TRANSLATION

Vol.33 自分で見て聞いて判断することを大切に

ハイキャリア編集部

翻訳者インタビュー

【プロフィール】
河野光明さん Mitsuaki Kohno
大阪外国語大学英語科卒。卒業後、輸出関連の会社に就職する傍ら翻訳学校に通う。その後、海外向けの広告制作や出版、翻訳を手掛ける会社に就職。講談社70周年記念映画、「東京裁判」(小林正樹監督)の英語版制作に携わる。昭和62年には同社の翻訳・広告部門を継承し、翌年有限会社カテラを設立。その後、派遣翻訳者として大手法律事務所にて法律翻訳の実績を積み、現在は契約書の和文英訳を中心にフリーランスの翻訳者として活動中。

Q.語学に興味を持たれたきっかけについて教えてください。

中学時代、英語の先生の教え方がうまく、そのころから語学に興味を持ちました。
数学は得意では無いので、総合大学も受けました、が、まあ他に道が無かった、と言うか、、、。
(大阪外国語大学の入学試験は)英語が200点で、確かその他は、国語、世界史でしたが、英語の配分が高かったんです。

大学を卒業後、電線メーカーに就職しました。海外部で電線の輸出に関する業務です。アメリカやヨーロッパなど先進国は電力ケーブルや通信ケーブル網なども発達していますから、相手は発展途上国ですね。当時は中近東だとか東南アジア向けが主でした。海外工事で数ヶ月から数年かけて電線を敷設してから、現地の電力プラントや施設が稼働するまでサポートするわけです。そういった工事に関連する商談がありました。翻訳は殆ど関係なく、実際は輸出関連の業務で、見積りを作成するなど商社と協力しての仕事がメインでした。これこれこういう電線をいつまでに納品、など、進捗管理、コーディネーションをするような立場です。また、昔は通信手段と言えば、テレックスや、遠距離通話料金のかかる電話・ファクスでのやり取りでした。コンピューターすら使用していない時代ですからね。

Q.翻訳をご職業にされようと思われたのはいつ頃でしょうか?

電線メーカーにいたとき、退職する半年か1年くらい前だったと思いますが、翻訳学校に通い始めたんです。急に思い立ったわけでは無く、やっぱり語学に興味があったんですね。それと、自分は組織の中で、うまく立ち回れる気がしなかったんです。大学時代に何か自分でやれる仕事がいいな、と思っていたところ、先輩が翻訳業のことを教えてくれ、そんな仕事もあるんだなぁ、と。それ以来ずっと翻訳業のことは頭の中にありました。将来的には翻訳者の道で独立していければいいなと思っていました。

最初の会社を辞めて、実は一度故郷の長崎に帰ったんです。そこで何かできないかな、と思ったのですが、そうしたところ、長崎で実際に翻訳をしている人がいて、翻訳の仕事をするなら都会へ出なさい、と言われました。地方ですと仕事が無いんですよね。今のようにメールもありませんでしたので。英語はタイプライターで、日本語は400字の原稿用紙に手書きで、実際に翻訳物を手持ちするわけです。タイプミスは修正液で直すため、同じところを何度も修正するとそこだけ修正液の重ね塗りで膨れたり、破れてしまうこともありました。宅急便もありませんでしたし、郵送で2~3日かかることもありますから。でも、納期は今と同じくらい厳しかったですね。翌日までに40枚の翻訳という仕事もありました。特に広告代理店の依頼などですよね。単価自体が悪くないだけに納期は厳しかったんですね。後年になってフロッピーで届けることもありました。この10年くらいのCP環境の進歩は素晴らしいです。在宅翻訳者さんは動き回ることをあまり好まない人も多いと思いますし、便利になりましたね。

Q.翻訳の仕事の面白さ、やり甲斐を感じる時は?又は大変さについては如何でしょうか?

契約書や法律についてであれば、広告の仕事に携わっていた際に、海外のタレント関連の仕事や、珍しいものですと、Jリーグ発足時の契約書関連の仕事がありました。契約書翻訳と言いますと、「型」のようなものがあるので、規則正しいところが自分に合っているな、と思いました。海外のサッカーリーグが既にありましたが、Jリーグ立ち上げ時に参考にしなければならない規約が沢山あり、弁護士の指導を受けて和訳をすることが主なものでしたが、まずは納期を守る、ということが一番大変なことでした。全体量から、1日にこれだけは最低限進めよう、という具合にペース設定しました。自分で仕事を受けるようになれば、自分の体調を管理することも重要ですよね。お客様には翻訳者の体調は関係ありませんから。幸い僕の場合は身体的な問題はありませんでしたが、今後年齢を重ねるわけですから管理には気を配ります。体力が弱い方にとっては厳しい仕事ですよね。また、何日間も仕事が無いときなどもありますから、それに耐えて新規開拓して行く気力なんかも必要です。受ける仕事の量についても、多少は自分にハッタリをかけて、多少多めでも受け、その後で何とか配分を考えてやり抜きます。

Q.契約書や法律翻訳をご専門にされていますが、その分野で大変なところ、または面白いところを教えてください。

契約書の翻訳の場合は、一度納品して終わり、ということではなく、ここがまずい、次はここがまずい、という具合に最終版が出るまでに改訂が入ることがありますから、そういった場合は期間が長くなり、相当な分量になりました。また、資料の性質上、後になって間違いがあるということは許されませんから、正確さが必要です。

契約書の翻訳には、明確にするために同義語を併記する表現(例えば、make and enter into(締結する)、alter, amend, modify or change(変更する)など)が多く存在しますね。ただ、最近はPlain Englishと言って、法律翻訳全体に、もっと簡単な表現にしていこう、という流れが出てきました。文の頭が長々と続き結論が後に来るような読みづらい契約書が多いのですが、This Agreement is~と、isを最初に持ってくるなど、あくまで分かりやすいものを作成しよう、ということです。契約書なので、内容を落としてはいけないですが、表現をシンプルにする、という流れには大賛成ですね。Plain Englishに関する本もたくさん出ていますよ。

契約書翻訳は、ある意味一般のビジネス翻訳よりパターン化されている部分が多いので、型さえ習得すれば、慣れてくるととっつき易いかもしれません。2年くらい学ぶと大体はこなせるようになるとも言われています。僕の場合は翻訳の基礎を翻訳学校で学んだことがありますが、殆ど現場で翻訳をこなし、あとは独学なんです。また、契約書の翻訳で英語ネイティブが問題になるのは、日本語原文の読解力ですよね。日本人は英語力なんですが、、、ハハハ。通常の英訳ならネイティブには敵いませんが、法律翻訳について必要なのは表現の巧みさよりも原文の読解力と正確に伝える英語力が大切なのです。そういう意味では、法律の勉強こそ必要ですが、日本人でも十分やれる分野だと思って契約書を選びました。以前法律事務所で弁護士さんにも確認しました。やはり内容を正確に読解し、正確に伝えることが一番重要だ、という認識で間違いありませんでした。

いずれにしても、仕事にする、という意味では楽しいだけでは翻訳はできませんね。翻訳で生活してゆく、ということは相当に厳しいことですから。派遣翻訳者として法律事務所に行ったときも、話の経緯の分らないメール文書などを訳すわけですから、主語さえも分らず、最初はチンプンカンプンでした。

希望としては外へ出て活躍できるような仕事が本当は好きなんですよね。
このことになると熱くなってくるんですが、国防、防衛に関係する仕事、例えば自衛隊ですとか、海上保安庁ですとか、最近特に興味が強くなってきましたね。昔からそういった話を聞いたりするのが好きだったんです。対外的な問題で日本政府があまりにも腰砕けなものですから! 「義憤」にかられることが多いですね(笑)。まあ、今からなれるわけではありませんから。または、動物園の飼育員ですかね。動物が大好きなんですよね。今はマンション住まいなのでメダカくらいしか飼えませんが、昔は犬も猫も飼っていました。心がほっとするんです。

最初に就職するときには、何をしたいか、なんて分からなかったですね。一般企業に普通に就職して、というのが僕の時代は普通のことでしたから。今思えば、もっと自分の考えをしっかり持って、思った道にパッと入っておけばよかったな、という思いがあります。早い段階で自分はこうなりたいんだ、という思いを持つことが大事です。

Q.ご趣味は?

散歩しながらいろいろ見て歩くことです。昔、大阪から長崎までを歩いてみたこともありました。最近は街道を歩くのが好きなんです。この道を武田信玄や上杉謙信の大軍勢が通ったのか、とか想像しながら歩くんです。府中の方には大国魂神社というところがあるんですが、神社での剣の奉納試合に出るために、新撰組の土方歳三だとか沖田総司だとかがこの道を通りましたよ、などと書かれているのを見ると、もう感激ですね。最近は機会が無いのですが、一度に大体10km~20kmは歩きます。江戸時代の人など、1日に10里(40km)位は歩いたようですから、現代人とは体力、精神力が違っていただろうな、と思います。

読書も趣味です。ノンフィクション、伝記、歴史が好きですね。海外のものより日本のもの、特に最近は戦後について書かれたものを読みます。最近、自分で史実を理解しようともせずに、マスコミなどに洗脳されて日本人が自虐史観を持つような流れにあることがどうも気になるんです。渡部昇一さんなど英文学者ですが、物凄く正史に造詣が深いですね。あとは落合信彦さんなどは強烈ですよね。読書は仕事の合間や電車での移動時間など少しでも時間を見つけて息抜きにしています。契約書翻訳が固いので、本当はフィクションなども読んで幅を広げたいとは思っていますが、人生の残り時間が少なくなってきましたから、、、(笑)。若い方は小説なども読んで幅を広げられた方が良いと思います。バランスですね。

Q.空手を40年以上続けていらっしゃる、ということですが。

長崎で始めましたが、すぐれた師に巡り合えたと思っています。また、世界チャンピオンだった人がフィットネスクラブで子供たちを集めて空手教室を展開しており、講師として教えていたこともあります。今ももちろん定期的に空手をやっていますが、これは、趣味というよりも、もう習慣のようなもので、楽しんでやる、というのとはちょっと違うんです。人生の一部、とでも言いましょうか。

Q.今後の目標などはありますか?

まずは翻訳を業として固めたいですね。仕事には、時期によってばらつきがあります。先ずは、コンスタントに仕事を確保して「売れっ子」になることです。
契約書メインでやりたいですが、貿易の仕事もしていましたので、商用通信(コレポン)などもありますが、大体どこも社内で処理され、外に出てくるケースは少ないですね。
あとは翻訳者の地位向上です。翻訳や通訳者は(言語変換)マシンのように見られることもあります。また、翻訳者自身も反省すべき点はありますが、処遇が改善されると素質ある人も出てきて、品質面でクレームが絶えない業界のレベルアップにつながると思います。

Q.翻訳者を目指している方、また、若者に向けてのメッセージ・アドバイスをください。

若くて頭が柔軟なうちから、如何に多くを読み、書き、話し、聞く、ということが大切だと思います。できるだけたくさんインプットして、それを自然とアウトプットできるようになるまで訓練する。以前に出会った同時通訳者も同じ考え方でした。彼は若いのに凄いな、と思います。イギリス留学中に、とにかく物凄く英語の本を読んで、相手が日本人でも英語で話しかけたらしいです。自然と口を衝いて出てくるようになる程やってみる。日本にいるとそういった環境に身をおくことは難しいかもしれませんが。

また、翻訳者を目指されている方の中には、在宅の仕事はマイペースでいいな、と憧れている方もいらっしゃると思いますが、職業として翻訳の仕事をする、というのは並大抵のことではありません。営業努力も必要ですしね。そういう職業としての覚悟を持ち、自分の専門も決めることですね。何でもやる、ということは不可能ですし、逆に信用されません。専門分野を決め、絶えず勉強する姿勢が必要だと思います。

若い人(に限りませんが)に向けては、先ほどお話した戦後のことに関連しますが、マスコミが報道する偏向したニュース、反日思想などに煽られ、日本についておかしな自虐史観を持つようにはなってほしくないですね。今のマスコミは、新聞やTVなどおかしい報道やコメントが多いです。社説などはその新聞社の考え方が出ますから。また、政治家に見られますが、他国からの内政干渉に呼応して、ある部分だけを捉えて自国を悪く言う精神構造も理解できません。これでは、国民は国や政治に誇りを持てません。日本には武士道に基づく固有の立派な思想や伝統、習慣があるにも拘らず、古いとか、すぐに戦争に結び付けて否定してしまうことも愚かだと思います。良いものまで否定して国の根幹を無くしていくこと、日本が日本で無くなる、自分の国が自分の国で無くなる、などということがあってはいけないんです。考えると、「憤死」しそうになることがあります(笑)。ネットは悪い面もありますが、マスコミによる一方的な報道とは異なり、色々な人が多面的な意見を繰り広げることができるようになり、斬新な意見を発表したり目にしたり良い面もあります。偏向報道や思想に左右されることなく、先ず自分で調べ、考え、判断して行くようにしたいものです。

編集者後記:
空手歴40年、趣味は幕末~戦後のノンフィクションや伝記などの読書、ということだけあり、とても骨太なお話をお伺いすることができた、貴重なお時間でした。でも、お話しされていて随所にこぼれる、優しい、素敵な笑顔が印象的な河野さん。当日はインターンシップ生もインタビューに同席しましたが、若い彼女たちにも、河野さんのお話は本当にためになったはずです。私もあと10年くらい早くお会いしたかったです!

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記事を書いた人

ハイキャリア編集部

テンナイン・コミュニケーション編集部です。
通訳、翻訳、英語教育に関する記事を幅広く発信していきます。

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