Vol.22 私は、大都市のフリーランス消防士です
第22回は、医薬翻訳者のベン・デイビスさんへのインタビューです。「魚」がつく漢字を全て覚えたというユニークな日本語勉強法から、フリーランス翻訳者としての独立秘話、医薬を専門に選んだ理由、そしてフリーランス翻訳者を目指す方々への貴重な4ポイントアドバイスも!含蓄に富んだベンさんの「翻訳者論」、必読です!
ベン・デイビスさん
<プロフィール>
英国出身。イギリスの大学を卒業後、JETプログラムで青森へ。弘前高校で英語指導助手、青森市で国際交流員を勤め、日本語を習得する。都内の複数の会社で社内翻訳者としてキャリアを積んだ後、2006年5月、さざなみ翻訳を創業(2007年9月法人化)。趣味はスキーなどウィンタースポーツ。時々「東京砂漠」を脱出して、自然の空気を吸ってリフレッシュする。
Q:来日のきっかけは?
大学2年の時に日本語を勉強し始めました。それまでにドイツ語やフランス語を勉強しましたが、今度はアジアの言語を勉強したいと思い、当時のアジア情勢を考えたときに、日本語を学んでおけば何かと役に立つのではと考えたことが理由です。専攻は数学でしたので、ある意味日本語は趣味で始めたようなものです。大学で日本語クラスを取りましたが、最初は30人いた学生が、最後には自分とマレーシアからの留学生の2人しか残りませんでした。また、その頃に観光で来日し、3週間電車で日本全国を回ったことで、日本に住んでみたいという気持ちが強くなりました。卒業後すぐにJETプログラム(語学指導等を行う外国語青年招致事業)で日本に行くことに決めました。私は暑がりの上、ウィンタースポーツが好きなので、東北・北海道への赴任を希望し、外国語指導助手として弘前市の高校に派遣されました。
Q:青森での生活を教えてください。
学校での勤務は午後4時に終わるため、仕事以外に使える時間がとにかくたくさんありました。友人と出かけることもありましたが、それでも有り余る時間を日本語の勉強に費やしました。ただテキストをやるだけでは退屈なので、日本の歌を覚えたり、寿司屋の湯呑みに書かれている「魚辺」の漢字や、「骨」の名前(大腿骨、肋骨、鎖骨など)を全部覚えたり、面白く勉強できるように工夫しました。派遣された高校は進学校で、英会話よりも受験英語を教えていましたが、ある日、問題集にある日本語を英語に訳してほしいと頼まれたことがありました。当時は自分の日本語力にまだ不安があったのですが、やってみると思ったよりできてしまったんです。これが最初の翻訳体験だったのかもしれません。そこからだんだん翻訳に興味が向いていきました。高校では2年間教え、次に青森市の国際交流委員の仕事に就きました。ここで各種文書の翻訳や、イベントの企画・運営を任されました。青森の子どもたちを対象に外国文化に触れるイベントなどを企画し、地元の新聞やテレビにも取り上げられ、とても楽しくやりがいがありました。
Q:その後、東京に移りましたね。
国際交流委員の任期が終わり、一旦帰国して次の仕事を考えました。その間知人を訪ねて1ヶ月半ほどアメリカに滞在しましたが、その時に気づいたんです。日本を恋しく思っている自分に!日本人は集団主義だとも言われますが、私は決してそれが悪いとは思いません。「和」を乱さないように気遣い合うことは利点だとも思います。アメリカで自己主張の激しい人々を目の当たりにして、自分には日本の雰囲気が合っているなと思い、再就職先を日本で探し、東京のコンサルタント会社に就職することになりました。これまでに培ったスキルや知識を生かせる場所もやはり日本にあると思ったのです。現在私は医薬翻訳を専門としていますが、このコンサルタント会社で多くの製薬会社の関係者と会う機会があったこともきっかけの1つかもしれません。しかし、ここではあまり翻訳業務がなかったことや、青森でのイベント運営などの経験も生かしたいと思い、医薬品専門の広告代理店に転職しました。ここでは、医学・マーケティング関連の文書の翻訳を任されたほか、日本内外での国際医学会議の企画・運営なども担当しました。様々な経験を積んでいく中で、ますます翻訳業に集中したいと思うようになり、IR支援会社を経て、翻訳会社に転職しました。ここでは100%翻訳に携われましたし、何より翻訳を社内業務の一環ではなくビジネスとして扱うことに大変刺激を受けました。翻訳ビジネスのノウハウを学ぶことができたのです。
Q:ご自分の会社を立ち上げることになったのは?
よくフリーランスと社内翻訳者の違いが話題になりますが、自分の場合、独立することで「自由」を得ることが1つの目的でした。例えば、「時間・場所」の自由。会社勤めだと長い休みを取ることもできませんが、自分の会社でしたら、どこで休むのもどこで仕事をすることも自由です。昨年は北海道でマンスリーアパートを借りて、2ヵ月半ほど滞在しました。パソコンなど翻訳必需品も持参していつも通り仕事をしましたが、土日はスキーやスケートを満喫しました。次に、「仕事」の自由。一会社員の立場では、改善点や新規提案のアイデアがあっても全てが形になるものではありません。自分が考える翻訳サービスのあり方や翻訳ビジネスの方法を、自分が経営者になることで実践できることがフリーランスとして会社を立ち上げた理由の1つです。「専門性」の自由もあります。社内翻訳の場合には、文書の種類や内容など自由に選択できるものではありません。医薬翻訳を専門としてやっていこうと思った時に、もっとその専門性を磨き、質の良い翻訳サービスを提供できるようになるためには、やはりフリーランスになる必要があると感じました。
Q:もちろん良いことばかりではないですよね?
「自由」という話をしましたが、会社経営は気楽な家業ではもちろんありません。私のセールスポイントは「柔軟性」と「専門性」です。柔軟性とはお客様のためです。一度に複数の案件を抱えることもありますが、できるだけお客様の希望や納期を守るために、早朝や深夜に及んで仕事をすることもあります。短納期の案件にもできるだけ対応したいと思っています。それができる翻訳者はそう多くはないと思いますし、自分の会社だからこそこのような柔軟性が発揮できるのです。専門分野を持って翻訳の質を上げていくこともお客様のためです。実際の翻訳作業の中では、用語や背景を調べるために大きな時間を取られ、報酬との割りが合わなくなってしまうことも正直ありますが、それは全て次のサービスにつながるプロセスです。ある意味、「時間」は自由になるものでもありますが、いつも時間に追われている感覚はあります。
Q:医薬を専門に選んだ理由は?
もともと理数系でしたので、何を専門分野にしようかと考えたときに、IT、機械、特許、経済、医薬といった分野が浮かびました。しかし、ITや機械関係はまったくだめなんです。興味が持てません。その分野の本などを読んでいても30秒も持たないんです!経済と医薬が候補に残ったときに、お金のことよりも健康の方に自分の興味が向くことに気づきました。日本に来てから「骨」の名前を全部覚えたこともそのせいでしょうか・・・。とにかく、体や病気がどうなっているのかを知ることは自分の知的好奇心を大いに満たしました。コンサル会社や広告代理店で製薬業界に触れ知識が深まったことも理由の1つです。よく医薬は難しい、という声を聞きますが、確かにその通りです。最初からするすると日本語も英語も医薬用語を理解できたわけではありません。でも、「継続は力なり」です。どの職種でも同じです。意志さえあれば成し遂げられます。自分が医薬専門翻訳者として学習を続ける中でこの言葉が真実であったことを、今日は強調したいと思います。
Q:フリーランス翻訳者を目指す方にアドバイスをお願いします。
フリーランス翻訳者は「消防士」だと思っています。私は大都市のフリーランス消防士です。火事はいつ起こるかわからないし、同時にいくつもの火災が発生する場合もあります。複数の案件を同時に抱えながら専門性を持って迅速に対応することが求められる翻訳者はとても消防士と似ています。そんなフリーランス翻訳者を目指される皆さんに、4つのことをお伝えしたいと思います。
まず1つはフリーランスのデメリットを克服することです。フリーランスだと住む場所も仕事をする時間も自分で決められますが、その分他者との接触が希薄になってしまうのが現状です。自分独自の考え方や方法に固執してしまい、ますます外の世界との連帯感が薄れてきてしまいます。そのため、勉強会やセミナーなどに積極的に参加して、できるだけ他の翻訳者との交流を持つことをお勧めします。私は日本翻訳者協会(JAT)の会員ですが、JATがなければこうして翻訳を仕事にしていくことや会社を立ち上げることは難しかったかもしれません。ここで出会った様々な人から、会社設立にあたっての事務的な手続きから営業方法、時間管理、翻訳のスキルなど、ありとあらゆることを学びました。本当に感謝しています。また、翻訳者だけではなく、まったく別の業界や業種の人たちとの交流も貴重な機会です。「仕事につながること」が全てではありません。「お互いに役に立てること」が交流の意義だと思います。
2つ目は、専門分野を持つことです。何でも翻訳しようとすると効率が悪くなります。経験の蓄積が思うほど効果的でもありません。「多芸は無芸」という言葉が示すとおりです。専門性を選ぶ際には、できれば世の中の需要よりも自分の興味があることを専門にできれば良いと思います。「仕事・勉強が面白い ⇒ 継続できる ⇒ 専門性の向上が早い ⇒ 評価があがる&仕事のスピードがあがる」という流れが生まれます。極端に狭い分野でない限り自分の好きな分野を選ぶことで、興味はないが需要が多い分野の翻訳をするよりも、結果的には収入増につながると思います。やりがいや社会のためになること、といった視点で選ぶことも重要だと思います。
3つ目は健康面です。じっとパソコンの前に座って作業をするので、当然運動不足や食事の偏りに気をつけることも大切ですが、精神面での健康が重要です。過去に、忙しすぎて17日間人間的な接触を持てなかったことがありました。その間、スーパーやクリーニング店などに行きましたので、人には会いますが心からの会話をする機会ではありません。あの時は本当にどうかなってしまうのでは、と思いました。それ以降、どんなに忙しくても友人と会って話をしたり、月に1回は地方に小旅行に出かけてリフレッシュすることを心がけています。
最後の点は、「基本」さえできていればOKということです。基本とは、翻訳者の場合、納期を守ること、質を維持することです。あらためて言うことでもありませんが、でも実際にはこれができていない翻訳者が世の中にはいます。基本を忘れないことが一番大切です。
Q:これからの夢は?
独立してからもうすぐ2年が経ちます。5年後は六本木ヒルズ(に事務所を構える)、10年後は温泉事業(温泉・化粧品事業を始めた翻訳会社がありますよね)を立ち上げること!というのは半分冗談ですが、自分の会社を持つ身としていつもビジョンを持って進んでいきたいと思います。また、翻訳を教えることもそうですし、フリーランス翻訳者になりたい人へのアドバイスや会社立ち上げのノウハウの伝授など、これまでに培ってきたスキルや経験を生かして翻訳業界に貢献できればと希望しています。医科大学で非常勤講師として医学英語を教えたいとも思っています。これまで自分を助けてくださった方々・業界に対し、微力ながらも貢献することで恩返しをしていきたいと思っています。
<編集後記>
「微力ながらも恩返しをしたい」というベンさんの言葉にとても感動しました。日本語や健康に対する興味をきっかけに医薬専門の日英翻訳者としてのキャリアにたどり着いたベンさん。これからも「大都会の消防士」として、翻訳の火を消し続けてください!お話を伺いながら、つい、銀色のヘルメットや防火スーツを着ているベンさんを想像してしまいました・・・。そしてインタビュー当日はベンさん30歳の誕生日!おめでとうございます!!