Vol.52 最初の一歩は好きな分野から
本日の翻訳者インタビューはシェーン・ヒリさんです。
テンナインとヒリさんの出会いは今から約2年前、弊社のCOWプロジェクトへの応募がきっかけでした。(COWプロジェクトの詳細はこちら)
現在は翻訳者としてクライアント先に出向していただいています。クライアントからの評価が高く、最近は通訳対応もされています。
アメリカで育ったヒリさんが翻訳者を目指したきっかけや、どのように語学を勉強されてきたかお伺いしていきたいと思います。
【プロフィール】
シェーン ヒリ Shane Healy
アメリカ ボストン出身。ミドルベリー大学に在籍中、交換留学で1年ICUへ。大学卒業後、再来日しアメリカ・カナダ大学連合日本研究センターに入学。その在籍期間中にテンナインのCOWプロジェクトへ応募。現在は大手飲料メーカーの社内翻訳者として活躍中。
工藤: 本日はよろしくお願いします。ヒリさんはハイキャリアのサイトはご存じでしたか?
ヒリ:はい、ちょうど翻訳の仕事を探している時に、ハイキャリアを読んで勉強していました。テンナインが運営しているサイトだと知ったのは、実は入社した後なんです。
工藤:ありがとうございます。ヒリさんはとてもお若いのですが小さい頃はどんな青年でしたか?
ヒリ:アメリカのボストンの郊外で生まれ、異文化との接点もなくずっと同じ町で育ちました。ただ読書が好きで本を通じて異文化に触れ、漠然と将来は海外に行きたいと考えていました。
工藤:当時はどんな分野の本を読まれていましたか?
ヒリ:舞台がイギリスだったり、ロシアや南米だったり。幅広いジャンルの本を読んでいました。高校生の時に村上春樹の「1Q84」に出会いました。それまで読んだ本とは全く世界観が違って、日本という国に深く興味を持ちました。
工藤:本格的に日本語の勉強をされたのは、大学に入られてからですか?
ヒリ:そうです。バーモンド州にあるミドルベリー大学(Middlebury College)の日本研究学部に入学しました。大学では日本語はもちろんのこと、人類学や言語学の観点から日本の歴史や文化を包括的に学びました。実は高校生の時にスペイン語も勉強していました。スペイン語と英語は文法の構造が似ているのですが、日本語は全く違うので、僕にとっては新鮮でした。日本語を学ぶことで日本人の価値観に触れ、ますます日本に興味を持ちました。
工藤:大学では毎日どのように勉強されていましたか?
ヒリ:毎日日本語の授業がありました。週3回はドリル、週2回はレクチャーです。少人数のクラスで何度も当てられるので、予習復習は必須でした。宿題の量は毎日1時~2時間程度、その他にも部活やイベントで会話練習をする機会がありました。それに、2年生の時は、日本語でしか話せない学生寮に住んでいました。ミドルベリー大学には夏学校という合宿プログラムがあって、8週間、英語禁止、日本語でしかコミュニケーションが取れない厳しい環境でした。自分でもそのひと夏で日本語力がかなり伸びたと実感しました。
工藤:その後日本に留学されていますね。それだけ日本語の勉強をされていたら生活には困らなかったのでは?
ヒリ:大学の奨学金で交換留学生としてICUで1年間学びました。今振り返っても本当にいい思い出ばかりですが、実は最初の頃は戸惑うことも多かったです。日本語は一応分かっていたのに、日本のことが全く分かっていなかったのです。友達と打ち解けるのも最初は難しく感じました。なぜなら僕の日本語は人に馴染むようなフランクな表現ではなく、教科書に出てくるような固い表現だったのです。シャイな性格もあってなかなか最初は友達も出来なかったのですが、大学で落語研究会に入ったのをきっかけに周りに溶け込めるようになりました。
工藤:えー!ヒリさんと落語が結びつかないです。
ヒリ:実はミドリベリー大学に日本の落語家の方がいらっしゃって、ワークショップを受けたことがあります。落語の世界は面白く日本語の勉強だけでなく、江戸時代の情景も共感でき、日本人の歴史観も身に着ける事ができました。実は短い演目ならで今でもできるんですよ。(笑)ICUはもちろんバイリンガルなので英語の授業もたくさんありましたが、ミドルベリー大学から来ている交換留学生だけは日本語の授業しか受けられないことになっています。ただ特別な許可をもらって英語ネイティブの先生の翻訳入門の授業を受講しました。その他、認知言語学や通訳入門など、すべての授業を日本語で受講したのです。
工藤:ちょうど翻訳者になりたいと思っていた頃ですね。
ヒリ:そうです。当時は無邪気な大学生だったので(笑)日本が自動車や技術、製薬分野に強いというのも知りませんでした。最初は経験のためにインターンシップでいくつかの企業で翻訳の仕事を経験しました。特に行政書士事務所の仕事は勉強になりました。例えば定款とはどういうものか?と日本語でも英語でもたくさんの背景知識を吸収することができました。
工藤:日本能力試験でN1レベルの認定を取られたのも留学中でしょうか?
ヒリ:そうです。その後一旦アメリカに戻って大学を卒業し、翻訳者になるという夢を叶えるために、再度来日しアメリカ・カナダ大学連合日本センターに入学しました。そして就職活動中に御社の募集記事を見つけ、とても評判が高く、是非この会社で働きたいと思いました。
工藤:今は弊社から飲料メーカーの翻訳者としてお仕事をしていただいています。ヒリさんはとてもパフォーマンスが高くクライアントからの評価も高いのですが、普段の仕事内容を教えてください。
ヒリ:英訳をやっています。Tradosも習得しました。ファイナンスや実際のビジネス現場の経験を積ませていただき、とても勉強になっています。
工藤:今は翻訳以外にも現場で通訳もされていると聞きました。
ヒリ:はい、本格的に通訳トレーニングを受けたことはないのですが、僕でお役に立てるのであれば挑戦しようと思いました。以前はミドルベリー大学とICUの共同ボランティア活動で、通訳を経験したことはありますが、実際の現場は初めてでした。
工藤:実際に通訳をされてみてどうでしたか?
ヒリ:通訳はかなり記憶力が試される仕事だと思います。日本語を聞いて理解していても、それに該当する英語を瞬発的にデリバリーするのは本当に難しいのですが、とてもいい経験でした。ただ将来的にはもっと専門的な知識をつけて、高度なレベルの翻訳ができるようになりたいと思っています。将来は製薬業界の翻訳に携わりたいという目標があって、今は専門書で勉強しています。
工藤:では最後にこれから翻訳者になりたいと目指している方に向けて、一言アドバイスをお願いします。
ヒリ:語学は好きなところから勉強を始めればいいと思います。例えばハイキングが好きだったらハイキングについて沢山学べばいいと思います。しかしプロの翻訳者を目指すには視野を広げて、ビジネスだったり技術・医療だったり、広い分野を勉強すること、そして自分が翻訳者として将来携わりたい分野の知識を深く身に付けていくことが必要だと思います。
工藤:本日はお忙しい中本当にありがとうございました。しかしコロナ禍ではなかなか帰国できないですね。
ヒリ:そうなんです。日本に住むのは両親も応援してくれているのですが、一人っ子なので、両親も寂しがっています。コロナが落ち着いたら、まだ日本に来たことがない母を呼び寄せていろんなところを案内したいと思っています。