むしろ誤訳が減るんです。つじつまが合わない箇所を修正して、自分で誤訳を直せるんですね。

寺田:なるほど。文脈から判断できるのですね。下訳だけでなく、仕事を任せていいというのはどのくらいのレベルですか。

越前:1冊丸ごととまでいかなくても、半分くらいは訳せる必要がありますね。多くの人に機会をつくる意味で1冊を3人から4人に訳してもらうこともよくあるので、100ページから200ページくらいをきちんと訳せるかどうか。あとは、運もありますよ。たまたま出版社から新人を紹介してほしいと頼まれたタイミングだったりね。

寺田:やはり運もありますよね。『文芸翻訳教室』には「(出版社を)紹介できるのはせいぜい数年にひとり」とあり、非常に限られている印象を受けました。大半の生徒さんは紹介を期待できないわけですが、その生徒さんたちはどうされているのでしょうか。ご自身でトライアルを受けるなどして道を切り拓いていくのでしょうか。その中から仕事につなげていった方はいらっしゃいますか。

越前:トライアルを受けたり、他にも翻訳会社経由で紹介してもらったりしてプロになった人もいます。産業翻訳や実務翻訳の仕事をしながら勉強を続ける人もいます。10年、20年と勉強を続けている人も結構いますよ。プロになれるのは10人に1人くらいでしょうか。残りの9人がどうなっていくのか、それはこちらもフォローしているわけではないのでわかりませんが、翻訳の勉強をしたこと自体はその人の人生にとって決して無駄ではないと思います。英語だけでなく、日本語をきちんと使えることとか、調べものを徹底的にしたこととか、それはまた他のところで活かせると思います。たとえば、生徒の中には、翻訳家にはならなくても私が各地でやっている読書会の世話人をしてくれている人もいます。翻訳の勉強をして深く学んでいるからこそ、作品の魅力を伝えられるんです。そういう人に翻訳書の読者層を広げていってもらえたら、本当にうれしいことですよね。

寺田:出版翻訳への関わり方も色々あるわけですから、どういう関わり方が自分の持っているものをもっともよく発揮できるのか、考えてみてもいいのかもしれませんね。

 

※越前敏弥さんの最新情報はブログ「翻訳百景」をご参照ください。

※この連載では、読者の方からのご質問やご相談にお答えしていきます。こちら(私の主宰する日本読書療法学会のお問い合わせ欄になります)からご連絡いただければ、個別にお答えしていくほか、個人情報を出さない形で連載の中でご紹介していきます。リクエストもあわせて受け付けています。

Written by

記事を書いた人

寺田 真理子

日本読書療法学会会長
パーソンセンタードケア研究会講師
日本メンタルヘルス協会公認心理カウンセラー

長崎県出身。幼少時より南米諸国に滞在。東京大学法学部卒業。
多数の外資系企業での通訳を経て、現在は講演、執筆、翻訳活動。
出版翻訳家として認知症ケアの分野を中心に英語の専門書を多数出版するほか、スペイン語では絵本と小説も手がけている。日本読書療法学会を設立し、国際的に活動中。
ブログ:https://ameblo.jp/teradamariko/


『認知症の介護のために知っておきたい大切なこと~パーソンセンタードケア入門』(Bricolage)
『介護職のための実践!パーソンセンタードケア~認知症ケアの参考書』(筒井書房)
『リーダーのためのパーソンセンタードケア~認知症介護のチームづくり』(CLC)
『私の声が聞こえますか』(雲母書房)
『パーソンセンタードケアで考える認知症ケアの倫理』(クリエイツかもがわ)
『認知症を乗り越えて生きる』(クリエイツかもがわ)
『なにか、わたしにできることは?』(西村書店)
『虹色のコーラス』(西村書店)
『ありがとう 愛を!』(中央法規出版)

『うつの世界にさよならする100冊の本』(SBクリエイティブ)
『日日是幸日』(CLC)
『パーソンセンタードケア講座』(CLC)

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