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プラスティックなもの

葛生 賢治

考えることば ことばで考える

教会で結婚式を挙げる花嫁を奪って走り出すラストシーンが印象的な映画『卒業』(1967)の冒頭にこんなシーンがあります。ダスティン・ホフマン演じる主人公・ベンの大学卒業を祝って家族が開いたパーティーで、ベンの父親の友人マグワイヤーさんがベンに向かって「君に一言だけ言っておく」とこれからの人生のアドバイスをします。「プラスティックだ」と。プラスティック産業に投資すれば大儲けできる、という意味ですが、この映画の舞台となる60年代後半はベトナム反戦運動が全米に広がり、カウンターカルチャー・ムーブメントが世界規模の広がりを見せ、旧世代と新世代の間のジェネレーションギャップが最も顕著に現れた時代。ベンにとって親世代の教えは捨て去るべき嘘であり、「プラスティック」はまさに「大人が用意した偽物の人生」を象徴しています。

「プラスティック」ということばは「人工的」「不自然なもの」「薄っぺらい」「偽物」といった意味で使われることが多く、『卒業』のワンシーンはその最たる例と言えるでしょう。

同じような意味で「プラスティック」が使われた例として、竹内まりやの80年代ヒットソング「Plastic Love」があります。ちょっと歌詞を引用してみましょう。Warner Music Japanの公式動画はこちら

突然のキスや熱いまなざしで
恋のプログラムを狂わせないでね
出逢いと別れ上手に打ち込んで
時間がくれば終わる Don’t hurry!

愛に傷ついたあの日からずっと
昼と夜が逆の暮らしを続けて
はやりのDiscoで踊り明かすうちに
おぼえた魔術なのよ I’m sorry!

私のことを決して本気で愛さないで
恋なんてただのゲーム 楽しめばそれでいいの
閉ざした心を飾る 派手なドレスも靴も 孤独な友だち
私を誘う人は皮肉なものね いつも彼に似てるわ
なぜか思い出と重なり合う
グラスを落として急に涙ぐんでも わけは尋ねないでね

夜更けの高速で眠りにつくころ
ハロゲンライトだけ妖しく輝く
氷のように冷たい女だと
ささやく声がしても Don’t worry!

I’m just playing games I know that’s plastic love
Dance to the plastic beat Another morning comes
I’m just playing games I know that’s plastic love
Dance to the plastic beat Another morning comes

「恋なんてただのゲーム」とばかりにその場限りの「プラスティック」な恋を繰り返す女性。彼女が「派手なドレス」や「靴」で夜の街に繰り出し「昼と夜が逆の暮らし」を続けるのは、「恋に傷ついた心」を「彼に似てる」男性たちで埋め合わせ、「思い出」の影を追っているからだった。ここでもやはり「プラスティック」は純粋でないもの、空虚なもの、刹那的なもの、つまり「偽物」という意味で使われています。

でも、話はここで終わりません。

ここ数年、ネットで火がつき日本の80年代シティ・ポップを世界的に再評価する動きがあり、「Plastic Love」がその代表的な曲として多くの人を魅了していることをご存知でしょうか。ことの発端は2017年。この曲の非公式動画がYouTubeにアップされるやYouTubeのアルゴリズムが様々な動画へ「関連動画」としてレコメンドを繰り返し、2400万回を超える再生回数を記録。折しも80〜90年代のポップスやジャズ、ラウンジ、R&Bをサンプリング・切り貼りして作るVaporwaveFuture Funkといった音楽ジャンルが盛り上がっていた時期だったため、「Plastic Love」もサンプリングされ、アレンジ、カバー、パロディ、リミックスが大量に作られ、世界中に拡散。日本のシティ・ポップを世界レベルの音楽ジャンルに引き上げるのに大きく貢献しました。

2018年には音楽情報サイトnoiseyが「An 80s Japanese Track is the Best Pop Song in the World(80年代の日本のある曲は世界一のポップソングである)」と題して「Plastic Love」の魅力を分析する記事を掲載。この曲の普遍的な音楽性を高く評価しています。さらに、日本のアニメや音楽を解説するユーチューバー、Stevemがこちらでさらに深い分析を行っています。ちょっと引用してみましょう。

Not only is it a meditational heartbreak, it really speaks to the hollow, plastic feeling of what people do to fill in the sorrow of their life and loneliness. We use this plastic love to fill in our loneliness and insecurities buying commercial goods in the hopes that they will make us feel more and avoid dealing with our own personal anguish, really deconstructing that party lifestyle and the problems that come with it in a way that’s even more relevant to today’s generation.(この曲は失恋の追想だけでなく、人生の悲しみや孤独を埋めるためにすることの空虚でplasticな感覚をよく表現している。私たちは孤独や不安を埋めるためにこのplastic loveを使い、気分を上げて自分自身が抱える苦悩に向き合わなくてすむように商品を購入する。パーティー的なライフスタイルとそれに伴う問題を、今の世代にとってより当てはまるような形で脱構築しているのだ。)

心に開いた穴を埋めるためにプラスティックな(=派手だけど偽物の)商品を買い、刹那の快楽を追い求める現代のライフスタイルに通じる、と。「失恋による喪失感の刹那的埋め合わせを繰り返す都会の女性」という次元を超えて現代の消費社会、都市文化、都会的ライフスタイルの空虚さを巧みに表現しているために、グローバル資本主義が世界を覆い尽くした現代に生きる人すべて、古い世代にもジェネレーションXにも共感を呼ぶのだ、というわけです。

そんな偽物の象徴である「プラスティック」ですが、「Plastic Love」の世界規模の拡散現象にはもうひとつの大きな意味が含まれています。

Plasticは古代ギリシャ語で「型に入れて多様な形に変形できる」を意味するplastikosが語源です。VaporwaveやFuture Funkのような音楽を成立させている二次創作、既に存在する音源をサンプリングし、加工し、アレンジ、コピー、リミックスを無限に生み出していく過程こそplasticの本来の姿ではないでしょうか。そこではもはやオリジナル音源が「本物」でアレンジが「偽物」という主従関係は消え、何がオリジナルで何がコピーかは問題とならず、逆にアレンジがオリジナルの新たな意味を生み出していく。私たちの生活には「偽物」が溢れているようで、実は本来の意味のplasticが溢れているのではないでしょうか。個人の生活や社会を埋め尽くすplasticははむしろ、「オリジナルであるべきだ」「唯一無二の存在こそ価値がある」「本当の自分を見つけなければならない」という呪縛から私たちを解放するチャンスを内包しているのかもしれません。

マグワイヤーさんがベンに言った「プラスティックだ」も、そう考えると違う意味に聞こえてこないでしょうか。オリジナルもコピーもない、どちらの価値が高いということなんて気にする必要がない。旧世代が作ったものを勝手にコピーし、パロディ化にして茶化し、アレンジして自分のものだと宣言すればいい。私たちもそうしてきたのだから。

その意味で私のこの文章自体、『卒業』という映画に対するplasticなものと言えるかもしれません。そんなことはない、お前の説明なんて勝手な解釈、無責任なこじつけ、パロディ、偽物のことばに過ぎない、なんて「ささやく声がしてもDon’t worry!」とまりやさんは言ってくれるでしょうか。

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<今日のことば>

ネットでは「Plastic Love」の歌詞の英訳も出ていて、「愛に傷ついたあの日からずっと昼と夜が逆の暮らしを続けて」の部分は「Ever since that day I got hurt by love, I’ve been living a vampire life」と訳されています。Vampire lifeとは上手い表現ですね。

「消費社会」はconsumer societyと訳されることが多いです。

「二次創作」はderivative workと表現することもできますが、上の文脈ではfan fictionまたはfanfictionということばもあります。

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記事を書いた人

葛生 賢治

哲学者。
早稲田大学卒業後、サラリーマン生活を経て渡米。ニュースクール(The New School for Social Research)にて哲学博士号を取得した後、ニューヨーク市立大学(CUNY)をはじめ、ニューヨーク州・ニュージャージー州の複数の大学で哲学科非常勤講師を兼任。専門はアメリカンプラグマティズム。博士論文の表題は「ジョン・デューイ哲学における宗教性」。

現在は東京にて論文執筆・ウェブ連載・翻訳活動に従事。
最新の発表論文はデビッド・リンチ、ジョン・カサヴェテスの映画分析を通じたリチャード・ローティー論。趣味は駄洒落づくり。代表作は「クリムトを海苔でくりむとどうなるんだろう」。

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