TRANSLATION

Vol.29 想い続けた日本で見つけた翻訳生活

ハイキャリア編集部

翻訳者インタビュー

第13回 田本 キャシーさん Catherine Judith Tamoto
日英翻訳者として大阪を拠点に活躍中の田本キャシーさんをご紹介します。10年前、初めて暮らすことになった日本は大分県の山の中。人口3500人の小さな町が今も「日本の原点」と語るキャシーさん。イギリスでの日本への想い、翻訳業開始秘話、エージェントとの付き合いから英訳翻訳志望者へのメッセージ、そして2つの母国をもつ子どもたちへの想いまで、内容盛りだくさんのインタビューをお届けします。

<プロフィール>
イギリス出身。シェフィールド大学で日本語と経営学を専攻した後、1998年JETプログラム(国際交流員)で来日。大分県朝地町(現豊後大野市)で3年間国際交流員の仕事をしたのち、石垣島へ。2001年フリーランス翻訳業開始。5年間の石垣島生活ののちに大阪滞在、1年間の香港滞在を経て、現在大阪市在住。特に契約書など法律関係の文書を得意とし、翻訳の質とスピードには定評がある。

Q. 日本語・日本に興味を持ったきっかけは?

15歳くらいの時に、イギリスで日本文化を紹介するフェスティバルが開催されて、学校や生活の様子を紹介したテレビ番組が放映されていました。日本の生徒はみんな髪の毛の長さを同じにしなきゃいけない、といったことが紹介されていて、”ちょっと変わった面白い国”という印象を持ちました。その頃は自分の将来の進路を考える時期で、同じイギリス人でフランス語などヨーロッパ言語を話せる人は多くとも、日本語を話す人はとても少なく、当時日系企業の進出が目覚しかったこともあって、大学では「経営学+日本語」を学ぼうと考えました。私が大学3年生で日本語漬けになっている頃に、これからは中国語だ!といわれ始めましたが、やはり中国よりも日本に興味を持っている気持ちには変わりはありませんでした。

Q. 日本語を学び始めたのは大学に入ってから?

高校に入ってから、地元の教育委員会が週1回開催していた日本語会話のクラスに参加したことが日本語学習の始まりです。生徒はビジネスマンやパートナーが日本人といった大人ばかりで子どもは私だけでした。高校の近くにある日本の短大のキャンパスがあって、日本人学生との交流会があったのですが、どうも日本人の”ノリ”が悪くて……。
また、高校の国語の授業で各自テーマを決めて1~2分のスピーチをする授業があり、当然私は日本をテーマに選びましたが、クラスの誰も興味を持った様子はなく……。孤独に日本語を勉強して、ひとり日本に想いを馳せていました。
大学で外国語を専攻する場合、高校での選択科目が決まっていて、私の学校の場合にはフランス語でしたが、フランス語は必要最低限の勉強しかしていなかったんです。そしたらある日、その先生から「フランス語もあまり勉強しないんだから、日本語なんか絶対挫折する。」と言われて!悔しくて「ムカツクー」と思って!!意地でも日本語を勉強しようと思いました。
イギリスでも数少ない日本語専攻のある大学に入学しましたが、入学前までにひらがなとカタカナを覚えなければいけませんでした。でも大学に入ったとたん、漢字が出てきて!2000字近くの常用漢字を覚えなければいけないので、1年生の頃はもう必死でした。同級生には香港出身の人が多く、同じ漢字圏出身のアドバンテージを羨ましく思いました。入学時70人ほどいたクラスが卒業時には30人くらいになるほどついていくのは大変でしたが、卒業する頃にはだいたいの漢字の読み書きはできるようになりました。今日本に住んで10年ほど経ちますが、漢字の読み書きは当時の方が得意だったかもしれません。日本人の中でもパソコンがないと漢字が書けない人がいるのと似たような状況です(笑)。

Q. 大学卒業後の進路は?

もっと日本語を勉強したくて、2年くらいは日本で暮らしたいと思い、卒業後すぐに国際交流員(JET)として日本に来ました。私が派遣されたのは、大分県の朝地町という人口3500人くらいの小さな町です。この町は有名な彫刻家である朝倉文夫氏の出身地で、朝倉文夫記念館での通訳・翻訳の仕事や、2年に1回開催されるアジア彫刻展の翻訳や韓国・中国、フィリピン、マレーシアから彫刻家の通訳など、国際交流のお手伝いをしました。
当初、福岡市を希望していたので、まさかこんな小さな町に行くとは想像していなかったんです。でも今となっては私の中の「日本」は今でもあの町です。町の人が集まってバレーボールをしたり、自家製の野菜を分けあったりと、田舎の人は毎日忙しくしていますがつながりが深くて、私をこの町の一部として受け入れてくださったことがすごく嬉しかったんです。
自らイベントを企画することも多く、一番大きかったのはイギリス研修の企画。10人ほどの町民を毎年イギリスに連れて行きました。バスの手配からスケジュール作成、観光案内なども全部自分でやります。実家近くの家庭でホームステイを手配し、日本の方々にイギリス家庭を知ってもらいました。とても仕事にやりがいがありましたし、もっと日本語を勉強したいという気持ちもあって当初2年の予定を3年に延長して活動を続けました。

Q. 国際交流員の仕事を終えられた後は?

イギリスへの帰国を考えたこともありましたが、国際交流員の期間が終わる頃に石垣島出身の男性と結婚することになり、日本に残ることになりました。毎年石垣島ではトライアスロンの国際大会が行われており、JETのスタッフがボランティア通訳として石垣島に行き、私もその一人でした。そこで主人と出会って結婚、子どもが生まれる頃に主人の実家の石垣島で暮らし始めました。そこで石垣で私ができる仕事として翻訳業を思いつきました。大分でも翻訳をしていましたし、大学時代も翻訳(対訳)といつも接している状態でしたので、このキャリアにたどりつくのは自然な流れでした。
また、イギリスにいる私の両親も実は翻訳業をしていたんです。母はスペイン語・フランス語の翻訳者でしたし、父はBBC Monitoring Service で翻訳・編集の仕事をしていました。父は退職前にこの会社のスタイルガイドをまとめる仕事をして、私にもそれを譲ってくれたりしました。翻訳業の長所・短所を知っている両親だから、今の私の仕事を理解してくれています。私は翻訳者としてのDNAを二人から授かったんだな、と思います。

Q. テンナインとの出会いはその頃ですね?

翻訳業を始める時、ある翻訳専門誌に載っていた全国エージェント紹介ページの一番上から、つまり北海道のエージェントから順にコンタクトを取っていきました。そのうち仕事の量が増えてきたのでしばらくトライアルは受けずにいましたが、さらに幅を広げてもっと面白い仕事もしてみたいなと思い、今度は東京にあるエージェントにコンタクトを取ろうと。でも東京にはエージェントが多くて数ページにも渡っていたので、ぱっと開いてえいっ!と指を指したところにコンタクトを取ろうと決めました。そこがたまたまテンナインだったんです!
トライアルを受けたエージェント数はもう覚えていませんが、実際に仕事をしたエージェントは10社くらいでしょうか。登録後、忘れたころに依頼の電話をくださるところもあれば、トライアルを出したその日にすぐ依頼を受けたところもあって。比較的スムーズにフリーランス業の波に乗れたと思います。トライアルはエージェントによりますが、何を求めているのかがわからないので、やはり難しいですね。今、あるエージェントのトライアルチェックを担当していますが、トライアルをうまく使っているかどうか、エージェントによっても様々だと思います。

Q. エージェントとの付き合いで思うこと、これから翻訳者を目指す方へのアドバイスがあればお願いします。

以前あるエージェントが業務の窓口を上海に移したため、不慣れなスタッフが電話をかけてくることがありました。その頃ちょうど2人目の子どもが生まれた頃で自分にも余裕がなかったせいか、長い電話やこちらの都合を理解してくれないなどの対応の悪さに、正直不満を感じてお付き合いをやめようと思いました。あとは翻訳料金が折り合わないことが理由になることもありました。
エージェントとの出会いには運があると思います。今は基本的にネットから応募することが多く、顔を合わせずに仕事を始めることになるので、もしそのエージェントと上手く仕事が続かなければ運が悪かったと思って気持ちを切り替えた方がいいと思います。登録しても仕事の依頼が来なかった場合などもいさぎよく諦めて、1つのエージェントからの仕事を待たずにどんどん他にチャレンジして仕事を増やしていくことが大切です。英語で”get your foot in the door”といいますが、とっかかりをつかむことは難しいし大変です。エージェントの募集条件にはよく翻訳経験年数が入っていますが、初めて翻訳業に挑む人にはこの壁は高く、それにこだわっていては仕事を始めることはできないと思います。

Q. 翻訳業はどこででもできることが魅力ですね。
そうですね。石垣で5年過ごしたあと、大阪に引っ越しました。そこでも翻訳をしていましたし、その後、主人が香港に1年間転勤になったときも翻訳業を続けました。イギリスの実家に帰ったときにも仕事を受けています。
また、在宅での仕事のメリットは、集中できることです。きっといろんな人が一緒に仕事をするオフィスでは無理ですね。また、ちょっと休憩したいとか、はまっている昼ドラは絶対見逃したくないとか(笑)、自分のペースや都合で仕事が調整できます。特売品の買出しにも行けますし!子どもたちが病気のときも面倒を見てあげられます。
デメリットはやはり人間関係が希薄になることですね。1日電話がなかったら、家族以外誰とも話さないことになります。子どもを保育園に迎えに行くと、つい他のお母さんたちと長話をしてしまうことがあります。小学校1年生の娘の学校行事には、できるだけ参加するようにしています。この前小学校の運動会がありお弁当を作っていったのですが、外国人のお弁当ってどんなのだろう?とみんなに注目されました!やはり周りからよく見られるので、気恥ずかしさを克服するために、プライドを持って出かけるようにしています。

Q. キャシーさんは法律文書の翻訳が得意ですね。
それだけを専門にしているわけではないですが、契約書などはある一定の書式があり、言葉に感情が入っていないので、機械的に訳せてスピードは速いです。確かに日本語の契約書には冗長な言い回しが多いなとは思いますが、それも慣れです。これは私の勝手な解釈なのですが、日本で成立した契約書の英訳の場合には、”for information”としての役目を果たすこと、すなわち内容に齟齬がないことを最低限の目標としています。
実は、この前イギリスに帰った時に遺言書を作ったんです。弁護士に正式なフォーマットで作成してもらったのですが、その英語はとても難しくて、はっきりいって自分で全部書けと言われても無理だと思います。イギリスの法律にのっとって作成する英文契約書にはラテン語がたくさんでてきますし、英語ネイティブだから理解できるという範囲は超えています。その後、日本でも弁護士に頼んで日本式の遺言書を作ったのですが、この日本語が意外とあっさりしていて、自分でも書けたのに!と思いました。
逆に観光パンフレットや新聞記事などは、奥行きのある表現が多く、地名や歴史的な事実などに出てくる固有名詞も含めて、英訳は難しく時間がかかります。でも、頼まれた仕事を断るのは苦手で……。個人的にも頼まれごとをすると断れなくて、”No”と言えない性格です。

Q. これからの予定や将来の夢などはありますか?
今後の予定として翻訳業での法人化を計画しています。また、翻訳業はずっと続けていきたいと思っていますが、いつか旅行企画の仕事もできたらいいなと思っています。夏休みにイギリスに帰るときに、旅行の企画・手配・観光案内をしたりとか。大分でのあの経験がずっと心に残っているのですね。
仕事以外では、料理教室に通ったり、あと、子どもたちを日本各地に連れて行ってあげたいですね。子どもには2つの母国があり、どちらの言葉をメインにするかも考えるところです。子どもとは基本的に英語で話しますが、娘が3~4歳の頃に、「英語は話したくない!」と言い出したことがあって……。周りから特別扱いされるのがいやだったんでしょう。私は、今は子どもたちに日本語をしっかり習得してもらって、英語はその次でもいいと思っています。どちらか一つの言語をネイティブとして身につけないと、どちらの言葉も中途半端になるのではないかと思います。言葉だけでなく、文化もどちらに属するのか。イギリスには移民が持ち込んださまざまな文化が混ざり合っていて、イギリス独自のこれ!という文化があるとはあまり感じていません。一方、日本は完全に他の世界と違って、味があって、個性がある。その日本の文化をちゃんと身につけて欲しい。イギリスのことは後でいいと思っています。とはいえ、実は家ではほぼ英語で接しています。日本語をメインに習得してほしいですが、英語もやはりもう一つの自分の言語として忘れてほしくはないですね。私が家で漢字の入った原稿を見ていると、「マミー、漢字わかるの?」と娘が聞いてきます。そんな時は「んー、なんとなくね。」ととぼけるんです。でないと、日本語だけのコミュニケーションが始まってしまいますから。

Q. 最後に、日本語ネイティブで英訳をしたい方へのアドバイスがあればお願いします。

基本的にやめた方がいいと思いますが(笑)。非ネイティブ言語への翻訳は大変ですよね。
私はサスペンスドラマでかなり日本語を覚えました。今も夜9時からのドラマなどはよく見ています。意味がよく分からなくても、どういうシーンで使われているかを知れば、だいたい応用できるようになります。あと、なぜか日本の番組は字幕が多くて、それが結構参考になります。しゃべっている言葉がそのまま字幕で表示されるので、耳から入ってきた言葉が自分の理解の通りかを確認できます。英語を習得したい人は、それの逆で、洋画を音声も字幕も英語で観ることも勉強になると思います。
あと、自分が好きな分野や内容で自分が訳したい(ターゲット)言語に触れることです。私は占いに興味があり、細木数子さんの本も読みます。英訳希望の方なら英語でさまざまな文書に触れてみてください。原文の言葉(ソース)に対する理解力も必要ですが、ターゲット言語が上手く書けなければいい訳文はできません。これは、英訳をやっている英語ネイティブの私にも言えることです。ネットのニュースや検索は、日本語だけでなく英語でも見ることがあります。長く日本に住むと、英語力をキープしていく努力も必要になります。
以前、先輩翻訳者に「翻訳者になる条件の一つは、ターゲット言語を書くことが好きなこと」と言われたことがありますが、これは今、私が皆さんにアドバイスできることの一つです。

<編集後記>
キャシーさんとは約1年半前、テンナイン社員旅行で香港に行ったときにお会いして以来の再会でした。15歳の時に「ちょっと面白い国」と興味を持った日本にすっかり馴染んでいらっしゃいます。話すスピードも速いキャシーさんですが、仕事のスピードも超高速!私たちも良き翻訳エージェントであるよう頑張りますので、どうぞこれからもよろしくお願いします!いつか、キャシーさん企画で社員旅行はイギリス……に行けるでしょうか、工藤社長!?

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ハイキャリア編集部

テンナイン・コミュニケーション編集部です。
通訳、翻訳、英語教育に関する記事を幅広く発信していきます。

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