Vol.60 情熱を伝えていく楽しさ
【プロフィール】
Maskiell Owen マスカル・オーウェン
いつも品質の高い訳文をご納品して頂き、イレギュラーな案件にも柔軟かつ丁寧に対応してくださる日英翻訳者のマスカルさん。そんなマスカルさんに翻訳部ディレクター・松本がインタビューしました。
松本:いつもお仕事をお引き受け頂き、ありがとうございます。
マスカル:面白い仕事ばかりで、毎回楽しく翻訳させていただいています。
松本:まずマスカルさんのバックグラウンドや翻訳者としての仕事について、掘り下げていきたいと思います。日本や日本文化に興味を持ち、日本語を勉強するようになったきっかけについて教えてください。
マスカル:私はオーストラリア出身で、子どもの頃に日本を知る機会がありました。中学生の頃、柔道のクラブに数年間所属していて、その期間に日本文化や日本人の先生と交流があり、そこが最初の接点だったと思います。先生は日本から来ていて、家族も日本人でした。
松本:ご両親から柔道をするように言われたのですか?それとも、ご自分が柔道をやりたかったのでしょうか?
マスカル:私自身が武道に興味があって、たまたま地元に教えてくれるところがあったということですね。トレーニングは思ったよりハードでした。数年間柔道を習いましたが、日本語のことは当時ほとんど何も知りませんでした。腕立て伏せをする時に、「いち、に、さん」と数えたりしていましたが、それだけでしたね。でも、中学と高校で、日本語のプログラムがあり、全員が受けることになっていました。
2000年頃、オーストラリアでは学校で日本語を学ばせようとする活動が盛んでした。日本とのビジネス・貿易上のつながりを考えて、政府も学校で日本語教育を推し進めていこうと考えたのでしょう。当時は多くの高校で日本語の授業が行われていて、今でも日本語の授業は人気だと思います。
日本語は難しいので誰もが続けるわけではありませんが、私は中学生の間、日本語の勉強を続け、中学3年生の時に日本へ三週間行く修学旅行があったんです。私は両親に旅行に行っていいかどうか、気軽に聞きいてみました。三週間の日本旅行は長いしお金もかかるので、断られると思っていたんです。ところが、返ってきた答えは、「日本語の授業でよい成績をとれたら、行ってもいいよ」でした。私は、「え、いいの!」と思い、それから数カ月間、日本語を一生懸命勉強し始めました。勉強しながらさらに日本への興味がわいてきました。そして日本に行って素晴らしい時間を過ごしたんです。オーストラリアと日本の文化の違いに驚き、日本中を旅して強烈な印象を受けました。
松本:修学旅行ではどこに行かれたのですか?
マスカル:いろいろなところに行きました。東京と京都では4、5日間過ごし、仙台では短いホームステイをしました。箱根と広島にも行って、平和記念資料館を訪れたのを覚えています。お寺や自然の景色も見ましたし、各地の街並みも好きでした。東京の高層階にあるホテルに泊まった時は、街全体の風景に息を呑みました。当時、東京はシドニーよりもずっと大きかったし、少なくともそう見えました。だから、とても印象に残っているんです。
覚えた日本語を使う機会も少しありました。何度か学校訪問や短いホームステイをし、学校でスピーチをすることもあって、そういう時に日本の学生とコミュニケーションをとるのはすごく楽しかったです。そのおかげで、日本語にさらに興味を持つようになり、高校でも日本語を勉強し続けました。
その後、シドニー大学で日本語を専攻しました。カリキュラムはとても優れていて、漢字などもたくさん覚えました。でも、大学の課程を終えても、まだ翻訳が簡単にできるようなビジネスレベルには達してなくて、まだまだ勉強が必要だと感じました。もっと流暢に、読んだり話したりできるようになりたかったんです。
松本:日本語の勉強は英語の勉強に比べ、リソースや教材が限られている分、大変ですよね。オーストラリアにお住まいの英語ネイティブスピーカーとして、どのように日本語を勉強されたのでしょうか?
マスカル:学校ではカリキュラムがあり、ひらがなやカタカナに加えて、漢字も少し学び、授業では自己紹介のようなスピーキングの練習もしました。
松本:日本語のネイティブの先生はいらっしゃいましたか?
マスカル:高校にはいませんでしたが、シドニー大学の日本語学科にはオーストラリア人と日本人の先生がいて、主任教授が日本人でした。学科はかなり充実していました。シドニーはオーストラリアの中でも大きな都市の一つなので、日本とのつながりは強いと思います。もちろん資料は少なく、インターネットで検索しても学習する場所や方法がたくさんあるわけではありません。でも、情熱があれば、続けることはできると思います。
最初の旅行の後、日本へ何度か行きました。しばらく時間があきましたが、日本が本当に好きだったので、25、27、28歳の時にまた日本へ行ったんです。屋久島に行き、伝統的な場所や多くの自然を目にし、それが強い興味を持ち続けることにつながりました。
松本:旅行を通じて、日本語を勉強しようという気持ちがさらに強まったのでしょうか?
マスカル:その通りです。大学卒業後、私は空港で仕事をしていて、たまに日本人のお客さんのお手伝いをすることもあったのですが、日本語を仕事として常に使うような環境ではありませんでした。だから、その間は日本に行くことでつながりを持ち続けました。
松本:日本語を勉強する上で、効果的だった方法は何ですか?
マスカル:日本語に興味があれば、最近はアニメでも日本のニュースでも、スマートフォンで好きな教材を見つけられます。オーストラリアにいても、インターネットを通じて日常的に日本語の教材にアクセスすることができるんです。大切なのは、どうやってモチベーションを維持し続けるかです。
松本:日本語を学びたいという情熱は、どこから来るのでしょうか?
マスカル:日本の文化がとても好きだということでしょう。あまりにも好きなので、翻訳者になるしかなかったのかもしれません。私は以前から、日本文化のさまざまな部分が混在しているところが好きなんです。例えば、日本の自然や、伝統的でほとんど古風ともいえるお寺や山などです。日本ではハイキングも少ししたことがあります。
日本文学や俳句も好きで、俳句バトルもあるテレビ番組『プレバト』を妻と見ています。オーストラリアにいる頃から見ていたんですよ。日本文学も少し読みました。難しかったですが、夏目漱石と太宰治が好きです。アニメを見たり、ゲームをしたりすることも少しはあります。それから食べ物!日本の食べ物は大好きで、友人や家族とパーティーをする時は、大皿でお寿司を用意します。そんな風にたくさんのことを楽しんでいますが、一番情熱を感じるのは、やはり言葉、日本語です。勉強すればするほど、理解すればするほど、日本語が流暢になって楽しくなってきます。そして、楽しければ楽しいほど、もっと続けたくなるんです。勉強をすればするほど興味が湧いてきます。
松本:私も同じで、英語とその文化が大好きです。英語がある程度できるようになってから、英語でしか表現できない気持ちや考え、発想があることに気づきました。日本語で好きな表現はありますか?
マスカル:例えば「それでいいよ、やってみようよ」という意味の、「いいじゃん」「別にいいじゃん」というような日本語のカジュアルな表現が好きです。 あと、日本を旅行中に屋久島でハイキングに行くことにしたんです。その時頂上で見た雲海がとてもきれいで「雲海」という言葉も壮大な感じで好きです。
松本:日本語の勉強で一番楽だったこと、一番大変だったことは何ですか?
マスカル:一番簡単だったことの一つは、実は漢字です。新聞を問題なく読めるようになることが目標だったので、一時期漢字を猛勉強したのですが、ある時からピンと来るようになりました。書くのはまだまだですが、翻訳の言葉選びに比べたら漢字の方が答えは一つしかないので簡単かもしれません。
翻訳者として仕事をしていて難しいと感じるのは、日本語の長い文章にピッタリくる表現を見つけ出すことです。読んで理解することはできても、それを英語に置き換えて明確に表すのは大変です。たくさんのフレーズや句を理解し、それを組み合わせて、読者のためにわかりやすい英語にする必要があります。これはかなり難しいですが、きちんと表現できた時は、その分達成感ややりがいを感じます。
また、日本語は英語に比べて主語をあまり使わないので、文脈を把握しながら、その文の主語が何かを理解するのが課題です。英語圏の人間として、日本語の主語を見分けるのは、難しいこともあります。私たちは常に「I」「we」「the company」といった主語を使って表現しますが、日本語ではもっと控え目な感じだからです。主語までの糸をたどれることが、翻訳者に必要なスキルの一つになります。そのためには、日本語の細部まで理解できなければいけません。読めても意味をよく理解していないと、誰が何をしているのかがわからなくなることがあります。
松本:読むのは簡単でも、訳す時は明確に表さないといけないとおっしゃっていましたね。日本語は漠然としていて、内容をはっきりさせるために絞り込んでいく必要があるとお考えでしょうか?
マスカル:日本語を読んでいて、大まかな意味を理解し、読んでいるものにのめり込むことはできますが、英語に訳すとなると、「うーん、何から始めればいいんだろう」という感じになってしまうことがあります。日本語では単数形と複数形があまり区別されないので、そういうちょっとしたことも常に把握するようにしなければなりません。「1社との提携なのか、2社との提携なのか?」「仕事をしているのは一人なのか、それとも数人なのか?」とかですね。
また、日本語には『など』という表現もあります。日本語の文章で読むととても自然ですが、それを英語で「et cetera」とすると不自然なだけなんです。英語では、3つのものがあれば、3つすべてを挙げるので、文末にいきなり「et cetera」とか「and other things」と書くことはあまりしません。先ほど「日本語はやや漠然としている」とおっしゃったこととつながりますね。
松本:そうですね。よく言われることですが、私たち日本人は自分の気持ちを100%表さないで、まわりの人にどういう気持ちかをわかってもらおうとするそうです。
マスカル:それが日本語にも関係しているのですね。
松本:いわゆる「思いやり」を持って話すということが、日本では文化として根付いていると思います。すべてを話さなくても、まわりが何を言いたいかを察するんですね。それが、日本語のあり方と深く関係していると思います。でも、先ほどおっしゃっていたように、ビジネス文書で「など」を使うのは、あまりプロフェッショナルとはいえないですね。ビジネス文書なら、すべてを挙げるべきです。
マスカル:そう思います。「この『など』は何を指しているのだろう?」と訳す時はよく考え込んでしまうんですよ。でも、日本語で『など』のある文を読んでも、まったく違和感がないんです。
松本:日本語で『など』と書いた人は、「この文章には7つか8つの事柄が含まれているけれど、全部入れると多すぎるし、3つ挙げて残りを外すと人によっては不快に思うかもしれない」という風に考えているのかもしれません。
マスカル:なるほど。『など』は実は気配りの一種なのかもしれないですね。
松本:これほどまでに『など』について議論することになるとは思いませんでしたが、それが言語の面白さですね。
マスカル:そうですね。
松本:それぞれの文化に特有のものがあるため、私たちは常にこのような違いを抱えていて、100%正確に翻訳することは難しいです。
マスカル:折り合いをつけて、伝えるためにできる限りのことをするだけですね。日本語でいうと「行間を読む」でしょうか。でも、欧米人は単刀直入すぎるのか、あまりそういうことをしないように思います。
松本:どちらの文化にも、よいところとそうでないところがあります。両方の側面を理解できるので、私はいつも有利な立場にいると感じていて、両方の文化からよい面を取り入れるようにしています。だから、いつも「得している気分」です。
マスカル:両方の文化を知っているというのは、すごくいいことですよね。最近日本に引っ越してきて、この国で生活することで文化を理解できるのもすごいことだと感じます。そして、両方がわかることで、先ほど言われたように本当に「得している」と思います。別の国に行っても、全然言葉がわからなければ、その国の文化や人々を十分に理解することはできません。でも言葉が使えれば、まったく新しい可能性が広がるんです。
松本:次はマスカルさんのキャリアについてお聞きしたいと思います。フリーランスの翻訳者になる前は、副業で翻訳をされていたそうですね。
マスカル:はい、そうです。
松本:大学卒業後、どのようなキャリアを積まれたのですか?
マスカル:2度大学に行ったんですが、最初はメディアを学んで、卒業後はテレビ番組やコマーシャルなどの照明の仕事をしていました。元々、カメラの操作などは趣味の一つだったので、興味があるかもしれないと思っていたんです。照明の仕事をしばらくした後、友人と一緒に半年間インドとネパールに行きました。その時はちょっとフリーターのような生活をしていましたね。
旅行から帰ってきて、少し照明の仕事をしましたが、その後オーストラリアの航空会社に就職することになりました。そこでは外部オペレーションを担当し、カスタマーサービスにも一部携わって、日本語を使ったり旅行したりする機会もありました。また日本と比べると有休も多く、空港で働いていた間に何度か日本に行ってとても気に入ったので、シドニー大学に戻って日本語を専攻することにしたんです。
それからの数年間は、空港で働きながら大学で日本語を勉強しました。しばらくして、自分のスキルをさらに上げる必要があると考え、「日本語能力試験一級」の合格を目指して、一時期猛烈に勉強しました。そして、ニュースを見たり、ニュース記事を読んだり、日本のメディアをより楽しんだりできるようになって、「もしかしたら、翻訳ができるかもしれない」と思い始めたんです。
若い頃は、「日本語を流暢に読めるようになるには、一体どうしたらいいんだろう?翻訳なんてまさか」という感じでした。でも、少しずつそのレベルにまで進んで、自然に「翻訳をやってみようかな」と思うようになりました。そして、日本の翻訳業界の仕組みをインターネットで調べてメールを送り、第一歩を踏み出すことができたんです。その後、あちこちで少しずつ経験を積み、テンナインに連絡をとって仕事をするようになりました。その頃はまだ空港の仕事をしていて、副業として翻訳をしていました。
そして、新型コロナウイルス感染症のパンデミックが始まり、観光業界は大きな打撃を受けました。会社は人員削減を図ろうとしていたので、私は退職金をもらって自発的に辞めることにしました。すでに出会っていた妻と、「数年間日本に住んで、いろいろなことをやってみようよ」ということになったんです。そんな風に、空港を退職して完全に翻訳に専念し、日本に移住するという大きな変化が一度に起こりました。
松本:パンデミックのせいとはいえ、基本的にすべてが順調に進んだようですね。
マスカル:どちらにしても、転職の方向に向かっていたようです。
松本:フリーランスの翻訳者になろうとしていて、状況的にも決断せざるをえなかったということですね。
マスカル:「今しかない」みたいな感じで、「そうだ、やってみよう」と思いました。
松本:マスカルさんにとっては、すべてがスムーズで自然だったようですが、フリーランスだとどれだけ仕事があるかわからないので、怖いとは思いませんでしたか?
マスカル:航空会社のような安定したフルタイムの仕事を辞めるとなると、多少は不安があると思います。会社が無事で、そのまま会社に残っていたとしたら、それはそれでよかったとも思うんです。でも、日本語に興味があって翻訳者になりたいと考えたら、ただ全力でやるしかないと気づきました。そして、パンデミックで状況が変わった時に便乗したんです。フリーランスの環境で家庭を持ったりすると、「これで十分に成り立つんだろうか?」と思うこともあります。でも、いい仕事をしてその仕事が好きなら、仕事は途切れずに来ますし、すごく忙しい時もあれば少しのんびりできる時もあるように感じます。
また、フリーランスの仕事には柔軟性もあります。自宅で仕事ができるのは当然ですし、さまざまな翻訳をすることができます。同じ会社で同じポジションだと、ずっと似たような仕事ばかりすることになるかもしれません。フリーランスの仕事にはよい面もあるのは確かです。
松本:もしパンデミックが起こらなくて、安定した空港で働き続けるという選択肢があったとしても、日本でフリーランスになられたでしょうか?
マスカル:どっちみち、日本には移住したかったんです。妻とその話をしていましたし、それよりもずっと以前から日本に行きたいと思っていました。ただ、パンデミックによって、すべてが一気に進みました。もしパンデミックによる混乱がなかったら、というのは難しいですが、パンデミックが私に機会を与えてくれて、それを活かしたのは間違いないです。
松本:新型コロナウイルス感染症は、人々にネガティブな意味で大きく影響しましたが、同時に人々の人生をポジティブに変えたケースもあったともいえますね。
マスカル:私にとっては、とてもポジティブだったと感じています。そのおかげで人生を変えることができました。
松本:マスカルさんの一歩踏み出す勇気は、本当にすごいと思います。
マスカル:オーストラリアで、すでに翻訳のキャリアを確立し始めていたような気がします。翻訳を始めたばかりの頃は、どんな経験でも積んでおくに越したことはないと思います。副業で少しできるようになれば、さらに拡大していくための基礎はできているといえます。
松本:マスカルさんはいつも素晴らしい翻訳を納品して頂いていて、複雑な案件にもとても柔軟に対応してもらっています。マスカルさんの翻訳スキルの秘訣は何でしょうか?
マスカル:トリプルチェックでしょうか(笑)。最初はちょっと大雑把でもよいので全部翻訳して、次の日にまた戻ってくるみたいな感じです。でも、時と場合にもよります。当日納品の依頼なら、当然そんな時間はないので、仕上げてからまたすべてを見直します。私の場合、2回目は日本語と照らし合わせて見落としがないかを確認し、3回目は自然に聞こえるかどうかを確かめるために、英語の文章だけを読みます。この2つのステップは、結構大事だと思うんです。長いプロジェクトや時間がある時は、1日放置するのもいいと思います。翻訳した翌日にもう一度目を通すと、頭がリフレッシュしているでしょうから。プロフェッショナルな仕事をするためには、時間をおくことはとても大切です。
松本:それは読者にとっても、とても役立つ情報だと思います。
マスカル:案外、1行見逃してしまうようなことがあるんですよ。すべてをクロスチェックしてから、英語だけを読み返すといいですね。
松本:翻訳したものでも、それに関係した経験でもいいのですが、翻訳者として一番思い出深いものは何ですか?
マスカル:テンナインとお仕事をするようになった初期の頃に担当した、福島のとある施設に関する仕事は特別でした。災害を経験された方の経験や、その施設で働いている背景、、なぜ人々を助けたいと思うのか、というようなことを翻訳しました。心に訴えかけるものがある、素晴らしいプロジェクトでした。
最近ではECサイトで販売を開始する老舗小売店の説明文を翻訳しました。その老舗はデジタル・トランスフォーメーション(DX)やオンライン・ショップの開設など、デジタル化を進めようとしていました。伝統を誇る日本の製品が、インターネットやデジタル技術を使って新しい方向に向かうという面白い組み合わせで、とても楽しかったです。ほとんどインタビューみたいな感じで、その人たちが話していることを翻訳しました。人が情熱を注いでいることを翻訳するのは、気分がいいですね。その情熱を翻訳で伝えるのですから。
松本:そういう気持ちや情熱を伝えようとしているマスカルさんは、素晴らしい翻訳者ですね。
マスカル:英語で読者が読んだ時に、背景の人たちのことがわかるように伝えたいと意識しています。
松本:私が翻訳の仕事が好きなのは、メッセージを伝えられるからだと最近思うようになりました。プロジェクトが終わった後、人々が次にどういう行動をとるかをいつも想像するようにしています。例えば先ほどのウェブサイトを見る人の中には、実際にその場所を訪問して何かを学ぶ人がいるかもしれませんよね。DXも同様で、それを見た人たちが何か行動を起こすかもしれません。それが、やがてよりよい世界を作ることにつながるかもしれないですよね。
マスカル:その通りですね。
松本:日本語で黒子役という言葉もありますが、翻訳は人や組織を陰で支える舞台裏の仕事と思われがちです。でも、実際は、人々がこれから起こしていくような行動に深く関わっています。そして、その行動を起こさせるのが、マスカルさんのような翻訳者だと思うんです。そういうメッセージを広めたいですし、チームとしてその目標に取り組みたいです。
マスカル:翻訳に人が反応したり、それによって行動したりすることで、効果が現れるということですね。確かにそうですね。
松本:さて、では次の質問ですが、最も得意とする翻訳の分野とその理由を教えていただけますか。
マスカル:最も多いのは、広告、マーケティング、そしてIR(投資家向け広報)だと思います。
松本:それは、大学時代にマーケティングを勉強していたからですか?
マスカル:大学ではメディア専攻で、マーケティングとコミュニケーションを少し学んだので、マーケティングや広告、そしてIRの分野ともつながっているのは確かです。しかし、仕事のほとんどは、マーケティングというより、コミュニケーションに関連したものです。企業は年次報告書を発表し、自分たちがしていることや財務的な成果、地域社会への貢献などについて説明します。最近、話題に上るのは、CSR(企業の社会的責任)やESG(環境・社会・ガバナンス)で、サステナビリティ(持続可能性)も重要なテーマです。多くの企業がこの分野に力を入れていて、何を行っているかをステークホルダーに説明します。私の仕事も、サステナビリティに関連する翻訳が大きな割合を占めています。
大学で学んだことが仕事で少しは役立っているかもしれませんが、翻訳者としての知識は、読書をしたり時間をかけたりすることで身につけられます。大学で直接学んだことのない分野でも翻訳はできるんです。私も、時には決算報告などの翻訳をしたりすることもあります。大学で経済学を学んだわけではないですが、細部にまで気を配って、必要な参考資料などを使えばできるということです。
松本:なるほど。
マスカル:翻訳者を目指す人は、少し経験があったり自信があったりする分野から始めるのがベストだと思います。でも、新しいものに挑戦することも怖がらないでください。自分にもできそうだと感じたら、挑戦してみることです。ただ、時間をかける必要があります。また、手に負えないレベルや分野のものはやらないことです。
松本:マスカルさんも、新しいことに挑戦しようと考えていらっしゃいますか?何か具体的な分野はありますか?
マスカル:長期的には、医療関連の翻訳をもう少しやってみたいですね。この分野は常に進化し、新しいことが起きているような気がしますから、決してなくならないでしょう(笑)。長い間、医療関係の翻訳などはかなり特殊な分野だと考えていました。でも、今は製薬会社の仕事もすることがあります。新鮮な気持ちで仕事をしたり、仕事の選択肢を広げたりするために、そういう方向にも少しずつ進んでいけたらいいと思います。
松本:現在はフリーランスとしてのキャリアを確立され、プロとして日本語を使っていらっしゃいますが、日本語をブラッシュアップするためにどういうことをされているのでしょうか?また、日本語のレベルをさらに上げるために、どんなことをされていますか?
マスカル:翻訳者というのは主に文章を扱う仕事だと思うので、いつも日本語の文章を読んで、読んで、さらに読もうと努めています。携帯電話でニュースを読むだけでなく、時には新聞を買うこともあります。スクリーンを見ていることが多いので、たまにはちょっと旧式なやり方もいいかなと(笑)。読む記事の分野はいろいろです。経済コラムや芸能コラム、ローカルニュースに国内・国際ニュースも読みます。幅広い分野の記事を読むことで、より多くの情報を吸収して、スピーディーに流暢に日本語を読めるようにし、新しい漢字を覚えようとしています。今でも言葉のリストを作ったりしますよ。
松本:日本の言葉の、ですか?
マスカル:はい。それでも時々、知らない言葉やあまり見たことのない言葉、忘れてしまった言葉に出会うことがあります。そういう言葉をリストアップして、そのリストに目を通すようにしています。今は日本にいるので、日本語に関しては少し楽で、自然に集中できますね。テレビでは日本の番組を流して、英語のメディアは制限するようにしています。でも、翻訳には英語の表現も重要なので、英語を読むことも大切です。他の翻訳者の作品を読んだり、一般的な英語の文章を読んだりして、英語表現力を維持するのはいいことだと思います。とはいえ、日本に来たからには、家の中でも外でも、日本語を話す機会を増やしたいですね。
松本:マスカルさんの今後の目標は何でしょうか?
マスカル:今はこの仕事を続けていくことです。忙しい時もありますが、翻訳の仕事を本当に楽しんでいますし、よいものを作っているという満足感があります。自分のスキルを使って仕事をし、他の人が喜んでくれて、できあがったものをネットで見ることができるのでやりがいがありますね。また、自分が日本語から英語に翻訳したという満足感もあります。小学生の頃は、日本語を見ても一言も理解できませんでしたが、今は理解できるだけでなく翻訳もできるんですから。
キャリア上の目標という意味では、機会があれば、通訳の仕事もやってみたいと思っています。いずれは日常的に日本語を話すことができるような職場で、通訳をしてみたいです。翻訳は文章にフォーカスしていますが、通訳だと直接人と関わることができそうな気がします。それによって、人間的にも日本語のスキル的にも成長できるように感じるんです。
松本:その答えは予想外でした。翻訳関係の目標があるとは思っていましたが、通訳をやってみたいと思っていらっしゃるとは…。モチベーションを維持して勉強を続け、語学力を向上させるためには、素晴らしい目標だと思います。現状に満足せず、まったく別の目標に挑戦しようとしているマスカルさんを尊敬します。
マスカル:複雑な日本語の文書を英語にする翻訳には、とても充実感を感じていますが、長期的に見れば通訳という方向に進むのもよいかもしれないという思いがあります。
松本:では最後に、オーストラリアで日本語を勉強している、翻訳者志望の人へメッセージをお願いします。
マスカル:「あきらめないで」とだけ言いたいです。少しずつ学んで、学んで、学び続ければ、やがてそれが実を結び、自分の語学力の向上ぶりに驚く時が来るはずです。日本にいてもいなくても、日本語にどっぷり浸って学ぶことが大好きになってください。自身の上達を実感することで、達成感を味わうことができます。それを翻訳に活かし、翻訳について学び、翻訳者になるために行動してください。怖がらずに、あきらめることなく。
松本:すてきなメッセージですね。今日はありがとうございました。
マスカル:ありがとうございました。