TRANSLATION

選択肢、影、連帯(後編)

葛生 賢治

考えることば ことばで考える

(前編はこちら

映画「サンドラの週末」はこんな話。

ベルギーの産業都市で小さな工場に勤める二児の母サンドラは精神の不安定さから仕事を休み、しばらくして職場に復帰しようとします。しかし休職中に職場で彼女の復帰に対して投票が行われ、工場の主任が彼女の同僚16人に「サンドラが復帰すれば代わりに誰かを解雇する。サンドラの復帰に反対すれば全員にボーナス1000ユーロを支給する」と迫っていたことが発覚します。1人足りなくても工場が回せると分かった主任が「病み上がりは使えない」と判断し、コストパフォーマンスを優先した結果でした。復帰に賛成した同僚は2人だけだったとわかります。

絶望の淵に突き落とされたサンドラでしたが、数少ない味方の同僚の助けもあり、3日後の月曜日にもう一度投票を行うことを社長に認めさせます。献身的な夫の励ましのもと、残りの同僚ひとりひとりを訪ねて自分に投票してくれるように説得してまわる週末の2日間が始まりました。サンドラの状況は理解できても自分も経済的に逼迫しているから票は入れられないと言う者、仲良くしていたのにあからさまな居留守を使う者、サンドラは医者に止められていた抗不安剤を飲みながらバスを乗り継ぎ、同僚に冷たくあしらわれてはさらに薬を飲み、夫に励まされながら同僚巡りを続けます。

賛成票を入れると約束する者もいましたが、アンという同僚からは家の改築工事に金が必要だから彼女に票は入れられないと言われる始末。落胆して家に帰ったサンドラは抗不安剤を一箱まるごと飲み、ベッドに横たわります。その瞬間にアンがサンドラの家を訪れ、復帰に票を入れることを告げます。家の工事を優先したのは彼女の夫の命令で、彼女は「もう他人の言いなりに生きるのはやめる」と離婚を決意して家を飛び出してきたのでした。救急車で運ばれ一命を取り留めたサンドラは何かが吹っ切れた様子でさらに同僚巡りを続けます。

最後の同僚はアフリカからの移民で、臨時雇用の彼はもうすぐ契約更新を迎えるため、サンドラに票を入れたことが発覚すると主任の圧力で解雇されるかもしれないと恐れますが、彼女の説得により票を入れることに合意します。

月曜日の朝。同僚全員による投票が行われ、8対8で賛成票が過半数に至らず、サンドラの解雇が決定します。ロッカーから荷物を出して帰ろうとするサンドラを社長が部屋に呼びます。社長は彼女が同僚の半数を説得できたことを認め、従業員にボーナスを払うと共にサンドラを復帰させると告げます。でもその代わりにアフリカ移民の彼の契約を終了すると言いました。サンドラは毅然とした態度で申し出を断ります。工場を後にしながら携帯電話で夫に結果を伝えるサンドラ。「でも、私たち善戦したわよね」口元に笑みを浮かべて去っていくサンドラの後ろ姿で映画は終わります。

これはsolidarity(連帯)の物語です。Solidarityはラテン語で「頑丈なもの」を意味するsolidusからきていますが、この語が表すのはただ頑丈なだけのつながりではありません。「主体性」と「責任」を含む関係、つまり自ら理性的に判断する主体、周りの意見や圧力から自由で独立した主体である自分が他者を同様の主体と認め、お互いがお互いに対して責任を負う関係を意味します。フランスの社会学者エミール・デュルケムは異なる者どうしが相互に責任でつながるそのような関係をorganic solidarity(有機的連帯)と呼びました。アンが夫の抑圧から逃れてサンドラとつながる姿、アフリカ移民の同僚がリスクを負ってまでサンドラの復帰に責任をとる姿、サンドラが同様に彼への責任として自ら工場を去る姿にそれが的確に表現されています。

そしてこれはpseudo problemからauthentic problemへの転換の物語でもあります。サンドラが同僚を訪ねて回ったのは相手の同情を買うためではありません。彼女は繰りかえし「同情はいらない。よく考えて欲しい」とひとりひとりに訴えます。主任が突きつけた「サンドラの復帰か、ボーナスか」というpseudo problemではなく、「サンドラと自分はどういう関係なのか?」「自分は彼女との間にどのようなつながりを成立させたいのか?」「自分と彼女が同じ社会に存在するのなら、その『社会』とは何か?」という問いを投げかけているのです。その答えはことばで成立するものではありません。行動することでしか「社会」を定義することは不可能です。

偽の問題は多くの場合、とても分かりやすい選択肢として現れます。「AかBか」という質問を受け入れてしまえば、後はAとBを比較するための基準を持ち込んで両者を測りにかけるだけ。サンドラを復帰させれば自分の経済的リスクはこう、復帰させなければこう。感染防止のため自粛を推進すれば経済的損失はこう、経済を再開すれば感染拡大による被害が及ぼす経済的効果はこう。どの選択肢を選んだところで「そもそもこの選択肢による問題設定は正しいのか?」「そんな問題を考えている場合なのか?」という問いに至ることはできません。

サンドラの姿を通じて浮かび上がるのは、差し出された分かりやすい選択肢の裏にある真の問題を問うことは大きな苦しみを伴う、ということ。それまで単純明快な意味をもつと信じていた「社会」を再定義することはすなわち、自分の生き方を再定義することなのですから。

それでも、世界中の誰にとっても先が読めない事態に直面している今だからこそ、聞こえのいいバズワードや分かりやすい定量的比較、分析、解決策を並べて「これから社会はどうなるのか?」を問うよりも、「私たちにとって『社会』とは何か?」を問い、サンドラのように闇の中をひとりひとりに問いかける方が充実したことばが生まれるはずです。

No. Don’t start from there. ではどこからことばを始めたらいいでしょうか。

 

===

<今日のことば>

「過半数を取る」はwin a majorityと訳されます。

「主体的な」は「主体」がsubjectと訳されることからsubjectivityとしたくなるかもしれませんが、independentやautonomousが妥当です。哲学では「主体性」の意味として古代ギリシャ語で「自ら自分の法を自分に与える者」を意味するautonomiaから派生したautonomy(自律性)をあげる場合が多いです。

Written by

記事を書いた人

葛生 賢治

哲学者。
早稲田大学卒業後、サラリーマン生活を経て渡米。ニュースクール(The New School for Social Research)にて哲学博士号を取得した後、ニューヨーク市立大学(CUNY)をはじめ、ニューヨーク州・ニュージャージー州の複数の大学で哲学科非常勤講師を兼任。専門はアメリカンプラグマティズム。博士論文の表題は「ジョン・デューイ哲学における宗教性」。

現在は東京にて論文執筆・ウェブ連載・翻訳活動に従事。
最新の発表論文はデビッド・リンチ、ジョン・カサヴェテスの映画分析を通じたリチャード・ローティー論。趣味は駄洒落づくり。代表作は「クリムトを海苔でくりむとどうなるんだろう」。

END