TRANSLATION

Vol.62 翻訳者サバイバル記―危うく地球を一周するところだった

ハイキャリア編集部

翻訳者インタビュー

【プロフィール】
三浦範子
英語講師を経て、奨学生として Monterey Institute of International Studies 通訳翻訳科に修士留学。
卒業後、米国現地 IT 企業で就労。帰国後は、PR 会社でのメディア向け医学系リリースライターを経て、現在、大手通信会社のインハウス翻訳者。

工藤:三浦さんとのお付き合いはすでに 15 年以上になりますね。改めて今日はこれいまでの人生について、また翻訳という仕事についてお伺いさせてください。まず三浦さんと英語との出会いを教えてください。

英語との出会い

三浦: 沖縄で生まれ、両親の仕事の関係で英語が身近にある環境でした。小学生の頃、洋楽が好きになり、中学に入学してからは、米軍放送で洋楽を聴くようになりました。そのうちに定時のニュースで耳に入る単語を辞典で引いて理解できるようになり、英語で世界に目が開かれていきました。

大学では英文学/言語学専攻でした。卒業後は、海外渡航の資金稼ぎと英語を勉強せざるを得ない環境に身を置こうと、予備校の英語講師になりました。教えるために必死に勉強し、それが今の翻訳者としてのベースになりました。複雑な構造の長い難解な専門分野の英文が読めるようになったのも、講師時代の勉強の産物です。その後、米国の大学院へ留学しました。

アメリカ留学へ

工藤:英語講師を退職後に海外に留学されたんですね。

三浦:そうです。当時沖縄県には通訳者や翻訳者を目指す者が応募できる、沖縄県人材育成財団の奨学金制度があり、奨学生としてMontery Institute of International Studies の日英通訳翻訳修士課程に留学しました。通訳翻訳のコースと国際環境政策のコースを併せて3年間でした。

工藤:沖縄出身の通訳者・翻訳者が多いのも、そうした支援があるからこそですね。留学の3年間はいかがでしたか?

三浦:そのような機会を与えてくれた沖縄県と人材育成財団の通訳翻訳コースの恩師に深く感謝しています。モントレーでは通訳翻訳と国際環境政策を専攻しました。通訳翻訳コースではとにかく無我夢中で課題をこなすハードな毎日でした。国際環境政策課では、大量のリーディングアサイメント、研究レポート提出や発表、定期試験に悪戦苦闘し、ここでも英語の運用力が大変鍛えられました。大学院でしたので、さまざまな国からの留学生のほとんどが専門分野での実務経験者で、その経験談や意見はとても刺激的でした。国際政策コースには、アゼルバイジャンやセルビアの政府の方もいて、母国での戦争、NATO 軍の攻撃のことを現時点のこととして、自らの経験として話していたことは忘れられません。 平和ボケして世界情勢に視点を持たない自分を恥じたものです。授業中のディスカッションでは、自分の英語力のなさだけではなく、経験に根ざした述べるべき意見のなさにとても落ち込みましたが、その中で頑張れたことは大きな力になりました。
学校の夏休みには、1年めは UC Berkeley のサマーコースを受講しながら環境 NGO のリサーチャーのインターン、2 年めはコロラドの IBM 系の IT 企業で翻訳インターンをしました。

工藤:卒業後は日本に帰国されたのでしょうか?

三浦::アメリカで働きながら英語や仕事のスキルを磨きたかったので、帰国する選択肢は持っていませんでした。アメリカの景気が悪くなる兆しが表れていましたが、ニューヨークの IT 大手を含め 2 社から内定を得て、ニューヨークに行くことにしました。

工藤:ニューヨークで暮らすというのも魅力的ですね。私ももう一度人生をやり直すことができるなら、ニューヨークでしばらく暮らしてみたいです(笑)

三浦:ダンスやアート、クラッシック音楽が好きなのでニューヨークで暮らすことが夢でした。ニューヨークに行ける! 難しい試験を突破した達成感。夢に一歩近づいたとワクワクして入社の日を待っていましたが、その間もアメリカの経済は悪化していました。経済や会社の業績が悪くなればハイヤリングフリーズになり、すぐ人を切りますので、無事に入社できるのか不安に感じていたある日、入社予定企業の粉飾決算のニュースが、ニューヨークタイムズの 1 面で大きく報じられました。その企業の株価は暴落、大規模なレイオフが始まりました。外国人である私のポジションも先行き不明になっていき、ついに消滅。打ちのめされました。経済情勢が悪化の一途を辿る中で、また一からのスタートです。周りでも、採用されて現地に到着後すぐにレイオフになったり、アメリカ人学生が高収入の職を得た3日後に、会社の業績悪化を理由に電話一本でオファーを無きものとされていました。

工藤: 日本では考えられないことですね。

ニューヨークでの生活

三浦:そして 2001 年 9 月 11 日を迎えます。911 同時多発テロです。あの日、あのニュースを聞いた時、自分がどこで何をしていたか昨日のことのように覚えています。

工藤:私にとっても忘れられない日です。9月11日はちょうど起業して2ケ月ぐらい経った時でした。一人で夜遅くまで仕事をして 23 時頃に家に帰ってテレビをつけると、ニューヨークの貿易センタービルに旅客機が衝突した映像が流れて、私は一瞬なにか現実ではない、映画を観ているのではないかと思ったぐらいでした。アメリカだけでなく、世界全体に計り知れない打撃を与え、その後世界の流れが大きく変わりましたね。

三浦:そうですね。多くの人の人生が変わりました。私もその一人です。911 以降はアメリカ人でも仕事が見つからない状況で、インターネット越しの職探しは全く埒が開かず、撤退するなら挑戦してからと、ニューヨークに行くことにしました。友人たちには呆れられました(笑)。世界経済、アメリカ経済が悪い中で、H1ビザが必要な外国人が職を得るのは宝くじに当たるくらい難く、とにかく必死でした。「言葉がわかって、携帯電話とクレジットカードがあればどこでも生きていける」と、サバイバルモードでハングリーでした。

工藤:「語学ができて、クレジットカードさえあればどこでも生きていける」とは本当にかっこいいです。三浦さんの行動力には脱帽です。

三浦:実態は実にかっこ悪く、なかなか悲惨です(笑)。ニューヨークで短期の仕事を続けた後、コロラド、ボストンと仕事で移動しました。あの経済状況で分野や会社のビザサポートの要件にあうポジションはなく、仕事は安定しませんでした。アメリカに限らず EU の会社のポジションにも応募する中、ある時、応募先の会社がインドにあることに気づき、「このままでは地球を一周しそうだ」と思いました。これではいけないと、貯金残高を帰国の基準に決め、日本に帰国することにしました。

日本に帰国してからのこと

工藤:日本に帰国後はどのような仕事をされましたか。

三浦:帰国後は、PR 会社で、メディア向けの海外英語医学論文のリサーチャー/リリースライターをしていました。

工藤:テンナインに翻訳者として登録していただいたのはちょうどその頃ですね。

三浦:そうです。御社はネット検索で探して面談とスキルチェックをしていただき、大手通信会社の翻訳者のポジションをご紹介いただきました。まさかその仕事がこんなに続くとは思っていませんでしたが、そこから20年近くお世話になっています。

工藤:よく覚えています。日本の携帯キャリアが海外企業と合併して、多くの通訳者・翻訳者が必要な時でした。三浦さんにご紹介したのは、テンナイン設立当初最初にご依頼をいただいたクライアントなんです。プロジェクト準備室に私が飛び込み営業をして、最初に通訳者派遣の仕事をご依頼いただきました。一人で昼間は飛び込み営業していたので、担当者に電話がなかなかつながらなくて困ると言われたことが懐かしく思い出されます。結果的に大きなプロジェクトになり、弊社から30名以上の通訳者・翻訳者の方に仕事をご紹介することができました。しかし数年後に日本の企業が買収し、通訳・翻訳需要はほとんどなくなりました。実は今でも契約が残っているのは三浦さんだけです。長く契約が続いているのにはいろんな理由があると思いますが、自分は翻訳者として何が求められているのかを現場で敏感に感じられ、対応されているのが評価されているのではないかと思います。

社内翻訳者としの心構え

三浦:翻訳はこういうものであるという一様に固まったやり方ではなく、柔軟な対応を心がけています。現場や依頼者、プロジェクトによって翻訳の「目的」は異なり、それをより良く果たそうとするとやらなければならないことは一様ではないからです。本質的に翻訳の立場というものがありますが、例えば開発プロジェクトの一環で翻訳があるなら、前後の工程も意識し、お互いに効率的でストレスにならないやり方を考えています。ストレートに翻訳できない場合が多いので、翻訳に関する適切な判断や、文書の意図や文意に沿った訳文、効果的な書き方のオプションを提案できるように、常に新しい情報を調べ知識やスキルをアップデートするようにしています。

工藤:なるほど。最終的にクライアントに満足してもらう結果を出すということですね。ビジネスがうまく展開できるようなアウトプットが現場で求められているということを、最初の段階から分かってらっしゃったのではないかと思います。そこがクライアントに評価され、三浦さんがいなくてはならない存在になっているということだと思います。他に翻訳の仕事で意識していることはありますか。

三浦:日本語と英語の語学力や翻訳能力は当然のことながら、依頼者とのコミュニケーションや関係の構築もとても大切だと思います。翻訳は翻訳者の仕事として完結するようであって、結局は依頼者の仕事として完結するのだと思います。また、翻訳能力は究極的には情報処理能力だと思うので、その情報処理能力を日々高めていきたいと思っています。字面を追いかけることで文意を見失ってしまうことがないように、エンジニアにはエンジニアの言葉で、法律分野なら法律を語る者の言葉で書く。かつ、さっと目を滑らせただけで意味が頭に入るように書く。読み手に負担をかけない。リリースライターをしていた頃の上司から指導された貴重な教えです。そのような翻訳を意識しています。通訳であっても翻訳であっても答えは1つではないところが、研究しがいがあり面白いところだと思います。

語の使い方や文のスタイルは、分野や社会の変化と共に変わっていきます。職を取り巻く状況も変わっていきます。変化に敏感で柔軟でありたいものです。特に今はものすごく変化が早い時代です。変化に対応するものだけが生き残る。ダーウインの言う「最も強いものが生き残るのではない、最も賢いものが生き残るのでもない、唯一生き残るのは変化できるものである」です。滞米生活で身を持って感じたました。

工藤:今後フリーランスで働くことも視野に入れていらっしゃいますか?

三浦:難しい質問ですね、翻訳は翻訳分野の知識が必要ですので、十分な知識のないままいくつもの分野の仕事をフリーランスで受けるより、将来も分野を絞って、クライアントとコンタクトがとれる環境でフリーランスの仕事ができれば理想的ですね。

AIの進化で翻訳業界はどのように変化するのか?

工藤:翻訳業界ではAI 翻訳を脅威に感じている人も多く、私もよく質問を受けます。今後 AI の進化によって翻訳業界はどう変わって行くと思われますか?

三浦:AI 翻訳の普及によって翻訳者はある程度淘汰され、人間の翻訳者のハードルが上がると思います。それでも、AI の処理と人間の脳が処理する言語の違いは依然として残ると思います。AI にできないことができる翻訳者は生き残ると思います。

工藤:私もそう考えます。例えば AI なら六法全書はあっという間に記憶できると思いますが、だからと言って弁護士の仕事がなくなるとは思えません。もしも私が本当に困難な状況に陥ったら、AI ではなく、弁護士に相談すると思います。それと同じで翻訳者のアプトプットが機械翻訳と同じレベルではれば淘汰されてしまうと思いますが、+αがあれば機械翻訳が及ばない分野は沢山あると思います。

三浦:日本語を英語に訳する場合、日本語で読んだ時に日本人が思い浮かべるものと、それが英語になった時に相手が思い浮かべるものが同じであるとき、適切な翻訳ができたことになると思います。AI 翻訳はかなり高いレベルまで来て日々進化していますが、それを AI がどのように、どのくらい果たすのか。完璧に果たしたところで、人間は、言語の「不気味の谷」を感じるのか、AI 翻訳のトレーニングデータに AI 翻訳を繰り返し使い続けるとどうなるか、非常に興味深いです。

工藤:私自身年齢を重ねて昔と同じように長時間精力的に働くのに限界を感じています。三浦さんも若いころと今では働き方に変化はありましたか。

三浦:人生のステージや時代、求められる知識やスキルも変化していきますのでずっと同じ働き方ではないですね。頭がベストな状態で働くように、以前に比べ、基本的な生活のリズムを整えるようにしています。運動が好きで生活の一部としていつも何かしらやっていますが、今はピラティスをしています。ベストな頭の状態で翻訳に臨むよう心がけています。

これから翻訳者になりたい方へ

工藤:最後にこれから翻訳者を目指している方へ、応援メッセージをお願いします。

三浦:不明な点や疑問に思ったことは、気づいた時に徹底的に調べると良いと思います。その積み重ねが身を助けます。他の理解が深まることで答えにたどり着けることもあるので、地道に粘り強く。

言葉はコンテクストなくして発せられることはないので、翻訳分野の背景知識は語学力に劣らず重要だと思います。構文的には複数の解釈が可能な場合、背景知識があれば自分の解釈の誤りに気づくことができます。加えて、翻訳は「伝える」ための方法ですので、ライティングの力も必要な能力です。

文法書に書いてあるほど単純でない名詞の単数形、複数形、冠詞の使い分けなど、単純に明確な説明が得られない問題もありますので、日本語でも英語でも良い文章を選んでたくさん読み、語感を養うのは大切だと思います。

工藤:本日はありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

Written by

記事を書いた人

ハイキャリア編集部

テンナイン・コミュニケーション編集部です。
通訳、翻訳、英語教育に関する記事を幅広く発信していきます。

END